理を描く手 ― 「空を、式で語る夜」
夜は、ようやく静けさを取り戻していた。
雨上がりの風が、薄いカーテンをそっと揺らしていく。
ルミナリア王国・アマカワ侯爵家の書斎――その一室だけが、まだ灯を落とさずにいた。
机の上には、開かれた観測ノート。
風向と湿度の記録がびっしりと書き込まれ、その傍らには青く光を帯びた湿度石。
古びた地図、ペン先に残るインクの匂い。
そして、燭台の炎が、紙面に踊るように影を描いていた。
メグ(心の声):「上昇気流、湿度、地表温度差……。
これらが“マナ流”の方向と一致するなら――風は、理で語れる。」
ペン先が羊皮紙を走る。
淡い音が、時計の針のように一定のリズムを刻んでいく。
描かれたのは、複雑に絡み合う円と線。
数値の結果として導かれた、風の循環図。
けれどそれは――偶然にも、魔法陣のように見えた。
メグ:「……見た目は、祈りの陣みたいね。」
「でも違う。これは、“理”の形。」
ペンを置くと、窓の外の夜空を見上げた。
まだ湿った風が、髪を揺らす。
星々が滲んで見えるのは、空気中に残る水蒸気のせい――そう理解しながらも、彼女は小さく微笑んだ。
メグ(心の声):「数値は祈りより正確。
……でも、どっちも“空を見上げる”ことには変わらないのかも。」
その瞬間、遠くで鐘の音が一度だけ響く。
静かな夜に、理の灯がひとつ、確かに灯った。
夜は、ようやく静けさを取り戻していた。
雨上がりの風が、薄いカーテンをそっと揺らしていく。
ルミナリア王国・アマカワ侯爵家の書斎――その一室だけが、まだ灯を落とさずにいた。
机の上には、開かれた観測ノート。
風向と湿度の記録がびっしりと書き込まれ、その傍らには青く光を帯びた湿度石。
古びた地図、ペン先に残るインクの匂い。
そして、燭台の炎が、紙面に踊るように影を描いていた。
メグ(心の声):「上昇気流、湿度、地表温度差……。
これらが“マナ流”の方向と一致するなら――風は、理で語れる。」
ペン先が羊皮紙を走る。
淡い音が、時計の針のように一定のリズムを刻んでいく。
描かれたのは、複雑に絡み合う円と線。
数値の結果として導かれた、風の循環図。
けれどそれは――偶然にも、魔法陣のように見えた。
メグ:「……見た目は、祈りの陣みたいね。」
「でも違う。これは、“理”の形。」
ペンを置くと、窓の外の夜空を見上げた。
まだ湿った風が、髪を揺らす。
星々が滲んで見えるのは、空気中に残る水蒸気のせい――そう理解しながらも、彼女は小さく微笑んだ。
メグ(心の声):「数値は祈りより正確。
……でも、どっちも“空を見上げる”ことには変わらないのかも。」
その瞬間、遠くで鐘の音が一度だけ響く。
静かな夜に、理の灯がひとつ、確かに灯った。
静かな筆の音を破ったのは、控えめなノックの音だった。
こんな深夜に――とメグが顔を上げると、扉の向こうから柔らかな声が響く。
「……入ってもいいだろうか?」
その声を聞いた瞬間、彼女の背筋がわずかに伸びた。
扉が静かに開き、銀糸のような髪が燭台の光を受けて揺れる。
現れたのは、ルミナリア王国の第一王子――リュシアン・セレスティア。
深夜の訪問にもかかわらず、彼の姿勢は端正で、
その手には一枚の羊皮紙が握られていた。
リュシアン:「祈雨祭の報告書だ。……君の観測記録も添えられていた。」
「“夕刻に雨が降る”――君の予測、見事だった。偶然ではないと、私は思っている。」
メグは少し驚いたように目を瞬かせ、しかしすぐに落ち着いた口調で答える。
メグ:「偶然じゃありません。」
「風の動きとマナの流れが一致しただけ。つまり、“法則”があるんです。」
机の上に広げた羊皮紙を指でなぞり、彼女はその図を見せた。
緻密な円と線――それは風の循環を示す理論式であり、
まるで光の魔法陣のように見える“理の図”だった。
リュシアンは彼女の隣に立ち、紙の上を覗き込む。
燭光が二人の顔を照らし、影が壁に重なる。
リュシアン:「……君の理が真実なら、それは神の奇跡を証明する道だ。」
その言葉に、メグの瞳が静かに光った。
メグ:「……いいえ。」
「神の奇跡を“理解する”道です。」
言葉が空気を震わせる。
その瞬間、二人の間に流れたのは沈黙――だが、重くも冷たくもなかった。
ただ、夜風がカーテンを揺らし、炎がふっと細く揺れる。
リュシアン(心の声):「――“理解”という言葉を、恐れない少女か。」
彼の胸の奥で、何かが音もなく崩れ、同時に芽吹いた。
それは、信仰でも政治でもない。
ひとりの観測者に対する、純粋な敬意だった。
燭台の炎が、二人の影をゆらりと壁に映し出していた。
長い沈黙のあと、リュシアンはゆっくりと椅子を引き、立ち上がる。
彼の瞳は、夜の光を湛えた湖のように静かだった。
リュシアン:「――君の研究を支援しよう。」
「この国に、もうひとつの空を見せてくれ。」
その言葉は、命令ではなく、願いだった。
王族としての威圧ではなく、ひとりの探求者としての敬意がこもっていた。
メグは息をのむ。
彼女の胸の奥で、何かがかすかに震えた。
メグ:「……私に、できるでしょうか。」
リュシアン:「君にしか、できない。」
静かな肯定。
その一言が、書斎の空気を変えた。
外の風がふっと流れ込み、机の上の羊皮紙をめくる。
描かれた線が、まるで生き物のように光を帯びて見えた。
メグは小さく笑い、窓の外を見上げる。
夜雲が星を覆い、雨上がりの匂いが風に混じっていた。
メグ(心の声):「……理で描く空。」
「この手で、“神の空”を観測してみたい。」
その瞳には、恐れではなく、確かな決意が宿っていた。
そして――
侯爵家の窓辺に灯るひとつの明かりが、
静かな夜を照らしていた。
誰も知らぬうちに、それはやがて
この王国の“信仰”と“理”を揺るがす始まりの灯となる。




