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水色の瓶の酒があと2割ほど、というところで、アキュレスに呼ばれていた三人と、夜中に工房で作業をしていたニコリネの護衛となっていたウルバンが戻ってきた。
「ウルバン、ありがとう。ニコリネ先生は寝た?」
「はい!工房で作業中に眠ってしまいましたので、お部屋まで運ばせていただきました!」
「…添い寝までしてあげたらよかったのに。」
ルシアが口端を上げて言うと、ウルバンは日焼けた色黒の顔を真っ赤にして、えっ、あっ、いえっ。などとくるくると表情を変えた。黙っていると、ただただこわい見た目の彼だけれど、こうしてひとたび話せばとてもかわいい表情を見せる。そこがニコリネのお気に入りポイントなのだろう。
「トッシュ、コレ美味しかった。…ありがとう。」
カウンターの中で青い瓶をビューマーに向けて振ったルシアは、ああ。というビューマーの返事を聞いてからグラスを三つ取り出し、まんまるの氷を作っていく。
「副団長サマからのご寵愛のシルシのお酒、だから、ね。」
はじめてもらったやつ。笑みを浮かべたルシアは青い瓶にのこる中身を三等分して注いでいく。
「ルシア様…そのような貴重なものをいいのですか?」
ニックスが言って、ルシアは酒瓶棚を示した。様々な瓶が並んでおり、どれもそこらでは手に入らない逸品だ。
「ここにあるの全部そうだから。これとこれが二番目で、これが三番目で、これが四番目…だけど、よその女から贈られたやつだから、トッシュとケンカしたときにでもヤケ酒で飲みなさいってシエナが。でも、最近はそういうのばっかりみたいで…ケンカをするほど会えないし、こんなにヤケ酒ばっかりできないわよねぇ。」
本人が目の前にいるにもかかわらず楽しそうに言って、ビューマーがヤンセンに睨まれていることに気が付いていないようだ。
「リーアム、ニックス、ウルバン、どうぞ姫様秘蔵のとっておきのお酒よ?」
トレーに乗せたグラスを一瞬でテーブル席に運んだルシアは、ビューマーが睨まれていることには気づいていたらしく、ヤンセンに大丈夫よ、と、なんでもない風に笑顔を向ける。
「リーアム、大丈夫よ。トッシュ以上に私にも求婚と貢物が領城に殺到しているみたいだから…そこはお互いサマ。」
む。とした表情で、ヤンセンは頷くが、表情を固くしたままだ。
「…姫様、第2王子殿下からの求婚はどうなされるおつもりですか?」
「どうなされるも何も、断ったって向こうが諦めない限り継承権を持つ王子の求婚は断れないのだもの。…無視よ、無視。ソラルみたいに諦めてくれるのを待つわ。」
ソラル?カミーラは思うも、すぐに誰かを理解し、めまいを起こして倒れそうな気持ちになった。恐らく、シモーネ・ソラル・リーベンス第1王子殿下の事を言っているのだろう。兄であるゲオルグ殿下をヨアンと時々呼んでいるのは知っているが、まさか、第1王子までそのような呼び方をするとは...。
「…リーアム、あのね、実は…昔ね、ソラルと…第1王子殿下と結婚しちゃおうかと思っていたの。本隊にいるのも辛かったし、彼もべつに悪い人ではなかったし。ヨアンのためにもなるかなと思って。」
え?あ?は?色々なところから声が上がるが、ルシアはかまわずに言葉を続ける。
「でも、シエナがね、そんな結婚したって、また別の辛さを味わうことになるだけだからやめなさいって言ってくれて。それに従って本当によかった。…リーアムとこうやって再会できたのも、あの時、シエナが言ってくれたからだと思うの。」
「…シエナ様に感謝しなくてはいけませんな。」
と、思っているのはここにいる男たち全員だろう。カミーラは思ったが、もし第1王子とルシアが結婚していたら自分も彼女に会うことはなかったのだという事に気が付いた。
「ルシアちゃんがストームスに来てくれてよかったよ。」
「私も、ストームスに来れて、おかみに会えて幸せよ?」
カミーラが代表して言うと、皆が皆、それぞれの想いを込めて頷いた。
カウンター席が埋まってしまっているのでビューマーとルシアはテーブル席で長椅子に並んで座りぴったりくっついている。その向かいにはヤンセンが座り、二人を静かに見守っている。ただ、二人はどうやら全く色気のない話をしているらしい。
