五章 あなたを守る王女の力(1)
「おい、見ろよ」
「なんとまぁ、むごい」
街の大通りに人が集まって、ささやきあっている。
通りの真ん中には、若い女性の遺体が心臓を抉り取られ、血まみれで投げ出されていた。
「一時はおさまったと思ってたのに、最近は毎晩だぜ。うかうか夜歩きもできやしない」
「役人はなにをやってるんだ」
ゲルタは少し離れたところから、この様子を見ていた。
(なんとかしなくちゃ)
(このままでは、被害者が増えるだけだわ)
(だけど、あたし一人では、なんの力もない……)
城に戻ってからも、ゲルタの表情は暗い。
舞踏会から一週間。
ユリジェスと一度も、まともに話していない。
彼はアウレリエにそっくりの女性に魂まで奪われてしまい、夜ごとに彼女のもとを訪れ、朝まで戻ってこない。
ゲルタのことはもちろん、街で起こっている猟奇殺人に対する興味も、すっかり失っていた。
ゲルタは悲しかったが、それ以上に不安で胸が潰れそうだった。
舞踏会に現れた美女が、どこから来た何者なのか、誰も知らない。
ユリジェスが彼女とどこで会っているのかさえ、わからなかった。
(あの人は、とても嫌な感じがする……)
アウレリエに似すぎていることからして、不吉だった。
城の廊下を歩いていると、向こうから来たユリジェスとぶつかりそうになった。
ゲルタなど目にも入らない様子で先を急ごうとする彼を、呼び止める。に、
「待って! 街で、また人が死んだわ。舞踏会の夜から六人目よ! このまま放っておいていいんですか?」
ユリジェスは振り返って笑った。
ぞっとするほど冷たい笑みだった。
「アウレリエが私のところへ戻ってきたというのに、どうして今さらやつを退治する必要がある。私はもう関係ない」
彼がこんなことを言うなんて──。
「あの人はアウレリエじゃないわ。アウレリエは三年前に死んだのよ」
「違う。彼女がアウレリエだ。ぼくの一番愛しい女性だ」
「なにを言ってるの、目を覚まして」
立ち去ろうとするユリジェスの腕に、ゲルタは思わずすがりつこうとして、次の瞬間──飛びのいた。
ビリビリする火花が、ゲルタの体をはじいたのだ。
(なに、今……)
茫然とするゲルタを置き去りにして、ユリジェスは行ってしまった。
遠ざかってゆく冷たい足音を聞きながら、ゲルタは自分の体を抱きしめ、がくがくと震えた。
(今のは、“魔”だわ)
確かにユリジェスの体から、強い邪気を感じた。
剣のせい? ううん、剣は銀の鞘で封じてあった。それじゃあ……。
答えはひとつしかなかった。
アウレリエだ。
彼女の魔が、ユリジェスの魂まで犯しているのだ。
それで彼は変わってしまった。
(どうしよう、なんとか王子さまの正気を取り戻さなくちゃ)
けれどユリジェスはアウレリエに似た女性に夢中で、もう誰の言葉も耳に入らない。
(あたしに、なにができるの?)
胸がズキズキするほど考えるゲルタに、女官がパルヴィス男爵からの伝言を持ってきた。
ゲルタに話があるので、至急男爵の屋敷まで来てほしいという。
パルヴィス男爵は舞踏会の二日ほど前から行方知れずで、ずっと会っていなかった。
彼なら、なにか方法を知っているかもしれない。
ゲルタはすぐに馬車を走らせた。
◇◇◇
くしゃくしゃの服と、へんにゃりとした口髭で、パルヴィス男爵はゲルタを迎えた。
「よく来てくれた。アウレリエのことは、私もついさっき聞いて驚いている。そんなに似ているのかね? きみはどう思う? ゲルタ」
「肖像画から抜け出てきたみたいにそっくりです。でも、あの人は人間じゃない。なにか邪悪なものだわ。このままじゃ王子さまが危険よ」
パルヴィス男爵がうなずく。
「そう、その女性はアウレリエだけど、アウレリエではない。おそらく誰かが死んだアウレリエをよみがえらせ、操っているのだろう。この一連の事件の犯人がね」
パルヴィス男爵はゲルタの前に、古い書物を開いた。
紙が黄ばんでいて、ゲルタにはわからない昔の文字がびっしり書き連ねてある。
パルヴィス男爵がページをめくると、黒髪の男が描かれていた。
