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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

偽装結婚の相手を好きになってしまったので好き避けしていたら

作者: 小寺湖絵


 はじめまして、私の名前はアリーセ・フェルナンデス。


 突然だが貴殿らに質問がある。


 貴殿等は重大な契約違反をしてしまった時、己にどのような罰を下しているだろうか。




「……やはり腹を切るより他ないか」

「どこの武将だ、お前は」


 ここが騎士団長の執務室だということも忘れ堂々と剣を抜く私に、団長は書類に視線を向けたまま呆れた顔で言った。危ないからしまえと言うので、仕方なく剣を腰の鞘におさめる。


 そしてくるくるペンを回しながらつまらなそうに資料をつつく団長にむかって尋ねた。


「団長、ブショーとは何だ?強いのか?」

「ああ強いぞ。お前が好きな織田信長もその1人だ」

「!オダノブナガか!敵はホンノウジにあり!」

「……俺の歴オタ知識がここまでウケたのお前だけだよ」


 強いなら良い。私は誰よりも強くありたい。


 例え相手が男であろうとも、だ。


 



「失礼します」


 次の瞬間、私は馬鹿みたいに飛び退いて背後の棚にぶつかっていた。中に入っていた本ががらがらがっしゃんと音を立てて床に崩れ落ちる。


「おーアリーセ、旦那が来たぜ」


 そんな私を見て、団長が意地悪くにやにやと笑った。しかし今の私にはそれに腹を立てる余裕もない。


「な…!な…!なんで…!」


 何故彼がここにいるんだ!! 


 体の熱が一気に頭部に……主に頬から耳にかけてのぼるのがわかる。まるで東の国にあるオンセンにつかりすぎた時みたいだ。


 団長の趣味で物が少ないこの部屋では隠れようにも隠れられずみっともなくあたふたしていると、ドアの前に立った彼が私の方に気づいて、嬉しそうに笑って見せた。


「アリーセ、ここにいたんだね」


 その瞬間、私の息は確かに止まった。


 なんてことだ、この男は私を殺せる。剣の名家であるフェルナンデス家の長女にして、閃光の騎士と呼ばれたこの私をだ。


 私を見つめる藍色の瞳が優しげに細まり、小首を傾げたことによって白銀の髪がさらりと揺れる。


 そのあまりの美しさに、私は思わず言って目を瞑った。


 ……く……っ眩しくて前が見えない!


 しかし駄目だ、平常心を保たねば。彼にこのことを悟られてはいけない、悟られるわけにはいけないのだ!


「あ、ああ。悪いか」


 私はなんとか体勢をたてなおすと、必死にいつもの騎士然とした凛々しい顔で彼に答えた。これでいい。これでいいのに、心の中のもう1人の私がぎゃあぎゃあと騒いでいる。ああもう何故私はこんなに可愛げがないんだ!