先程ルシアが入れたミルクティーはすっかり熱されて香りからも酒の気配は消えているように感じられるが、一滴も飲めないというビューマーが耐えられる程度なのかはカミーラには判別がつかない。
ルシアの不思議な熱に包まれて保温されているポットとカップを二つ、キャラメルタルトのついでに作ったキャラメルナッツを一緒にして出してやろうと準備しつつ、他の隊員と共に二人の会話をカミーラは盗み聞きしていた。
「…リーアムが私の近衛騎士になるのはわかるわ。むしろ、私からお願いしようと思っていたもの。…でも、あなたは副団長のお仕事があるでしょう?」
「本隊に行く準備でニックスとフリッチにほとんどを引き継いでいるから問題ない。…もちろん、緊急時は隊長職の者に近衛の任務を引き継ぐ事にはなるが。」
「でも…。」
「むしろ、ヤンセンをルシアにずっと付けているわけにいかないんだ。」
「どうして?リーアムは役職がないのだから、ずっと私のそばにいたっていいじゃないの。」
「…ゲオルグ殿下だ。殿下がヤンセンのことを聞いたら興味を示さないはずがないだろ?今回のことを話さないというわけにもいかない。そうなると会いたがるに決まっているし、ヤンセンなら殿下の近衛としても適任だ。」
「もしかして…シエナだけじゃなく、リーアムまでヨアンに取られるってこと?」
「…シエナ様もヤンセンもモノじゃないぞ?」
「私の大事な人はみんな、ヨアンに取られちゃうのって、どうにかならないわけ?あなただって、しばらく領城に呼び出されていたのでしょう?」
「…シアが関わる人間の全員を兄様は確認したいんだ。エイダもホルンもニコリネも、領城に通っていた時期があっただろう?子どもたちもそろそろ連れて来いと言われてるんだ。」
いつの間にか主が姿を見せており、二人の背後に立っている。
「でも…シエナは完全にヨアンのモノになってるじゃないの。」
ルシアが振り返りつつ不服そうに言うと、アキュレスは苦く笑った。
「ただ、抱いてるだけだろう?…そもそも、シエナ自身も兄様のモノだなんて思ってないじゃないか。」
「ただ抱いてるだけって…それが私には理解できないんだけど。シエナは花売りじゃないのよ?」
「姫様。…姫様はそのようなことは理解しなくていいのです。」
「…またそうやってリーアムはすぐ子ども扱いするんだから。私、もう立派ないきおくれの23なのよ?」
「シア、ルーはまだ22だ。今年の秋でお前は23になるんだからな?…絶対に間違えるなよ?」
22も23も大して変わらないじゃないのよ。唇をとがらせてルシアは言って、主を睨みつけている。睨みつけられていることなど気にせず、彼は言葉をつづけた。
「…そういえばまた陛下から手紙が来てたぞ?」
「重要な話はもう終わってるわ。どうせ大した内容じゃないから、ほっといていいって言ったじゃない。…もう持ってこなくていいから。」
「国王陛下の手紙を放置するな。…明日、私が取りに伺います。」
「…大した内容じゃなかったら返事は書いてもらうわよ?側近としての初仕事にしてあげるわ。」
「シア、側近の私的利用は禁止だぞ?」
「…国王陛下にかかわることなんだから私的じゃないはずよ?」
壮大な内容の兄妹ケンカがはじまりそうだ。カミーラはあわてて声をかける。
「…まあまあ、そんな難しい話はまた今度にして。」
ポットとカップとキャラメルナッツを仲良しの二人に、ルシアの酒瓶とグラスとキャラメルタルトをヤンセンの前にだして、主に笑みを向ける。
「アキュレス様もお召し上がりになりますか?ご用意いたしますよ。」
長年の付き合いだ。ストームスの主は妻がつくった物しか口にしないので断られるのはわかっている。けれど、どうせいらないだろと無視をするわけにもいかない。カミーラが訊いているうちにルシアはヤンセンのグラスに氷を落として控えめな量の酒を注いで彼に勧めている。
「いや、今日は先に失礼するよ。…たまに帰ってきた時くらい妻のご機嫌取りをしないと。」
「…結界、張りましょうか?」
ご心配なく。ルシアの言葉に苦く笑ったアキュレスは、後は頼むよ。カミーラに言い残し、その場を辞した。
おやすみなさいませ。カミーラが見送ると、ビューマーのひそめた声が聞こえた。
