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『天気予報士、悪役令嬢になる。』 ― 空を読む者、神を越えぬ祈り ―  作者: 南蛇井


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第転生、青空の目覚め ―「空を祈る世界で、私は“風”を読む」― 目覚めの青空 ―「お嬢様、朝の祈りの時間です」

 深夜二時過ぎ。

 太平洋沿岸は、暴風雨のただ中にあった。


 風は獣のように唸り、波は防波堤を白く噛み砕いている。

 臨時中継用の照明が、雨粒を無数の刃のように照らしていた。


 その中心で――ひとりの女が立っていた。


 テレビ局《NNNニュース24》の気象キャスター、天川めぐみ(あまかわ・めぐみ)。

 彼女の声がマイクを通じて夜空に響く。


「現在、風速はおよそ二十五メートル! 瞬間最大で三十を超えています!

台風第十二号――その“目”が、もうすぐここを通過します!」


 彼女の背後でスタッフがロープを押さえ、機材が軋む。

 それでもめぐみは微笑んだ。

 レインコートのフード越しに覗く瞳は、まっすぐに“空”を見ていた。


「見てください、この雲の動き。南東の風が一気に巻き込み――

これは典型的な――」


 言葉を切る。

 風の匂いが、ふと変わった。


 塩と土と鉄が混じったような、濃密な匂い。

 彼女は反射的に風速計を確認し、口角を上げた。


「――来ますね。中心が。」


 マイクの向こうで、誰かが叫ぶ。


「メグ! もう下がって! 危険域だ!」


「大丈夫です!」

 彼女は笑って答えた。

「予測の範囲内です!」


 その瞬間、空が閃光で裂けた。

 稲妻が海面に落ち、映像が一瞬ホワイトアウトする。


 ディレクター席の声がノイズ混じりに響いた。


『……メグ、落雷の――っ! 聞こえるか!?』


 めぐみは笑ったまま、カメラに向き直る。


「はい、聞こえてます! 落雷は――」


 言葉が終わる前に、轟音。

 風がすべての音を飲み込み、雨が一斉に消えた。


 世界が、止まった。


 嵐の中心――“目”が、彼女を見ていた。


 雲の裂け目の奥に、蒼白い光の瞳。

 理屈では説明できない“視線”が、真っ直ぐにめぐみの意識を貫く。


(空は……私を、見てる?)


 マイクが手から滑り落ちた。

 稲光が画面を包み、音が消える。


「空はいつも、私を見下ろしていた――」


 遠ざかる意識の底で、鐘の音が響く。

 風の唸りが、祈りの声に変わっていった。


 ――風が吠えていた。

 夜の海を引き裂くように。


 中継カメラが暴風で揺れ、レンズを叩く雨粒が光を屈折させる。

 照明の光が濁流のような雨を照らし、画面の端ではスタッフの傘が空に舞った。

 誰かが叫ぶ。「押さえろ! 三脚が倒れる!」


 そんな混乱のただ中で、

 レインコートのフードを深く被った一人の女が、まっすぐカメラを見据えていた。


 テレビ局《NNNニュース24》の気象キャスター、天川めぐみ。

 その声は、嵐をも切り裂くほどに澄んでいた。


「現在、風速は二十五メートル! 瞬間最大で三十を超えています!」

「台風第十二号、進行速度は予想より速く――あと一時間で直撃の見込みです!」


 息を飲むような暴風の中、彼女は冷静に風速計を掲げ、指で空を示す。

 髪が雨で張り付き、頬に走る雨筋さえも観測線のように見えた。


「見てください、あの雲の“目”の形! 風が南東から巻き込んでいます。

通常よりも下層の気流が速い――!」


 その声には、恐怖がなかった。

 代わりにあるのは、確信と高揚。

 彼女の瞳は“嵐”ではなく、“空の構造”を見ていた。


 音を分析し、風を読み、光の色から湿度を感じ取る。

 人が怯える現象を、彼女は理解しようとしていた。

 観測者としての本能――それが彼女の中で、祈りに似た熱を帯びていた。


(もっと知りたい。もっと近くで、空を見たい――)


 次の瞬間、カメラが大きく揺れた。

 画面の端で、照明が軋みながら倒れかける。

 スタッフの怒鳴り声。風の唸り。

 しかし、めぐみは一歩も退かない。


「実況、続行します!」


 マイクを強く握りしめ、彼女は笑った。

 暴風に晒されながら、唇の端に浮かぶその笑みは――

 恐れを知らぬ者のものではなく、“空に恋した者”の笑みだった。


――風が、止んだ。


 たった数秒。

 暴風が息を潜め、雨の音が遠のく。

 嵐の中心、“目”の中だった。


 マイクが拾う音は、風ではなく、彼女の呼吸だけ。

 めぐみは一歩、カメラの方へ進む。

 顔にかかった雨を拭い、視線を空へ向けた。


「……ねえ、空って、怒ってるわけじゃないんです。」


 声は穏やかで、夜の湿気に溶けるようだった。

 彼女は、観客ではなく――まるで“空そのもの”に語りかけているようだった。


「低気圧の回転と、上昇気流のせい。ただそれだけ。

理由がある限り、怖くないんです。

……私は、この空を、恐れたくない。」


 瞳がわずかに震えた。

 嵐を見上げるその目は、科学者のものでもあり、祈る者のものでもあった。


 カメラマンが叫ぶ。


「メグ! もう下がろう、危ない!」


 めぐみは振り返り、雨に濡れた頬を拭って笑った。


「大丈夫。――予測の範囲です!」


 その笑顔を照らしたのは、雷光。


 白。

 音よりも先に光が世界を飲み込む。

 カメラが一瞬、過負荷を起こして映像が乱れた。

 音声がブツリと途切れ、風が爆ぜる。


 彼女の声が最後に残した言葉は、ノイズ混じりの記録にわずかに刻まれていた。


『――空は、怒ってなんか、ない……』


 そして、画面が白に染まる。


 稲妻の残光が瞼の裏を焼きつける。

 風も、雨も、音も消えた。


 世界が、止まる。


(ああ――また、空が私を見てる……)