 しかし彼は、夫は、そんな私に怒った様子もなく、むしろさらに優しい声で微笑んだ。


「悪い?なんで。嬉しいよ。奥さんと会えたんだから」




「はえ…」



 次の瞬間、私はまるで魔物にボディブローを受けた時のような衝撃を受けた。


「ハエ?」


 我が夫はこてんと首を傾げ、どこ?とあたりを見回している。


 いよいよ命が危ない。


 私は突然襲ってきた衝撃に両手で心臓を抑え、1歩、2歩と後ずさった。


「アリーセ!?大丈夫!?どうかしたの!?」


 しかし私は忘れていた。


 私の夫は顔の造形が美しいだけではない。それは神の如く優しいのだ。


 彼の白く骨ばった手が、よろめいた私の腕に触れかける。


 こんな瞬間でも私の心臓はさらに鼓動をうち、私は反射的に彼の手を振り払った。




「だ、大丈夫だ!今日は少し調子が悪いらしい。医務室へ行ってくる!」


 少しだけ、ほんの爪先だけ触れた右腕を胸に引き寄せ、私は根性でその場に踏みとどまる。視界の端で団長が何かいいたげに見てくるが、どうでもいい。


 私に手を振り払われた夫は悲しげな顔をしていて胸が先ほどとは別の意味でズキリと痛むが、気づかないふりをした。


「それなら尚更、心配だよ。僕が診る」


「い、いい!ハルジオン殿は仕事があるだろう!私に構うな!」


 眉を下げる彼の横を抜けて、猛ダッシュで執務室を飛び出す。


 彼は政務官だ。流石に全力の私には追いつけないだろうし…………私のために、そこまでしないだろう。


 だが、私は自分で逃げておきながら、彼が絶対に私を追いかけてこないであろう事実に、身勝手に絶望した。


 そして同時に、半年前の浅はかな自分自身を恨む。


 ………何故私は、偽装結婚の相手に恋をしてしまったのだ!






 私は強くあらねばならない。


 200年続く名家にして、長年王家に仕える騎士を輩出している、フェルナンデス家の唯一の子だからだ。


 本来フェルナンデス家の家督は男が継ぐ。だが、我が両親は何故か子宝に恵まれなかった。


 親戚一同は理不尽にも母を非難した。非難したってどうにもならないのに、情けないだの出来損ないだの口ばかりを出して、母は病んでいく一方だった。


 母を溺愛する父は、仕事も領地もほっぽりだしてずいぶん昔から母にかかりきりだ。


 だから私は強くあらねばならない。


 12歳で成人してからは、騎士団に入団して、領地経営も手伝って、がむしゃらに働いた。


 領地経営の方はからっきしだったが、私は幸いにも武術の才能があったようで、剣の腕はめきめきと成長し、16になる頃には1番隊の副隊長にまで上りつめていた。


 女のくせにと陰口を叩いてくる奴は全員力でのした。体が生傷だらけだから嫁の貰い手がないだろうと言ってくる奴がいるが、そもそも結婚する気がないのでどうでもいい。


 はずだった。


 それは1年前、私が1番隊の隊長に任命された時のこと。


 安定した収入源も手に入れ、領民からの支持も得始めた私は、いざ父から領主の座を継がんと勇んで両親の療養する別荘へと向かった。


 私の性別が女だったばかりに人生を壊された人たち。放置され、正直苦労をかけられ育ったが、恨みはなかった。


「父上、私は領主の座を継ぎます」


 そう宣言する私を、以前会った時より少しふくよかになった母の肩を抱く父はゆっくりと見上げた。


 そして


「認めん」


 なんとも理解し難い返事をしたのだった。


「………は?」


 我ながら間抜けな声が出た。父はこの話を喜ぶだろうと思っていたからだ。


 父とは母が別荘に移ってから片手で数えるほどしか会っていないが、いつも口癖のように「早くお前に跡目を継いでしまいたい」と言っていた。


 私はそれが嬉しかった。息子に産まれるべきだった私が、父に期待されているようで。


 ……なのに、何故。


「……何故ですか。私が、女だからですか」


 無意識に出した声は震えていた。物心ついた時からずっと言われ続けてきた言葉なのに、それを父本人から聞かされるのだけはどうしようもなく怖かった。


 しかし、父から返ってきた言葉は、私にとって予想外も予想外のものだった。


「ちがう。お前が生涯連れ添う伴侶と結婚するまで認めんと言っているのだ」


「………は?」


 2度目の間抜けな声が出た。


 意味がわからず数秒ほど考えたが、しかしすぐにその答えに辿り着く。


 ……ああ、たしかに独身の女騎士が1人で領民を守るのは難しいだろう。それにしてもこの父、長年仕事をほっぽり出しておいてなかなか図太い。


 私は呆れたが、父のいう通りいわゆる婚活をすることにした。


 子作りなし  

 同衾なし

 恋愛感情は持たない

 互いの生活に干渉しあわず

 自分のことは自分でやること


 その条件にヒットしたのが──教会で上級者治癒術師をしていて、時折宮廷に奉仕にきている、ハルジオン・ナディルだった。


 正直こんなモテる男が婚活、それも客観的に見てふざけているとしか思えない私の釣り書きにひっかかるとは思わなかった為、驚いた。


 しかし話を聞くと、彼は女性にあまりにモテすぎて女性不信となり、しかし父親に結婚をせかされて困っていたという。


 完全に利害が一致した私たちは、なんとその日のうちに婚姻届にサインし、互いの両親に挨拶をし、無事領主となった。



 それから私たちの偽装夫婦生活は始まった………かに思えた。


 愛のない夫婦生活は、半年も経たずに終わりを告げてしまったのだ。


 というか終わらせた。私が。


 なんと私は、彼のことを好きになってしまったのだ。



 


