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『天気予報士、悪役令嬢になる。』 ― 空を読む者、神を越えぬ祈り ―  作者: 南蛇井


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教会の影 ―「異端の匂い」

夕暮れの鐘が三度鳴り、村の空気がゆっくりと冷えていく。

湿った風が、古びた木の扉をかすかに鳴らした。


小さな教会の奥。

神父エルンは蝋燭の灯りの下、机に置かれた一通の封書を開いていた。

封蝋には、王都教会の象徴――聖輪の印。


蝋を割り、羊皮紙を広げる。

そこには、ただ一行だけ、硬質な筆跡で記されていた。


『異端の理術師、アルトリエ村に潜伏の報あり。――観察せよ。』


その言葉を目にした瞬間、エルンの瞳が微かに揺れる。

聖職者としての義務と、人としての迷いが交錯するように。


彼は無言のまま羊皮紙を折り、燭台の炎へと差し出した。

火が走り、紙がぱちぱちと音を立てて焼けていく。

灰が空中に舞い、まるで祈りの残骸のように消えた。


エルン(心の声)

「異端……“理”の徒か。

神を測ろうとした者の末が、またこの村に。」


外から、鐘楼の音がかすかに響いた。

夜の帳が降りはじめ、教会の窓を淡い稲光が照らす。


◆切り替え:祈りの少女と塔の影


同じ頃。

礼拝堂の片隅で、少女アイリスが静かに祈りを終えていた。

十字の代わりに、彼女は小さく両手を胸の前で組む。

その指先に、子どもらしい震えがあった。


アイリス「……どうか、明日も、空が優しい日でありますように。」


祈りのあと、ふと窓辺に立つ。

曇天の向こう、丘の上に“異質な影”が見えた。

木材を組み合わせ、天を突くように伸びる細い塔。

その根元で、旅の女――メグが風に髪をなびかせながら作業している。


火のように、空を諦めない瞳。

どこか、見覚えのある強さだった。


アイリス(心の声)

「あの人……空を見てる。

まるで、祈ってるみたいに。」


背後で扉の軋む音。

エルンの足音が近づく。

彼女は慌てて振り向き、深く頭を下げた。


エルン「アイリス。もう夜だ。外に出るな。」

アイリス「はい、神父さま。」


扉が閉まる。

その一瞬、彼女の視線は再び窓の外を向いた。

丘の上の灯り――観測塔の小さな光が、曇天の中で静かに瞬いていた。


それは、祈りとは違う光。

けれど確かに、“空へ届こうとする意思”があった。


アイリス(心の声)

「……あの人の見ている空は、神さまと同じ空なのかな。」


雷鳴が轟き、教会のステンドグラスが一瞬、白く光る。

赤と青の光が床に滲み、まるで信仰と理が交わる“境界の色”のように見えた。

夜更け。

鐘楼の影が長く伸び、教会の中に静寂が満ちていた。

燭台の炎がわずかに揺らぎ、古い木の匂いと湿った風が交じり合う。


小さな告解室。

格子の向こうで、アイリスは膝を折り、両手を胸の前で組んでいた。

閉ざされた空間の中、聞こえるのは心臓の鼓動と、神父の低い声だけ。


エルン「……アイリス。最近、村に旅人が来たな。」


少女は少しだけ顔を上げた。

その声には、いつもの優しさではなく、何か確かめるような硬さがあった。


アイリス「はい。トールさんの納屋を借りて……毎日、空を見てます。」


エルン「空を……見る、か。」


一瞬の間。

燭火が、格子の隙間から揺れて映る。

その光が、神父の表情をわずかに照らした――それは、迷いと義務の狭間の影。


エルン「教会は、“理術”を禁じている。

神の御業を数や形に変えようとする行為は――異端だ。」


アイリスは息をのんだ。

その言葉の重さが、狭い告解室を満たしていく。

だが、彼女の胸の奥には、どうしても拭えない感情があった。


アイリス「でも……あの人は、誰かを傷つけてるわけじゃありません。

ただ、空と話してるだけで……。」


エルンは沈黙した。

沈黙が、祈りのように長く続く。

そして、やがて低く、静かに言葉が落ちる。


エルン「……空と話すのは、神の役目だ。

人がそれを真似れば、やがて天を冒す。」


その声には、怒りではなく――痛みがあった。

まるで、自分自身に言い聞かせるような。


アイリスは唇を噛む。

告解室の格子に映る燭火が、震えるように揺れた。

その明滅が、彼女の中の“信じてきた形”を少しずつ崩していく。


アイリス(心の声)

