理術会議 ― 嵐の正体】
夜半。王立気象院・中央観測室。
雷鳴が響くたび、天窓のガラスが青白く光った。
外は暴風が唸り、塔の影が壁にゆらめく。
魔力波計の針が狂ったように震え、スクリーンには巨大な風の渦――黒雲の眼が映し出されている。
焦げた通信魔石の匂いが漂い、乱れた理術図面の上を風がめくっていく。
三人の理術師たちは、その中心に立っていた。
エルネストが、白髪をかき上げながら呟いた。
「……風が、意志を持っているようだな。」
メグは、濡れた外套を脱ぎながら答える。
「風は応えるものです。――誰かの、呼びかけに。」
リュシアンが振り返る。
蒼い光を映したその瞳は、恐れよりも確信を求めていた。
「呼びかけ……つまり、これは“自然現象”ではないと?」
メグは静かに頷く。
指先で魔力波計のグラフをなぞりながら、確信を言葉にした。
「この波形を見てください。この周期、古代理術の“共鳴コード”と一致しています。
風の流れを意図的に操作する――人工の干渉です。」
エルネストの目が細くなり、血の気が引いた。
「……そんなコードを発生させる装置が、今も残っているというのか?」
メグの手が止まり、視線がスクリーンへと向かう。
映し出された渦の中心――そこに、幾何学的な古代符号が微かに浮かんでいた。
「はい。放出源は、北方封印区画の地下。
動力式“気象制御装置”――《ヴァル・ノア》。」
雷鳴が重なり、観測室全体が震える。
リュシアンが小さく息を呑んだ。
「……ヴァル・ノア。千年前、空を統べるために造られた“神の装置”……。」
エルネストはゆっくりとうなずいた。
「伝承では、風を鎮め、雨を呼び、神々の怒りを抑える奇跡の装置。
だが、同時に――“空を奪った禁忌”とも記されている。」
メグは冷たい声で続けた。
「その禁忌が、誰かの手で再び動き出しています。
この嵐は“神の怒り”ではありません。
――“人の意志”が生んだ、最悪の理災です。」
リュシアンの拳が机を叩く音が響く。
外の稲光が、その怒りと絶望を切り取るように光った。
「空を救うために造られた装置が、今度は空を壊しているというのか。」
メグは頷き、そっとノートを開く。
インクの染みたページに、震える筆跡で新たな一行を記した。
《観測第〇日:嵐、応答す。
――これは、神ではなく“人”の声。》
雷鳴が轟き、室内の灯が一瞬だけ消える。
暗闇の中、メグの瞳が蒼く光った。
「止めなくては。
風が、泣いています。」
そして再び、光が戻る。
スクリーンには“ヴァル・ノア”の回転する環の影――
その中心に、人の欲望が形を取ったような黒い渦が、確かに存在していた。
観測室の窓を、稲妻が真横に裂いた。
光の閃きの中で、エルネストは机の奥を探り、古びた羊皮紙を取り出す。
封印の蝋が割れ、長い時を経た紙の匂いが室内に満ちる。
「……これを開く日が、再び来るとはな。」
老学者の手が震えていた。
羊皮紙に描かれていたのは、環状の巨大な塔。
幾何学的な紋様と魔力回路が刻まれ、その中央に古代文字で一文――
《VAL=NOA(空を統べる輪)》 と記されていた。
エルネストは静かに語り始める。
「ヴァル・ノア――千年前に造られた《空の装置》。
風を制御し、雨を呼び、神々の怒りを鎮めるために造られた、
理と信仰の到達点とも呼ばれた存在だ。」
彼の声は低く、重かった。
「だが、記録はこうも記している。
“その輪は、やがて神の居場所を奪った”と。」
リュシアンが息を呑む。
「……空を奪った、だと?」
メグはスクリーンに映る渦を見つめながら、
その輪郭に手を伸ばした。まるで“呼吸”するかのように、風の渦は蠢いている。