 最初は順調だった。


 結婚しても私たちの生活はさして変わらず、それぞれのペースで好きなように生きる。


 朝は団長に朝練に付き合ってもらうために日が登る前の時間に家を出て、日中は隊長として団員たちに稽古をつける。昼間になると家に帰って領地経営の代理をしてくれている男と打ち合わせをして、帰ったら任務に戦闘訓練。終われば月が昇る時間まで事務仕事をして、夜がふける前に家路に着く。そして執事長からその日の報告を聞いて、夫とは別の部屋で眠りにつく。


 ハルジオンも私と同様、希望通り仕事漬けの日々を送っているようだった。しかし結婚から1ヶ月後。ハルジオンが急に困ったような顔で言い出したのだ。


「疲れてるのにごめんね、アリーセ。領地経営を代理してくれているあの男の人のことなんだけど……実は、不正していたみたいなんだ」


 それは長年彼を信頼し実の兄のように懐いてきた私にとってショックな出来事だった。


 ハルジオンは基本的に我が領地の経営に関わらないが、ある日偶然彼の不正の証拠を見つけてしまったらしく、声をかけたら逃げたので通報したらしい。彼は今は独房にいるという。


「そんな……どうして彼が………いや、感謝するハルジオン殿。領主なのにそんなことにも気づけないとは自分が情けない」


 私はあまりの不甲斐なさに歯噛みした。己の考えの甘さにつくづく嫌気がさす。


 それと同時に私は焦っていた。領地経営のことだ。母を追い詰めた親戚連中には絶対に任せたくないし、他に経営において頼りになる人間はいない。


 ぎゅっと両拳を握りしめ歯を食いしばる。


 やはり経営は領主たる私がするしか……。




「よかったら僕がやるよ」



 次の瞬間、私の両拳は自分のものより大きくあたたかい手で包まれていた。


 驚いて顔を上げると、自分より頭ひとつ分上に、優しい眼差しで私を見つめるハルジオンの顔があった。


 この時はじめて、私はこの男がだいぶ整った顔立ちをしていることに気づいた。


 男にこのような視線を向けられるのに慣れていない私は驚いて固まってしまう。


 それにこの男は今なんていった?

 自分が領地経営をやると言わなかったか?



「しょ、正気か!?貴殿はとてつもなく忙しいだろう!同情はよせ、私がやる」


「それをいうならアリーセだってとてつもなく忙しいじゃない。僕の職場は働き方改革で君よりも休日も多ければ勤務時間も短い。それに領地経営だって、父の仕事を手伝っていたことがあるからきっとできると思う」



 なんてことだ。こんなところに優秀な人材がいた。優秀を通り越してなんだか都合が良すぎる気がしてくる。


 しかし、私はそれでも気が引けた。


 何故なら互いに干渉しないことを契約に私たちは結婚したのだ。


 私は表情を曇らせ、彼から目を逸らした。



「だが、貴殿に迷惑をかけてしまう……」



「迷惑じゃないよ」



 しかしその目は強制的に彼の顔へと戻された。ハルジオンが私の顔を両手で包み込んで戻したからだ。


 またもやびっくりしてしまう私に、ハルジオンはひだまりのような微笑みを浮かべ言った。


「夫婦とは支え合っていくものだ。そんなに気になるなら、今度僕もアリーセに頼ってもいいかな」


 私は彼と出会った当初、なんて軟弱そうな男だと思っていた。だが、それは大きな間違いだったようだ。私はつくづく人を見る目がない。


 彼は柔和な見た目に反し、懐の大きい素晴らしい男だった。


「ああわかった!存分に頼るがいい!フェルナンデス家の名にかけて貴様を存分に甘やかすと誓おう!」

 