「…なんだかんだで仲がいいんだな。」
「まぁね。でも…お互いデキない同士だから結婚したって、エイダが昔言ってた。」
「…デキない?」
ひそめていた声をルシアは頷きとともにさらにひそめる。
「彼はね、魔力が高すぎて生殖能力がないの。エイダは男性に身体を触られるのが嫌なんですって。手を握られるのもおぞましいって。」
「…今日泣きながら抱きついてなかったか?…アキュレス様が背中を撫でていたように見えた。」
「あれはね、私たちもビックリ。…時薬、かもね。って、ホルンが言ってた。でもまさか、どこまでならデキるの?なんて聞けないわよね。…いくら家族でも。」
時薬という言葉に、カミーラはそっと笑みを浮かべる。若かりし頃、男のせいでもつれてしまったホルンとの仲も、時が解決してくれたようなものだ。昔のままの若さと芯の強さを持ち続けているホルンが少しうらやましくもあるが、今だから話せることだってたくさんある。ホルンと話す時だけは『おかみ』でも、ましてや『薔薇のカミーラ』でもない、ただのカミーラでいられるような気がする。
「...魔力が高すぎると能力がないのか?」
少し不安げな表情で魔法隊の面々を見るビューマーにルシアは呆れた顔をする。
「あのね、私と彼の魔力量って、魔法隊の全員の魔力を束ねてやっと半分あるかないか、くらいなのよ?。…異常なの、私たちは。私がバケモノなら彼だってバケモノなの。…大丈夫よ。彼らは相手さえいれば、無事に子孫をのこせるから。」
そうか。少しホッとした表情で魔法隊の三人を眺めるビューマーの眼は優しい兄のような眼をしていた。そこまで話してからルシアはポットを手にした。
「…はい、姫様特製のミルクティーをどうぞ召し上がれ。」
「ルシアが淹れたのか?」
そうよ。言いつつ、自分のカップのミルクティーにはどぼどぼと琥珀の酒を注いでいる。
「一応、無愛想ながらも酒場の店員だから…お茶くらい淹れられるのよ?…まぁ、ご存じの通り、出歩いてサボってることが多いけど。」
はい、乾杯。ほんのり甘い香りのするミルクティーとお酒の香りがぷんぷんするミルクティーの入ったカップが合わさり二人は笑みを交わした。
目の前にヤンセンがいてもすっかり二人の世界だ。途中で苦笑いをしたヤンセンがニックスとウルバンのテーブルに移ってしまっても、おかまいなしだ。
酒の席だというのに、歩兵隊員は警備についての話をしているし、魔法隊員(主にノルディン)はいかにルシアの魔法がすごいのかを話している。騎馬隊の隊長だというロートレックはただ皆の会話に耳を傾け静かに、時折、相槌を打ちつつ少しずつ飲んでいる。
それでも、とても穏やかな時間だ。いつも殺気立っていた北部領にこんな時間が訪れるだなんて。
いつまでも二人の邪魔をしてはいけないと、カウンターの中に戻ったカミーラはルシアが少し前まで使っていたグラスを片付けることにした。
ロートレックとともに魔法隊の話に耳を傾け、相槌を打ちつつ、カミーラはルシアの様子を見る。その表情は普段見る彼女の表情とは違う。
ワインの入ったジョッキを店先で傾けるときは無表情で考え事をしていることが多いし、困りごとの相談にのっているときは、その切れ長の銀色の瞳を細めていることがほとんどだ。
シエナと一緒にいるときの子どものような表情にも見えるけれど、すこし違う。先ほどヤンセンの膝の上で見せた不安気な表情とも違う。ましてや、薔薇のカミーラをからかったときの男前な表情とも違う。
女の顔。と、までは残念ながらいかないけれど…恋するオトメと言ったところか、カミーラが思った時だった。銀の瞳を抱えるまぶたと頬がほんのり染まったかと思うと、薄い唇がちいさな隙間をつくった。
指先まで鍛えているのかと思える太い指がキャラメルナッツをその隙間に優しく押し込み、薄い唇をなぞるように動いた。その唇が大きく弧を描き、今度はキャラメルナッツを持った細い指が肉感を持った男の唇に近づいた。
これが若い男女の中で流行っている『ご寵愛キャラメル』か。カミーラは思って、なるほど、これは流行るわけだ。と、苦く笑う。
ビューマーの唇が細い指ごとキャラメルナッツを挟み、しばらく後に指を解放されたルシアはおかしそうにでも幸福そうに笑った。