「死人使いのデュアラン。彼は魔界に住む貴族の一人で、赤い獣の姿で人を襲い、その心臓を喰らうと書いてある。デュアランに心臓を喰われた人間は妖魔になりよみがえり、デュアランのしもべになるという。デュアランは三百年前に封じられて以降、魔界へ戻り、人界との接触を断たれていたが、彼を再びこの地に呼び寄せた人間がいる」
「いったい誰がそんなことを」
男爵は言いにくそうに口を開いた。
「おそらくアウレリエだ」
ゲルタが驚きの目を向けると、苦しそうに顔をゆがめて続ける。
「アウレリエは、あのころ魔術にはまっていた。
もともと祖父が星を読む占い師として有名な人でね、この屋敷にある塔は、この世界と異界をつなぐ通路としての役割を持っていたんだ。
アウレリエは好奇心から、塔で悪魔の降臨を試みた。
『面白いものをみてせあげる』と私たちに言ったのは、おそらくそういうことだったのだろう。
アウレリエは魔界の貴族デュアランを呼び出し、彼の最初の犠牲者になってしまった」
「デュアランは、どうしたら倒せるの?」
「それがわからないんだ。ただ、三百年前にデュアランを封じた勇者のそばには王女がいたらしい。デュアランを倒せる可能性がある人間がいるとすれば、それは本当の王女であるきみだけだ」
パルヴィス男爵の言葉をゲルタは強く噛みしめた。
少しでも可能性があるなら勇敢に戦おう。
王子さまも、助けなきゃ。
「アウレリエの遺体は、どこにおいてあるの?」
「塔の中だ。遺体といっても骨だけだが」
「今夜、あたしを塔の中で過ごさせてください。そこでなにかが起こるような気がするんです」
「なら、私も一緒に」
「ううん、パルヴィス男爵は王子さまと一緒にいて、アウレリエのところへ行かないように引きとめておいてください。あたし一人でなんとかやってみます」
パルヴィス男爵が眉根を寄せる。
「しかし危険すぎる。きみは十五歳の女の子なんだよ、ゲルタ」
しんみりとした口調で言う。
なので、ゲルタは強気に答えてみせた。
「パルヴィス男爵も知っているでしょう? 不浄なものは、あたしにふれることはできないわ。あたしは“本当の王女”なんだから」
◇◇◇
ゲルタの決意が固いのを知り、パルディス男爵も引き下がらずを得なかったようだ。
それでも心配でたまらなそうに、ゲルタに聖水の入った水筒と、銀の短剣、銀の糸巻きを渡して、決して無茶をしないよう念を押すと、自分はユリジェスを見張るため城へ向かった。
ゲルタはパルヴィス男爵の屋敷でじりじりと夜を待ち、真夜中近くに塔に入った。
螺旋階段を、上へ上へとのぼってゆく。
塔の中は異様に寒く、冷たい空気が肌に突き刺さるようで、手足の感覚がだんだん麻痺してゆく。
ふいに、近くでヤギの鳴き声がした。
階段の上のほうに、白い影と、赤い影が、ひとつずつ浮かび上がる。
「やっぱり来たね」
ヤギが口を動かし、野太い男の声ではっきりそう言った。
ゲルタは冷たい手で首をひゅっとしめられたように、一瞬息を止めた。
ヤギは今度は低く笑った。
「こいつにおまえの力は通じないぜ。もともと王女に“滅ぼす力”はないんだ。それは王子の役目だからね。まぁ、今さら言っても無駄か。最後まで運の悪いお嬢ちゃんだよ」
なにか来るっ!
ゲルタがそう感じた次の瞬間、塔の壁からものすごい勢いでえんどう豆の蔓が伸びてきて、ゲルタの視界を閉ざした。
パルヴィス男爵から渡された銀の短剣で蔓を切り払いながら進んでゆくが、切っても切っても蔓はどこからか伸びてくる。
塔の最上部の部屋に向かって続く螺旋階段も、妙な具合にねじ曲がっているようだった。どれだけ登っても階段だけが延々と続く。
えんどう豆の迷宮に閉じ込められてしまった!
ヤギのいななきとともに、甘美で──なのに耳障りな哄笑が響き渡る。
「本当の王女よ、おまえは無力だ。おまえの力は私のうちにあるのだから」
人の心を萎縮させるこの声を、ゲルタは知っていた。
城へ向かう途中、雨と稲光の中、暗い森で会った黒づくめの紳士──。
恐ろしい嫌悪と、身体中を突き刺す痛みが、ゲルタを襲った。
どうしてパルヴィス男爵から本を見せられたときに、気づかなかったのだろう。
白い顔の紳士は、闇の貴族デュアランにそっくりだ!
あの夜のように、ゲルタの上に青い稲妻が走った。