 感動した私はガッと彼の両手を掴み、大声で宣言する。


 ハルジオンはぱちぱちと目を瞬かせていたが、次第にその目を綻ばせ、さも楽しげに笑った。


「そう、楽しみにしてるよ」





 それからハルジオンによる領地経営が始まり、私とハルジオンの接触は格段に増えた。


 ハルジオンは素晴らしく有能な男だった。彼に経営を任せてから領地はより豊かになり、領民は婿に来てまだ半年ほどしか経っていない彼を強く支持している。


 そんな彼の姿を見るたびに私はついつい感心してしまい………気がつくと、何故だかそこに妙な感覚がくっつくようになった。


 たとえばハルジオンに笑いかけられると胸がギュンッとなるし、ハルジオンが切ない顔をしているとなんだかなんでもしてやりたくなる気分になる。


 病の一種かと思い団長に相談してみると、団長が呆れた表情で盛大なため息をついてきた。



「いや……ええ……?お前さぁ……まじで言ってる……?」


「団長、やはり私は死ぬのか?この間も訓練中、ふと近くを通りかかったハルジオンに笑いかけられて眩暈がしたんだ。しかし医務官はそんな病気聞いたこともないというし………団長のかつて住んでいた世界にはあったか?」


「……………あったよ。つーかこの世界にもあるよ。お前の好きな織田信長もかかった病気だぞそれ」


「な、なんとオダノブナガが!?それは本当か!やはり筋肉の酷使などが影響しているのか……」


「いや、卑弥呼もなったぞ」


「ヒミコもか!?ヒミコは武闘派だったのか!」


「それはしらねえ。………はぁ、あのさぁ、お前それ、恋愛感情だろ」


「…………………レンアイカンジョウ?」



 その言葉の破壊力に私の脳はショートした。


 レンアイ……まさか、恋愛のことか。恋……?私が恋をしている……?ハルジオンに……?


 

 数秒後、私はガタッと音を立てて執務室の椅子から立ち上がった。


「お、愛の告白でもしにいくのか?」


 そしてニヤケヅラで私を見上げてくる団長に、ものの数秒で書いた書簡をわたし、宣言した。



「切腹する!」


 



 結局切腹は止められてしまい、私の苦悩の生活は始まった。


 最初は団長のいつもの冗談だと思い込もうとした。だが一度意識した途端、私の彼に対する挙動不審は急激に悪化していった。


 これはもう認めるしかない。


 私は自分で契約結婚の条件を提示しておきながら、自らその契約に背いてしまったのだ。その事実が恥ずかしくてたまらなかった。


 こんなみっともない自分、ハルジオンには絶対に知られたくない。


 私はそれ以来、彼を避けるようになった。


 朝は新婚の時以上に早く家を出て、日中は彼の職場から一番遠い訓練場で稽古、昼は自宅に帰らず団長の執務室にひきこもり、その後は外での任務を買って出てがむしゃらに働き、夜が更けるまで事務作業をし、ハルジオンが寝た時間に帰ってきたら、執事長からその日の報告を受け領主にしかできない仕事をする。


