表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『天気予報士、悪役令嬢になる。』 ― 空を読む者、神を越えぬ祈り ―  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/28

予兆 ―「理の種」

昼下がりの陽光は、刃のように鋭かった。

アルトリエ村の空は白く霞み、熱を孕んだ風が地を這う。

トールの納屋の裏では、ひとりの少女がその中に立っていた。


焦げ跡の残る観測ノートを開き、指先で図面をなぞる。

古木を支柱に、鉄屑を継ぎ合わせ、釘を打ち込む音が乾いた空に響く。

木屑の舞う中で、少女――メグは、まるで儀式のような静けさで作業を進めていた。


背中には、灼けた太陽の光。

髪の先まで汗が滲み、それでもその瞳だけは澄んでいる。

――まるで、“空の奥”を見つめているように。


少し離れた場所で、トールが腕を組み、あきれ顔でその様子を見ていた。

彼の肌は陽に焼け、手には土と傷の跡が残る。

現実を生きる男の、現実的な目だ。


トール「……まさか本当に、塔を立てる気か?」

メグ「ええ。空の“声”を聞くには、少し高いところがいいの。」


トール「声、ねぇ。あんた、本気で空と喋るつもりか?」

メグ(小さく笑いながら)「ええ。風は、ちゃんと話してくれますよ。」


トールは鼻で笑うが、メグは気にした様子もなく、支柱に針金を巻きつけていく。

その手つきは驚くほど確かで、無駄がない。

やがて、木製の骨組みが陽光の中に立ち上がった。


――簡易観測塔スカイピラー


それは粗末で不格好な構造物だったが、メグが顔を上げた瞬間、

彼女の瞳の奥には確かな光が宿っていた。

焦げたノートを風に押さえながら、メグは小さく呟く。


メグ「空の声は、きっとまだ届く。……この地の風は、眠っているだけ。」


トールはその言葉に返すことができなかった。

信じられない。けれど、どこかで――その声をもう一度聞いてみたくなっていた。


乾いた風が一瞬だけ止み、静寂が訪れる。

次の瞬間、メグの作った風計の羽根が――かすかに、回り出した。


太陽の下、少女の髪がふわりと揺れる。

その姿は、干上がった空に、小さな命が吹き込まれたようだった。


乾いた丘の上に、メグの手が組み上げた木製の骨組みが立ち上がる。

村人の目には、ただの寄せ集めにしか見えない塔。

けれど――彼女にとって、それは“空と人を繋ぐ最初の橋”だった。


古い風車の羽根を再利用し、ひび割れた木材を支柱にする。

釘の代わりに鉄線をねじ込み、風に鳴る音を確かめながら一本一本を締めていく。


トール「……塔っつっても、せいぜい見張り台だな。」

メグ「いいの。空を“聴く”には、ほんの少しだけ高ければいいんです。」


頂に、錆びた気圧計が取り付けられる。

金属の針が陽光を反射し、かすかに震えた。

その下では、湿度を測るための石が吊るされ、乾いた風を吸って色を変えていく。

メグは方位盤に墨を走らせ、風計の羽根を南西へ向けた。


彼女の瞳は、空の一点を見つめている。

その青白い光の中には、確かな違和感があった。


メグ(心の声)

