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第2話 橋の上の戦術



 橋は一本。幅は大人が二人並べばいっぱい。

 灰原衛士は、左に刈り鎌、右に逆手の短剣を持ったまま、一歩だけ前に出た。背後には荷車を横倒しにして作った遮蔽物。湿らせた藁は白い煙を吐き、風が左右へ流す。

 敵影は二十余。皮鎧、粗悪な鉄。散開しているが、統率は薄い。先頭、手斧の大男。軸がブレない。一番厄介だ。


「聞け」

 衛士は村人にだけ届く声量で、短く区切って命令した。

「男三人、橋の右脇の石垣に。投石は肩より上を狙うな、顔と手首だ。女二人、煙は左右から。正面は切るな。荷車の後ろの棒で、俺の後ろに抜けたやつの足を払え。——子どもは鐘楼の裏から出るな」


 修道女が蒼い顔で頷く。彼女は名をリディアと名乗った。

 衛士はわずかに息を吸い、目の前の大男に意識を絞る。


「道を空けろ、村を焼く」

 大男が吠え、手下の士気を上げようとして斧を掲げた。

 衛士は一歩、内側に踏み込む。斧の円軌道に生まれる空白。その瞬間、刈り鎌の柄で手首を叩き、斧の角度を殺す。右手の短剣は腋下の柔らかい箇所を浅く刺して抜く。

 大男の息が詰まり、巨体が半歩よろめく——そこで蹴る。膝の外。巨体は橋の欄干に肩を打ちつけ、武器を落とした。

 衛士は追わない。倒れた斧は敵の足元に残しておく。拾わせ、姿勢を崩させる。


 次の二人が左右から突っ込む。

 衛士は短剣で右の突きを払いつつ、左の男の手首に刈り鎌の柄を絡めて引く。前に出た体重が空を掴み、男は自分から土に背中を打つ。

 その上に右側の男を押し込むように肩でぶつけ、二人まとめて橋の狭さに縛り付けた。

「今!」

 背後から投石が飛ぶ。顔に当たった男の瞳が潤み、反射的に武器を落とした。衛士は刈り鎌の背でこめかみを叩いて意識を落とす。殺さない。尋問の価値がある。


 煙が流れ、視界が千切れる。

 衛士だけが知っている切れ目を、迷いなく抜ける。踏み込み、足払い、柄打ち、関節を極めて倒す。

 村人の棒が倒れた男の足を払う。別の男が起き上がりかけた瞬間、荷車の角が肋骨に入る。叫びが上がる。

 敵の列が一対一に絞られる。数の利が消える。


「退け!」

 盗賊の後列が叫んだ。

 衛士は追わない。追撃は罠の合図になる。逃げる背に石は投げない。代わりに、先頭でまだ膝をついている大男の襟を掴んで、橋のこちら側へ引きずった。


     ◇


 戦いは十分で終わった。村人の死者はなし。噛み傷と打撲が数名。

 衛士は息を整え、倒した男たちの中から三人だけを生かして縄で縛らせた。尋問は少数で良い。群衆の前でやるべきではない。見世物にしないためでもあるし、余計な憎悪を育てないためでもある。


 リディアが恐る恐る近づく。「勇者さま……」

「勇者じゃない。兵士だ」

 そう言ってから、衛士は少しだけ笑みを見せた。口の端だけ。

「水と布。それに、刃物が触れていないパンか乾いたもの。先に飲ませてから訊く」


 縛られた三人は、煙で涙と鼻水を垂らした顔でうずくまっている。

 衛士は一人目の前にしゃがんだ。体をやや横向きに、手の届く位置で。

「名前」

「……ハ、ハルド」

「ハルド。ハルドはかしらか?」

「ち、違……オレは先頭さきで突っ込む係だ……」

「よし」

 短く頷き、パンを一欠片渡す。喉の動きを確かめる。飲み込める。

「誰の命令で来た。狙いは何だ」

「村の、女と子どもを……人質にして……王都へ売る。金になる」

 リディアの顔色が変わる。背後で村人が殺せと罵った。衛士は手を軽く上げ、静かにさせる。


「武器の出所は」

「……王都の商人。安くて、数が出る」

「印は?」

「白い百合を……逆に刺したもん

 衛士は目だけ動かし、足元の短剣の鍔を見た。薄く、潰れかけた刻印。確かに、逆さの百合が見える。偶然か、意図か。

 少年が息を呑んだ音が聞こえた。石垣の影で見ていたのだろう。衛士はその方向へ視線は向けない。見物にしない。


 二人目は口が固かったが、順序を変えた。

「王都で売る? どの門を使う?」

「南門……夜明け前」

「渡す先の呼び名は?」

「……“旅商の組合”だ。だが本当は、別の……」

「別の?」

 男は口を噤んだ。胸が荒く上下する。追い詰めれば嘘を混ぜる。ここは止める。

「よし。充分だ」

 衛士は立ち上がり、村人へ振り返った。

「こいつらは殺さない。働かせろ。穴を掘らせ、怪我人を運ばせ、瓦礫を片付けさせる。逃げないように交代で見張れ。怒りがあるのはわかるが、怒りで手を汚すな。手を汚すなら、俺がやる」