「空を支配するということは、天の理を人の手で書き換えるということ。
それを神罰と呼ぶか、理術の栄光と呼ぶか――時代によって違うだけ。」
リュシアン:「その装置が……今、再び動いているというのか。」
エルネストの顔に、悲しみの色が浮かぶ。
「封印されていたはずだ。王国の地下深く、誰も触れぬ場所に……。」
雷鳴が再び轟き、観測室の灯が一瞬だけ消える。
その暗闇の中で、メグの声だけがはっきりと響いた。
「ええ。そして今、それを操っているのは――神ではない。
――“人間”です。」
その瞬間、稲光が天窓を貫いた。
スクリーンの渦が一瞬、まるで心臓の鼓動のように脈打つ。
静寂。
三人の間に、言葉よりも深い理解が落ちる。
リュシアンは拳を握りしめ、ゆっくりと口を開いた。
「神の装置を、人が動かす……。
それは――“神の怒り”ではなく、“人の傲慢”だ。」
エルネストが頷く。
メグは小さく息を吐き、雨の音に混じるように呟いた。
「理が祈りを超えようとしたとき、
空はきっと――沈黙を選ぶのね。」
再び雷鳴が鳴り響き、観測室の窓を揺らす。
光に照らされた彼らの影が、スクリーンの上に伸びる。
その中央――“渦の目”に浮かぶ《ヴァル・ノア》の符号が、
まるで誰かの“瞳”のように光った。
稲妻が観測室を照らすたび、壁の影が揺れた。
魔力波計の針が震え、空気は緊迫した理力の気配に満ちている。
メグは深く息を吸い、膝上の観測ノートを開いた。
ページの間から、干ばつの村で集めた風圧データがこぼれ落ちる。
手書きの数字、手の震えた筆跡、そして子どもたちの寄せ書き――
「空をまた笑わせてね」。
彼女はその一枚を手に取り、スクリーンの前に立つ。
「……この渦の中心、ここです。」
指先が示した座標に、赤い光点が灯る。
王都の北――かつて滅びた“旧首都跡”。
リュシアンが眉を寄せた。
「そこは……ヴァル・ノアの封印区画だ。
封印を解けるのは、王族と……教会の理術認証だけのはず。」
エルネストが低く唸る。
「つまり――この嵐は……」
メグはその言葉を継いだ。
瞳に宿る光が、雷のように鋭く煌めく。
「“人の祈り”が、理を狂わせた結果です。」
沈黙。
雨が天窓を叩く音だけが、遠い鼓動のように響いた。
リュシアンの拳が震える。
「信仰が、空を壊したというのか……。」
メグは静かに首を振る。
「信仰が悪いわけじゃありません。
ただ――“空を思い通りにしたい”という欲。
その欲が、理を歪めたの。」
その声は静かだったが、確かな力を持っていた。
空を愛する者の言葉。
空を“支配”ではなく、“理解”しようとする者の信念。
次の瞬間、観測室全体が震えた。
魔力線の針が一斉に跳ね上がり、警告音が鳴り響く。
エルネストが叫ぶ。
「……嵐の中心、ヴァル・ノアが――完全起動に入った!」
雷鳴。
天窓が閃光に包まれ、外の空が白く裂ける。
リュシアンが振り返り、声を張り上げた。
「メグ! 君の理論で、止められるか!」
だがメグは、すぐには答えなかった。
スクリーンを見上げ、嵐の渦を見つめる。
その唇が、ゆっくりと動く。
「止めるんじゃない――“理解する”のよ。」
青白い光が彼女の瞳に映り込む。
嵐の中に、何かを“聞こう”とするように。
「空は怒ってなんかいない。
ただ、私たちに――話しかけようとしている。」
その瞬間、計器が一斉に沈黙した。
風の音すら止まり、世界が一瞬“無音”になる。
稲妻が再び走ると、メグの横顔が淡く照らされた。
その瞳の奥――確かに“理”と“祈り”が交わる光があった。
そして、嵐の中心が、ゆっくりと“呼吸”を始めた。