「神父さまは、悪い人じゃない……。

でも――どうして、あの人の見る空を、否定しなきゃいけないの?」


燭火が、ふっと揺れ、ひときわ強く燃え上がった。

その一瞬、格子の影がアイリスの頬に走る――まるで、光と闇が彼女の中で交錯するように。


エルン「……このことは、外で話すな。いいな、アイリス。」


アイリス「……はい。」


だが、うなずいたその声には、わずかな震えがあった。

恐れではない。

それは――**“違和感”**という名の、小さな芽。


外では、遠雷が鳴った。

まるで、空のどこかで誰かが答えようとしているかのように。


夜。

教会の鐘楼が、風を切るように低く鳴った。

その音の余韻を背に、アイリスは外へ出た。

足音を忍ばせ、丘の上――あの“空を見上げる塔”のもとへ向かう。


星のない夜。雲の切れ間から、時折、稲光が閃く。

光に照らされて浮かぶ人影。

スカイピラーの根元で、メグが古びた星図を広げ、観測装置を調整していた。


アイリス「……本当に、空の声が聞こえるんですか?」


メグは手を止め、ゆっくりと顔を上げる。

その目は、夜空の奥――見えない風の流れを追っていた。


メグ「聞こえるわけじゃないの。

風の向き、雲の厚み、気圧の呼吸……それを“読む”の。」


アイリスは小さく息をのんだ。

近くで見るスカイピラーは、まるで天へ伸びる祈りの柱のようだった。

打ち込まれた釘や歪んだ木材が、稲光の中で銀色に光る。


アイリス「読む……?」


メグ「うん。空はね、怒ったり、泣いたりするけれど――

それは罰じゃないの。……ただ、伝えたいのよ。

“ここに理がある”って。」


メグの声は、風の音に混ざって淡く響いた。

その言葉の一つひとつが、空の震えと同じリズムを持っていた。


雷鳴。

瞬間、雲の向こうで稲光が走り、夜空がステンドグラスのように染まる。

青と白、そして金。

まるで神殿の光が、空の奥から降りてくるようだった。


アイリス「……理。

それって、神さまの代わり、ですか?」


メグは首を振る。

その瞳には、知と祈りが同居する穏やかな光があった。


メグ「違うの。

理は、神さまの“声のかたち”。

だから、信じることと学ぶことは――矛盾しない。」


アイリスの胸の奥で、何かが音を立てた。

それは恐れではなく、理解の灯。

小さな、でも確かな火が、暗闇の中でともる。


アイリス(心の声)

「……どちらかを捨てなくても、いいの……?