 団長には呆れた顔で「夫婦なんだから別にそれでいいだろう」と言われたが、ハルジオンは女が苦手なのだ。


 私のような女から性的な目で見られていると知ったらきっと嫌に違いない。


 私は日がな一日中、常に彼のことを避けながら、常に彼の悲しげな顔が脳裏にちらついていた。








「さっきのは流石に可哀想だったんじゃねーの」


 執務室から逃亡し、医務室で「異常なし」のお墨付きをもらったにも関わらずごねて居座っていると、団長が呆れた顔で入ってきた。


 私はなんだか居心地が悪く、唇を尖らせてそっぽを向く。


「…………べ、別にそんなことはないだろう。私たちは偽装結婚なのだから」


 するとさっきまで私に帰れ帰れとうるさかった医務官のミカコが「ははーん」と言いながら意地悪い顔で振り返ってきた。


「アリーセ、あんたもしかして、まだ夫から好き避けしてるんでしょ」


「す、好き避け……?」


 団長といいミカコといい、異世界から来たものの使う言葉は独特だ。意味がわからず首を傾げている間にも、団長とミカコは異世界人同士で意気投合している。


「あーー好き避けな。それだわ。さすが元同人作家、語彙が豊富だよな」


「うっさいわよユウシ。あんた身近にいながらこんな面白いこと放置してんの?」


「こっちにも色々あんだよ。こいつ素直でまっすぐだから下手なことできねーだろ」


「あー…たしかにね」


「………ドウジンサッカ?」


「こっちの話よ。それよりアリーセ、あんたに頼みたいことがあるの」


 話について行けずポカンとしていたら、ミカコが急に何かを持ってこっちにずんずん近づいてきた。


 なかば押し付けられるように手に持たされたのは、大量のポーションが入った木箱だった。鍛えている私でもかなり重い。


「……ミカコ、これはなんだ?」


「ポーションよ。これを教会の連中に届けにいって欲しいの」


 その瞬間、私は木箱を足元に置いて走って逃走をはかった。


「待て」


 だがその前に団長に首根っこを掴まれてしまい、元いた場所に引き戻される。ぐ…っ本気を出した団長には勝てない!


 私は唇を噛んで拒絶の意を示すためにぶんぶんと首を振った。

 

「嫌だ!」


「子供か」


 ミカコがため息まじりに突っ込んでくるが今の私には全く響かない。


「何故私が運ばなくてはならないんだ!部下に運んで貰えばいいだろう!」


「医務官は治癒術の腕以外はからっきしなのよ。あんた馬鹿力なんだから余裕で運べるでしょ」


「転送魔法で送ればいいだろう!」


「そんなことに魔力つかってらんないでしょ」


「ぐ……っ」


 たしかにミカコが室長をつとめる医務室の人々は多忙だ。……主に私たち騎士団のせいで。一応その自覚がある私は、こう見えてミカコには頭があがらない。


 それでも素直に首を縦に振ることができず拳を握って黙り込んでいると、ミカコが私の手を握り、上目遣いに私を見上げてきた。



「それとも、なに?フェルナンデス家の当主様は、国民からの依頼を無碍にするの?」




 私は目から汗を流しながら木箱を持ち政務室へ走った。




「ふふ、せいぜい焦りなさい、アリーセ」


「………お前意地悪だよな」


「あんたには言われたくないわよ」





 はぁ…はぁ……ここが教会本部か……


 別に急ぐ意味もないのに猛ダッシュをした私は、額の汗をぬぐいながら古い扉を見上げた。


 そういえば本部に来たのは初めてだ。ハルジオンはいつもここで仕事をしているのか……。


 意識した途端、なんだか無性にそわそわした気持ちが湧き上がってくる。


 ………それにしても、どうやって中に入ろうか。まずノックを3回するだろう。その後は?『失礼する』?いや、『失礼します』か。いやしかし夫がいるのに他人行儀すぎやしないか?いやいやでも夫とは偽装結婚で………


 無意識にぶつぶつと呟いていた時だった。



「ねえハルジオン様、どうして私を選んでくれなかったの?」



 突然耳に入り込んできたその声に、私は咄嗟に物陰に身を潜めた。



 物陰から覗き込んだ視界にうつったのは、相変わらず麗しい微笑みを浮かべるハルジオンと、そのハルジオンの腕に白い細腕を絡ませ上目遣いに彼を見つめる小柄な少女だった。


 ハルジオンより頭2つ分ほど小さい華奢な彼女は、この世の万物の庇護欲を掻き立てるような愛らしい見た目をしていた。


 子猫のように大きな瞳は蜂蜜のような色をしていて、ブラウンシュガー色の髪はふわふわと宙に靡いている。


 そんな彼女とハルジオンが隣に並ぶ姿は、まるで一枚の絵のようにしっくりときて、お似合いだった。


 私の心臓が未だかつてないスピードで鼓動を打つ。もちろん今までハルジオンに感じてきた類のものでなく、どちらかというと、災厄級の魔物と相対した時に感じた胸騒ぎに近かった。