チラリとそれを盗み見た、フリッチとオイラーはひどくつまらなさそうな顔をして、がりがりとキャラメルナッツをかじっているのでノルディンは呆れた顔をしている。
キャラメルより甘い空気を漂わせて見つめあっている二人の距離があまりにも近いので、このまま唇を重ねてしまったら…とカミーラははらはらする。『周りが見えない似た者同士』とニックスが二人を言ったが、まさにその通りだ。
カミーラの心配をよそに、やがてビューマーが甘えるようにルシアの肩に寄りかかり、そのまま導かれるように頭を彼女の膝に置いた。どうやら眠ってしまったらしい。
「…かわいい寝顔。」
ふふふ。と幸福の笑みを浮かべて、ルシアは空になったのであろうカップに酒をまたどぼどぼと注いだ。と、口いっぱいに酒を含んだ唇を寝顔の唇に触れさせた。恐らく、舌で咥内をひらき酒を流しこんでいるのだろう。生々しい光景に、カミーラは思わず声を出す。
「ル…ルシアちゃん!」
「ひ…姫様!」
喉骨が動き、飲み込んだのを確認したルシアは愛しげにビューマーの唇を指でなぞってから顔をあげ、何?と怪訝な顔をした。
「そ…そういうのは、みんなの前ですることじゃないよ?ルシアちゃん。」
「…姫様、そのような…ことをするような姫様に育てた覚えは、ありませんぞ。」
ルシアはまずカミーラに顔を向けた。
「久しぶりのお休みなのに、今日も一日こんな時間まで付き合わせちゃったのよ?…ゆっくり寝て欲しいじゃない。」
そういうことじゃない。カミーラが言葉に詰まると、今度はヤンセンに顔を向けた。
「シエナにされたことをしているだけよ?…それに、8歳までしか育ててくれなかったじゃないの。」
む。リーアムは眉根を寄せたがその表情はどこか納得したような、覚悟を決めたような意思の強さを感じさせる。
「…ならば、これから改めて、姫様の教育をいたします。…近衛騎士に戻ることになったのですから。」
「もう育っちゃったけど?」
「今からでもお考えを改めていただきます。」
「大魔術師は石頭なのよ?」
「姫様は生まれたときから石頭です。私のしつこさを忘れたとは言わせませんよ?…3歳の時のことを覚えていらっしゃるのでしたらご存じのはずです。」
「…都合の悪いことは忘れるタチなのよね。」
ヤンセンと父娘ケンカのようなものをしつつも、ルシアは膝上のビューマーの頭をやさしく撫でている。
「…結局、こうやって…トッシュはいいとこばっかり持っていく…。」
ボソっとこぼしたのはフリッチだ。
「トッシュは昔からそういうヤツだよ。」
ふてくされた表情をしているフリッチにオイラーは冷静に言って、キャラメルナッツを口に放り込んだ。
「スヴェンは下心があるからそうやって傷つくんだ。…はじめから手の届かないモノ、と思っていればなんてことないのに。」
悟ったような事を言ったのはノルディンだ。
「…ルシア様は我らの女神だからな。」
まじめな声音で言ったのはロートレックだ。
「…お前たちのその感じ、ちょっとキモチ悪い。神じゃないって本人が言っているのに。」
「手が届くって思ってるお前たちの方が俺にしたらキモチ悪いけどな。」
「届くかどうかは伸ばしてみないとわからないじゃないか。」
「手を出そうとしている時点で、俺にしたら信じられない。」
「…ね、なんの話?」
ひょこっと現れて顔を覗き込んだルシアとの距離が近すぎて、フリッチはあわてて仰け反り、隣のノルディンに受け止められた。
「おかみ、下の段の一番右端の瓶を取って?…そうその緑の瓶。と、グラスを二つ。」
まだ飲むのかい?と言いたいところだが、お姫様の言うことにはだまって従うしかない。
「これね、昔…国軍のみんなが飲んでいたお酒なの。…まさかリーベンスのお酒だったとはね。いつか飲もうと思ってたんだけど…せっかくだからリーアムと飲もうと思って。」
「…ルシア様、僕も飲みたいです。」
「じゃあグラスを三つ。」
「…スヴェン、飲みすぎだ。」
「ソルはさっきから水ばかり飲んでごまかしてるくせに。」
「…カミーラさん、僕にもグラスをください。」
俺も。オイラーとノルディンが言ってカミーラはグラスを出してやる。洗い物がまた増えるじゃないか。思ったカミーラを見透かすようにロートレックがお手伝いいたしますよ。と苦笑いをした。