 蒼白の光が、めぐみの輪郭を包み込んだ。

 その瞬間、全ての電波が途絶えた。

 ただひとつ、彼女のマイクだけが微かに拾う。


 鐘の音。

 遠く、別の世界の朝を告げるような音だった。


 ――次に彼女が目を覚ました時、

 空は、透き通るように青かった。


風が、ふっと止んだ。

 雨の音も、波の轟きも、遠雷さえも――一瞬で消える。


 世界が息を潜めたような沈黙。

 めぐみは、反射的に顔を上げた。


 灰色の雲が裂けていく。

 渦の中心、真上の空にぽっかりと“穴”が開いていた。

 雲の切れ目から、蒼白い光が垂直に降り注ぐ。

 まるで――空そのものが、こちらを覗いているようだった。


「……ここが、“目”?」


 声が風に吸い込まれる。

 聞こえるはずの雨音が、戻ってこない。

 耳鳴りだけが、静寂の中に細く響く。


 ヘッドセットのイヤーピースから、かすかにノイズが走った。

 砂を噛むような音の向こうで、誰かの声が途切れ途切れに届く。


『……メグ、聞こえるか――? 下がれ! 雷の――っ!』


 その瞬間――。


 白い閃光が、視界を貫いた。


 空が裂けたのか、世界が割れたのか。

 判別できないほどの強烈な光。

 風速計の針が一瞬で振り切れ、モニターが悲鳴のような電子音を発した。


 視界の端で、スタッフが何かを叫んでいる。

 けれど、その声も、音も、すべてが遠ざかっていく。


(ああ――静かだ。)


 めぐみは不思議と、怖くなかった。

 音のない世界の中、ただ一筋の光が彼女の頬を撫でていた。

 空の穴の奥に、何かがいた。

 “見ている”。

 そんな感覚だけが、確かにあった。


(あなたは……誰?)


 問いかけの声は、風に消えることなく、そのまま光へと溶けた。


 轟音が、遅れて落ちる。

 すべてを焼き尽くすような白の奔流。


 そして――闇。


 最後に残ったのは、ひとつの音。


 カラン――


 マイクがアスファルトに転がる音。

 そして、遠くで鐘が鳴った。

 嵐の中ではありえない、静謐な鐘の音。


 それはまるで、新しい“朝”を告げるようだった。


 その瞬間――。


 海上に、巨大な稲妻が落ちた。


 轟音よりも速く、光が世界を飲み込む。

 カメラの映像が真っ白に弾け、画面のすべての色が消えた。

 雨も、風も、声も、すべてが――止まった。


 時間が、凍りついたようだった。


 めぐみはただ、空を見上げていた。

 白光の中で、空と海の境界が消えていく。

 音のない世界で、彼女の心臓の鼓動だけが微かに響いていた。


(……あれは――)


 雲の奥。

 白い閃光の中心に、“何か”があった。


 形はない。

 けれど、確かに「視線」を感じた。


 それは怒りでも、慈悲でもない。

 ただ、観測している。

 この世界を、風を、雨を――そして、自分を。


(――見てる。空が、私を……見てる?)


 胸の奥が熱くなる。

 恐怖ではなかった。

 あの目は、世界を理解しようとするまなざし。

 それは、自分と同じ“観測者”の視線だった。


(あなたも、知りたいんだね。……この空の理を。)


 口元に、かすかな微笑みが浮かんだ。

 白い光がさらに強くなり、視界が溶けていく。

 現実の輪郭がほどけ、意識が遠ざかる。


 最後に、マイクが手から滑り落ちる音が響いた。


 カラン――


 その金属音だけが、沈黙の世界に残る。


 そして、暗転。


 光の中で、鐘が鳴った。

 まるで、どこか遠い国の朝を告げるように。


――静かだ。


 雨音が、遠ざかっていく。

 あんなにも荒れ狂っていた波の音も、もう聞こえない。


 世界が、呼吸を止めたようだった。


 めぐみは、白光の中で微笑んだ。

 頬をなぞる雨粒が、光の粒に変わって消えていく。

 そして、心の中にひとつの言葉が浮かんだ。


「空はいつも、私を見下ろしていた。

でも――今日、初めて、私が“空に見られた”気がする。」


 その言葉と同時に、視界がゆっくりと暗くなっていく。

 白い光が滲み、黒に溶けていく。


 音も、光も、彼女の輪郭も――静かにほどけた。


 最後に残ったのは、鐘の音。


 カーン……カーン……


 低く、遠く、まるで別の世界の空気を震わせるような音だった。

 その響きが、めぐみの意識を包み込む。


 闇の底で、彼女は微かに笑った。


(……やっと、空の向こうに届いた。)


 光の欠片が完全に消え、世界は闇に沈む。


 

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