序章 嵐の晩に、本当の王女は城の門を叩きました。
白い光が闇を切った。
空は一瞬、まばゆい紫に染められた。
ゲルタは薄汚れたショールが風で飛ばされないよう、しっかりと握りしめた。
雨と風は凶暴な獣のように荒れ狂っている。
なにもかもが憎悪をむき出しにしていた。
古いショールは水を吸って、びしゃびしゃだ。
防寒にも雨よけにもならないが、ないよりはマシだ。
こんな凍えそうな夜に、ゲルタは薄いショール以外、つぎはぎだらけの木綿のシャツと、色の褪せたスカートしか身につけていない。
靴は途中でなくしてしまって、右足しか履いていない。
歩くと左足の親指に痛みが走る。
爪が割れているに違いない。
もうずいぶん長いあいだ、一人で歩き続けていた。
王族が住まう城の塔は、ゲルタが住んでいた村からよく見えていたのに、一向に辿り着けない。
歩けば歩くほど、遠くなってゆくようだ。
闇と雨のため、目印の塔さえ見失ってしまった。
空がまたカッ! と輝き、ゲルタは身をすくめた。
その閃光に照らされて、闇の中に巨大な犬が浮かび上がった。
大きく開いた口から鋭い牙がのぞいているを見て、ゲルタは芯から震えた。
「しっ、しっ、あっちへおゆき」
勇気を出して手を振って追い払おうとしたが、動く気配はない。
唸り声も立てずに、じっとゲルタを見つめている。
獣の静けさが、ゲルタをいっそう怯えさせた。
それによく目をこらすと、犬ではない。
背中に大きな翼を背負っている。
(魔物──!)
ゲルタが悲鳴を飲み込んだとき、また空に稲光が走った。
天から落ちる光が、異様な姿をはっきりと照らし出す。
長い顔、
大きくしなやかな体、
優美な羽と長い尾、
それは魔物ではなく、石の像だった。
後ろに高い門がそびえている。
お城の門だ!
ゲルタは顔を上に向けた。
高い門の、そのずっと上に、突き出た塔が山のように連なっている。
天の怒りを前にしても少しも揺るがぬ尊大な様子は、この城こそが、すべてを支配する者の住まう場であると、誇っているようだった。
ゲルタは急に怖くなった。
とどろく雷鳴に混じって、ゲルタの無謀を嘲笑う声が聞こえてくるようだ。
帰れ、ここは、身寄りもなく貧しいおまえなんかが、足を踏み入れていい場所じゃない。
いったい、おまえに、なんの証しがあるというのだ。
おまえは、ただの思い上がった小娘だ。
帰れ、帰れ。
まとわりつく声を振り払うように、ゲルタは首を激しく横に振った。
今さら戻れるわけがない。
もうあそこで、周囲の人々の侮蔑と憐れみを感じて暮らすのは嫌だっ。
なんの喜びも愛情もなく、みじめに歳を重ねてゆくくらいなら、王族を騙った詐欺師として処刑されるほうがずっといい!
ゲルタはショールをかきよせていた手を、離した。
突風が、くたびれた布切れをあっというまに後方へ運び去る。
片方だけの靴も脱ぎ捨てて、ゲルタは裸足で門のほうへ進み、すっと息を吐いたあと、背筋をしゃんと伸ばして扉を叩いた。
今度この門から外へ出るときは、毛皮のコートを着て、繻子の靴を履き、金の馬車に乗ろうと決意しながら。