再召喚 ― 王都への帰還
夜空を切り裂くように、稲光が奔った。
刹那、王都アルメリアを囲む城壁が白く浮かび上がり、次の瞬間、闇がすべてを呑み込む。
焦げた金属の匂いが風に混じり、空気そのものが唸り声を上げていた。
観測塔の上では、魔力通信石がひとつ、またひとつと沈黙していく。
塔守たちが駆け回り、緊急符を掲げた。
「北の塔、応答なし! 南西の魔力線も断絶!」
「黒雲渦、中心を王都方向に移動中!」
報告が重なるたび、議会室の空気は冷たく濃く沈んでいく。
窓の外では、雷鳴が天を裂くたびに塔の影が歪んだ。
王太子リュシアンは、報告書を一枚ずつめくりながら、何も言わずに眉を寄せる。
金の髪は湿気で額に張り付き、整った横顔には、眠気ではなく焦燥の影が宿っていた。
「すべての風向が狂っています!」近衛の声が震える。
「気圧差が常識の範囲を超えております!」
隣の技官が叫ぶ。
「“理術障壁”を張っても無意味です! 風が自ら反転している……!」
その言葉に、議会室の灯が一瞬だけ揺れた。
リュシアンは静かに立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。
雷光が硝子を照らし、黒い渦雲が王都の真上で渦を巻いているのが見えた。
――まるで、天そのものが怒っているように。
彼は低く呟いた。
「……誰か、空を“動かしている”のか。」
室内が静まり返る。
遠くの雷鳴だけが、答えのように轟いた。
そのとき――。
一枚の報告書が、机の上から滑り落ちた。
誰も気づかないほどの、ささやかな音。
だがリュシアンだけが、それを拾い上げる。
湿った紙に記された名を、彼は目で追った。
――“メグ・アルトリエ”。
数年前、干ばつに見舞われた辺境の村で“空を救った”理術師。
ページの端には、当時の観測データの写しと、
小さな文字で書かれた一文が残っていた。
> 「観測は祈りと同じ。続ければ、いつか届く。」
雷光が彼の横顔を白く照らす。
その光の中で、リュシアンは静かに決断した。
「――彼女を呼べ。」
重々しい沈黙を破る声が、議会室を貫く。
「王国が、再び“空の理”を必要としている。」
次の瞬間、雷鳴が城を震わせた。
窓外の嵐が唸りを上げ、風が王国の中心へと吹き荒れる。
その轟音の中、場面はゆっくりと暗転していく。
――嵐の国に、再び“理の少女”が呼ばれた。
――雨は、まだ止まない。
灰色の石畳を、馬車の車輪が静かに転がる。
轍の中に溜まった水が、小さく跳ねては、また沈んでいった。
その馬車の中、少女は静かに座っていた。
膝の上には、一冊の観測ノート。
表紙には、幼い筆跡で書かれた言葉が並んでいる。
> 「空をまた笑わせてね」
インクは雨に滲み、まるで涙の跡のようだった。
メグ・アルトリエ。
かつて“空を救った理術師”。
いま、再び嵐に呼ばれた少女。
窓の外、黒い雲が低く垂れ込め、雷の光が一瞬、頬を照らす。
その光に、メグの瞳の奥の淡い蒼がきらめいた。
決意と、少しの寂しさ。
――まるで、帰る場所を探す旅人の目。
馬車が止まる。
そこは、王都アルメリアの門。
高くそびえる石のアーチの下、衛兵たちがざわめいた。
「彼女が……“空の理術師”だと?」
「まるで嵐の中でも笑っているようだ……。」
彼らの視線の先に、フードを下ろしたメグがいた。
雨に濡れてもなお、立ち姿は静かで、凛としていた。
門の前。
そこに立つ男――王太子リュシアン。
数年前よりも大人びた顔。
けれど、その瞳の奥には、昔と同じ真っ直ぐな光が宿っている。
ふたりの間を、風がすり抜けた。
雨粒が横に流れ、時間が一瞬だけ止まったようだった。
沈黙のあと、リュシアンが口を開く。
「王国の空が、壊れ始めている。
君の“理”で――この国を救ってくれ。」
その声は、命令ではなく、祈りのようだった。
メグは少しだけ目を伏せ、
そして――ゆっくりと笑った。
「……空は、怒ってなんかいない。」
雨の帳の向こう、黒雲の隙間から、ほんの一瞬だけ青が覗く。
「“呼ばれている”のよ――私たちを。」
風がメグのスカートを揺らし、
王都の塔の鐘が、遠くで鳴った。
その音は、まるで新しい物語の始まりを告げる合図のよう。
嵐の夜が、静かに幕を開けた。