 ざわめきの中で、リディアが小さく頷いた。「……ありがとう、ございます」

「礼は要らない。——水と布を、もう少し」

 衛士が立ち去ろうとしたとき、耳の奥で囁きがした。

 『調律者』

 一瞬だけ、胸骨の裏で拍が重なるような感覚。

 衛士はその違和を、刀身の厚みと同じくらいに置いて、無視した。


     ◇


 夕暮れ、村の広場。

 噛まれた傷は洗い、酒で拭い、布で圧迫する。水で流すな、と繰り返し指示した。

 焚き火の上で鉄を焼かせ、村の鍛冶が印に目を凝らして言う。「確かに王都筋の品だ。ここらには回ってこねぇ刻印だ」

 村長がひどく怯えた声で言った。「王都に知られたら、うちは……」

「既に知られている可能性の方が高い」

 衛士は淡々と答えた。

「だからこそ、動線を閉じる。明け方、南の獣道に見張り。足跡は消せ。火は高く焚くな。鐘は二回だけ——村人の合図だ。三回は子どもと老人の退避。四回は最悪のときだ」


 リディアがためらいがちに問う。「最悪、とは」

「村を捨てる」

 リディアの喉が鳴る。けれど、彼女は頷いた。

「あなたは……王都へ向かうのですか」

「いずれは。今は、ここを動かさない」


 そのとき、見張りの少年が坂の上から駆け降りてきた。

「ひ、ひとが来る! 旗が……王国の紋だ!」


 広場に緊張が走る。

 衛士は刈り鎌を壁に立て掛け、代わりに何も持たない手を確認した。

 武器を見せないこと。相手の目的を先に聞くこと。距離は三歩分。

 斜面の向こうから、金具を鳴らしながら数騎が現れた。光沢のある鎖帷子。掲げる旗に王冠と剣の意匠。正規の兵だ。先頭の男は若く、口元に甘さが残っているが、目だけは硬い。彼は馬上から見下ろし、書状を広げて声を張った。


「王都よりの達し! 近隣村落に出没する盗賊鎮圧の指揮権は王国が預かる。勇者候補を召し出し、王都へ連れ帰る!」

 視線が、一斉に衛士へ向いた。

 ざわめき。誰かが「勇者さま……」と呟く。

 衛士は一歩前へ出た。三歩の距離を守りながら。

「俺を、拘束するのか」

 先頭の兵が薄く笑う。「ご協力いただけるのなら、拘束の必要はない。抵抗されるなら、もちろん——」

 腰の剣に軽く手が触れる。合図にも挑発にも見せない練度だ。

 背中で、村人たちの息が固くなるのを感じた。リディアが袖を握る。衛士はその指を一瞬だけ押し返してから、兵に向き直る。


 ——王国が盗賊の背後にいる可能性。

 ——それでも、王都に行けば得られる情報と、動かせる力。

 衛士は、一拍だけ考えた。心臓は静かに刻む。任務は、感情の外側に置く。


「……わかった。行こう」

 若い兵の口角がわずかに上がった。「賢明だ」

「ただし条件がある」

「条件?」

「村の安全は、俺の指示に従うこと。見張りの配置、火の扱い、鐘の合図。——王都のやり方で失敗したら、死ぬのはここの人間だ」

 沈黙。若い兵が、衛士を値踏みする目になる。

 数秒後、彼は短く頷いた。「……よかろう。君の言う通りにしよう」

 紙の上の約束に価値は薄い。だが、時間は買えた。


 馬が鼻を鳴らす。西の空は赤く、夜が近い。

 衛士は刈り鎌に目をやり、そして置いたまま背を向けた。

 武器より先に必要なのは、地図と構造だ。敵の。味方の。王国の。


 リディアが言う。「……あなたは、どこへでも行くのですね」

「行くさ」

 衛士は短く答えた。

「危険なのは、いつも前だ」


(第3話につづく)

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