「風の遅れ、湿度の停滞……やっぱり、これは自然な乾期じゃない。

 ――上層の風が、何かに“塞がれてる”。」


空は静かすぎた。

雲は薄く、まるで誰かに“息を止められた”ように動かない。


トールはその表情を見上げ、無意識に息を呑む。

彼女の顔には焦りも迷いもなく、ただ確信だけがあった。


トール「……あんた、本気で“空が病気だ”って言うつもりか?」

メグ「病気じゃないわ。眠ってるの。

   ――だから、起こしてあげなきゃ。」


その言葉と同時に、風計が――わずかに、音を立てて回った。

一瞬だけ吹いた涼風が、塔の支柱を撫で、メグの髪を持ち上げる。


乾いた村に、ほんのひと筋の“風の兆し”。


彼女の目に映る空は、もう“死んだ空”ではなかった。

メグが塔の足元で工具を片づけていると、背後からかすかな笑い声がした。

振り返ると、五、六人の子どもたちが、納屋の陰からこっそり覗いている。


日焼けした頬。裸足の足裏に土埃。

だがその瞳だけは――どの空よりも澄んでいた。


子ども「お姉ちゃん、それなあに?」

メグ「これ? 風の向きを測る道具よ。これで空の“呼吸”がわかるの。」

子ども「空にも、息があるの?」

メグ「あるの。空はね、“怒る”ことも“泣く”こともあるのよ。」


小さな肩がびくりと揺れる。

彼らにとって、“空”とはただの遠いもの。

雨をもたらすか、雷で脅すか――そのどちらかだった。


子ども「空にも、気持ちがあるの?」

メグ(微笑)「うん。だから私たちは、それを“ことわり”って呼ぶの。」


「り?」と声が重なる。

メグは笑って、風計の羽根を指先で軽く弾いた。

木製の羽根が、キィ、と小さな音を立て、ゆっくりと回り始める。


メグ「“理”はね、空の気持ちを“わかろうとする力”。

  神さまの奇跡じゃなくて――空と仲良くなるための、約束ごとみたいなもの。」


子どもたちは、その音に吸い寄せられるように近づいた。

風計の羽根が回るたび、金属の針が光を弾く。

その光が、子どもたちの瞳にきらりと映る。


子ども「……空と、仲良く……」

メグ「そう。空の声を聴けるようになれば、きっと、泣かせずにすむ。」


その瞬間、頬を撫でるように微かな風が吹いた。

乾いたはずの空気が、ほんの少しだけやわらかくなる。


子どもたちが顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。

それは、この村で久しく聞かれなかった――“風の音と笑い声”の重なりだった。


トール(遠くから見守りながら)

「……空の授業、ね。変わった先生だ。」


そして、メグの唇が、風の音に重なるように動いた。


メグ「いいえ――空が、先生なんです。」

午後の陽射しが傾き始めたころ。

メグは、スカイピラーの足元でノートを開いていた。

風計の羽根はゆっくりと回転し、吊るした湿度石がわずかに色を帯びる。


焦げ跡の残るノートに、ペン先が走る。

その瞬間――気圧計の針が、かすかに震えた。


メグ「……来た。」


顔を上げる。

白く霞んでいた空の高みを、一筋の雲が横切っていく。

今まで止まっていた風が、まるで目を覚ますように頬を撫でた。

それは、砂を巻き上げる熱風とは違う。

どこか懐かしい、**“生きている風”**だった。


子ども「……風が、冷たくなった!」

トール(息をのむ)「こんな風、何日ぶりだ……?」


畑で鍬を振るっていた村人が動きを止める。

水汲みをしていた女たちが顔を上げる。

誰もが無意識に――空を見上げた。


高い空の片隅で、雲がひとすじ、淡い螺旋を描いていた。

それは、干上がった世界に差した、ほんの小さな“再生の証”だった。


メグは胸の奥で小さく息を吐き、ノートに記す。


《観測第二日:南西の風、再び流れ始む。》


トールがその文字を覗き込み、眉を上げた。


トール「……空の声、か。」

メグ(微笑)「ええ。まだ、途切れていません。」


風が塔の羽根をくすぐるように撫で、乾いた音を立てる。

その響きは、どこか祈りにも似ていた。


――空は、まだ死んでいない。

陽は傾き、村全体が橙色に染まっていた。

空はまだ乾いている――それでも、どこか違っていた。


スカイピラーの足元に立つメグが、そっと目を閉じる。

焦げたノートを胸に抱き、両の手を広げた。

焼けた風が頬を撫で、指の隙間を抜けていく。

けれど今、その風には――“息づかい”があった。


ふと、足元の土に動く影。

メグが顔を上げる。

大地を横切るように、**一本の“雲の影”**が流れていった。


それは、まるで空が“応えた”かのようだった。

風が塔を鳴らし、羽根がゆっくりと回り始める。

トールが遠くからその光景を見て、呟く。


トール「……動いた、空が。」


メグは微笑んで、小さく頷く。


メグ「ううん、“理”が動いたの。」


――それは、まだ小さな変化。

けれど確かに、この世界に“理の種”が芽吹いた瞬間だった。


夕風が塔を包み、乾いた地に新しい匂いを運ぶ。

空と地の間に、静かな対話が始まっていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