 ………ハルジオンはなんと答えるのだろう。


 私は恐怖で心がすくむと同時に、どこかで期待をしていた。


 もしかしたら、彼は彼女とてんびんにかけて私を選んでくれたんじゃないかと。



 ……だが、



「仕方ないよ、君より先にあの子とお見合いをしたんだから」



 それは今の私にとって、一番聞きたくない言葉だった。


 ………そうか。ハルジオン殿は私とお見合いなんかしなければ、こんな美しい令嬢と結ばれていたかもしれないのだな。


 再び、目からポロリと汗が流れる。

 ……いや、認めよう。これは涙だ。


 彼に恋をしてから、私は泣いてばかりだ。


「………フェルナンデス家の当主ともあろうものが、ずいぶん女々しくなったものだな」


 手の甲で乱雑に目元を拭い、私に気づかず立ち去っていく二つの背中を見送る。


 そしてすくりと立ち上がった私は、あることを決意した。


 次に会った時は、彼から逃げない。


 


「ハルジオン殿、離縁しよう。もう君とはやっていけそうにない」




 その日の夜、私は少し前に団長からもらった秘蔵のワインを持って、ハルジオンの部屋に押しかけた。


 夜も更けた時間にも関わらず襲撃してきた私にハルジオンは驚いた顔をしていたが、相変わらず優しい笑みを浮かべ迎え入れてくれた。


 彼にすすめられたソファに腰掛け、互いにグラスに入れたワインに口をつけたあとのことだった。


 私は、神妙な顔で彼に別れを告げた。




「…………」




 返事がない。


 私はずっと俯いていて、彼が何を考えているのか全くわからない。


 喜んでいる?悲しんでいる?

 それとも、なんとも思っていない?


 知るのはおそろしかったが、どうしても気になって恐る恐る顔を上げた私は




 ハルジオンの表情を見て背筋が凍った。




 彼は、無表情だった。


 何も感じていない──というより、今まで被っていた仮面を今しがた外したかのような、表情が抜け落ちた「無表情」



「ハ、ハルジオン……」



 私は自分が震えていることに声を発してから気づいた。


 そんな私に何を思ったのか、ハルジオンはにっこりと微笑む。しかしいつものような花の綻ぶような笑みではない。まるで貼り付けたような形ばかりの笑顔だった。



「………ああ、ごめんね。びっくりしちゃって」



 一見普段通りの彼なのだが、心なしか声のトーンがいつもより低い気がする。それに抑揚がない。



「どうして?」



 たった4文字のシンプルな質問に、用意していたはずなのに、言葉がなぜか上手く紡げない。



「僕のこと最近避けていたのと同じ原因なの?」



 ………そうだ。

 それだけは正確に答えることができた。


 私は重たい頭をゆっくりと縦に振った。



 ………だが、下にもたげた頭を再び戻すことは、叶わなかった。



 突然視界が反転し、体が床に崩れ落ちる前に、何か温かいものにふわりと包み込まれる。




「───そう、じゃあ話し合いは必要ないね」




 最後に聞いた言葉は、ひどく冷たく、そして悲しみに暮れていた。








 ここ数週間、私は彼から避けるためにあれこれ仕事を詰めていた挙句ろくに眠れていなかったので、アルコールを口に入れたことで蓄積されていた疲労が解放されてしまったのだと思う。


 次に目を覚ました時、私は知らない寝室にいた。


 ……ここはどこだ?そして今は何時だ。


 部屋の中はカーテンで締め切られているから、今が朝なのか夜なのかすらもわからない。とにかく馴染みのない布団から起きあがろうとしたその時。



「アリーセ、起きたの?」



 