祈ることと、知ろうとすること。

そのどちらも――神さまが望んでるのかもしれない。」


遠くで、再び雷が鳴った。

けれど、その響きはもう、恐ろしくはなかった。

むしろそれは、空が何かを語りかけているように聞こえた。


メグはノートを閉じ、微笑む。

風が二人の髪を撫で、スカイピラーの羽根が静かに回転した。


メグ「ねえ、アイリス。

あなたにも、聞こえるはずよ。

空の“理”の声が。」


アイリスは小さくうなずく。

その頬を、夜風が優しく撫でた。


それはまるで――

祈りと理が、ひとつに溶けあう夜風だった。

夜。

教会の鐘が三度、低く鳴り、村の灯が一つずつ落ちていく。

最後に残ったのは、礼拝堂の燭火だけだった。

風が吹き込み、炎が揺れるたび、ステンドグラスの影が壁を這う。


神父エルンは、祭壇の前で立ち尽くしていた。

掌には、昼間焼き捨てたはずの封書の灰がこびりついている。

それを拭おうともしないまま、彼は静かに呟いた。


エルン「……奇跡を測ろうとする者は、神を侮る。」


外では、遠雷が響いた。

稲光が閃き、ステンドグラスに“塔の影”が映り込む。

丘の上に立つスカイピラー。

それはまるで、天を穿つ槍――あるいは、神への挑戦の印だった。


エルンの瞳に、迷いが宿る。

だが次の瞬間、扉が軋む音が響く。


音もなく、メグがそこに立っていた。

濡れた外套を脱ぎ、静かに祭壇の方へ歩み出る。

雷光に照らされた彼女の瞳は、まるで夜空の奥を映しているようだった。


メグ「……その言葉、さっきも誰かに言われました。」


エルン「理術師メグ・アルトリエ。

王都では、神を否定した異端者として名を馳せたとか。」


メグ「否定なんてしていません。

私はただ、神のなさることを“理解したい”だけです。」


エルンの眉がわずかに動く。

燭火が風に揺れ、二人の影が床に長く伸びた。


エルン「神の奇跡を理解しようなどと――傲慢だと思わないのか。」


メグは首を振り、静かに空を見上げる。

曇天の向こう、雷光がステンドグラスを透かし、天使の像を赤く染めた。


メグ「いいえ。

測るのは奇跡そのものじゃない。

……奇跡が“起きる理由”です。」


沈黙。

次の瞬間、雷鳴が轟き、教会全体が震えた。

その閃光の中で、二人の影が重なり、そして離れる。


信仰と理――

祈りと理解。


同じ空の下にありながら、決して交わらぬ二つの道。

けれどその夜、確かに一瞬だけ、二つの影は“重なって”いた。


風が止み、蝋燭が消える。

残るのは、夜と雷の匂いだけ。


エルン(心の声)

「……理を追う者。

その目に映るのは、神か、それとも――空の底に潜む何かか。」


メグ(小さく)

「あなたも、きっと聞こえるはずよ。

空が、祈りに応える音を。」


扉が閉まり、再び闇。

礼拝堂の奥で、最後の燭火が揺らめいた。

その炎は、まるで“疑念”のように、まだ消えきらなかった。

夜は静かに、礼拝堂の中に沈んでいた。

メグが去ったあと、扉が閉じる音だけが、ゆっくりと響き、闇に溶けていく。


エルンは祭壇の前に立ち尽くしていた。

揺れる燭火が、聖母像を照らす。

その影は、まるで“問いかけるように”彼の足元へ伸びていた。


エルン(心の声):「あれが、異端か……それとも――新しい信仰のかたちなのか。」


彼は胸の十字をゆっくりと握りしめる。

冷たい金属の感触が、妙に遠く感じられた。


風が吹き込み、炎が一瞬、長く伸びる。

その光が聖像の頬を照らし、まるで“微笑んだ”ように見えた。

エルンの指が震え、手からロザリオが零れ落ちる。


外では、丘の上の塔――スカイピラーの頂に、かすかな光が灯る。

雷雲の切れ間を縫って、ひとすじの月光が塔を照らした。


木と鉄で組まれた粗末な塔が、その瞬間だけ、まるで神殿のように輝く。


エルン(心の声):「……空に、祈りが届くのか。

それとも、理が神の耳を打つのか。」


遠くで雷が鳴った。

だがその音は、もはや怒りではなかった。

どこか、静かな“応答”のように――夜の奥で低く響いた。


塔の光が、風に揺らぎながらゆっくりと消える。

その光を見上げながら、エルンは目を閉じた。


エルン「……主よ。

あの者の見た空を、どうか……お見逃しくださいますように。」


祈りの声が終わるころ、風が再び流れ出す。

燭火が細く揺れ、影が壁を滑っていく。

まるで、空と地のあいだを結ぶ“目に見えない線”が、ゆっくりと描かれていくようだった。


その夜、

雷鳴の彼方で、“理の夜”が始まった。

――信仰と理解、二つの空の言葉が、初めて静かに対話を交わす。






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