 横から聞こえてきた声に、私は驚いて反射的に抜刀の姿勢に入った。……が、そこに剣がないことに気づき、全身から血の気が引く。


 しかし目の前にいる人物が見知った男だとわかった途端、私は安堵に肩を下ろした。



「……なんだ、ハルジオン殿か」



 そこにいたのは、めずらしくシャツとスラックスだけというラフな格好をしたハルジオンだった。


 風呂上がりなのか肌はほんのり赤く上気し、片手でバスタオルを持ち髪を拭う姿はどことなく色っぽい。



「すまないハルジオン殿、最近疲れていたから、眠ってしまったようだ。迷惑をかけた」


「ううん。謝らないで。僕もまさか倒れちゃうほど効くとは思わなくて」



 そういえば酒など飲んだのはいつぶりだろう。偽装結婚といえども、周りが配慮していたのか結婚してから飲み会をする頻度がガクッと減った。


 酒は体に悪いというが、仕事上全く飲まないのもよくないな……定期的に飲んで慣らさなくては。


 そんなことを考えていたが、ふいについ先ほどまで話していたことを思い出す。私は慌てて座り直し、何故か自然と隣に座っている彼を見上げた。



「それでハルジオン殿、話の続きなのだが」



「………?なんのお話?」



「………え?」



 ポカンとした顔をするハルジオンに、私もポカンとした顔をする。


 間抜けな顔で見つめ合うこと数秒。最初に手をポンと叩いたのは、ハルジオンだった。



「ああ、孤児院の慰問の話?前回はすごく好評だったものね。またやろうか」


「え…?いや、ちが……」



 まるであの話などなかったかのようにハルジオンは初耳の話を進める。


 孤児院の慰問?ハルジオンはそんなことをしていたのか?というかそんな話した覚えもない。


 彼の話が理解できず困惑していると、ハルジオンは心底心配そうな顔で私の顔を覗き込んできた。



「……アリーセ、大丈夫?さっきから変だよ?まだ混乱しているのかな」



 そうなのかもしれない。先ほどから妙に体がむずむずするし、なんだか熱っぽい。



「慰問になんて、行っていたのか」


「うん。何回かね。ちょっと待ってね、その時もらった手紙があったはず…………あ、あった」



 私の質問にハルジオンは当然のように頷いたと思うと、急に立ち上がって部屋の棚を漁り始めた。


 そしてそこから両手に抱えるほどの箱を探し当て、にこやかな顔でそれを私の元に運んでくる。



「ほら、すごいでしょ」


「…!」



 彼に促されその中身を訝しげに見た私は、驚きのあまり思わず息を呑んだ。




 それは彼が領民からもらった、大量の手紙や花だった。




「実はこのほかにもたくさんあるんだけど、箱に入りきらないから倉庫に保管してるんだ」




 この箱を見ただけで、私は彼が領民に愛されているかを思い知った。


 私も領民から手紙や貢物をもらうことはあるが、短期間でここまでの量はない。しかし彼の人柄と領地経営の手腕なら、それもあり得るだろう。


 私は今更、彼がこの領地にもたらしてくれた数々の恩恵を思い出した。




 ………だめだ、私は、私たちはもう、彼を手放すことは、できない。




「…………すまない…………ハルジオン殿……」




 気がつくと私はまた性懲りも無く涙を流していた。


 そんな私に、ハルジオンはあたふたと真っ青になったり何故か真っ赤になったりしながら慌て始める。




「え!?ど、どうしたのアリーセ!あっもしかして昨日の告白のこと!?」



「は?告白?」



 だがその涙もハルジオンの言葉で一瞬で引っ込んでしまう。


 待て、なんだそれは。

 覚えていないぞ。

 私はなにを告白したんだ。


 一瞬で顔面蒼白なのかゆでだこ状態なのかわからない忙しい顔になる私に、ハルジオンはその美しい貌を恥ずかしげに逸らし、言った。





「…………僕も好きだよ、アリーセのこと」







「#/$%\×>#!?」





 その日、私は羞恥のあまり2度目の気絶を果たした。


 


 



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― 新着の感想 ―
面白かったです! 仕方ない、の真相だけ知りたいぃぃ!
ハルジオンさんは、お酒になにを盛ったんでしょうか…
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