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「おかみ、今日はありがとうね。」
主のお下がりだろうか、黒のトラウザーズに白のシャツといういでたちで戻ってきたルシアはカウンターの中に入ってき、カミーラの隣に立った。普段はこのカウンターに立って客の相手をしているのだから慣れたものなのだろう。
先程まではドレスのようなワンピースを着て、髪の毛にリボンまでつけていたのに、すごい変わりようだ。リボンを編み込んでいたからか、いつもはサラサラの髪の毛が少し癖毛っぽく、目元を少し隠しているせいで色気を増している。...と言ってもそれは、女の色気というよりも、いい男がもつ色気だ。
「…おや、どこの色男が来たのかと思ったよ?」
からかうと、ルシアはニヤリと笑ってから、カミーラの立派な腰に腕を回して強引に抱き寄せた。え?とカウンターに座っていた騎士たちが固まっている。が、一番驚いているのは普段のルシアでは考えられないほど力強くたくましい腕に抱かれたカミーラだ。年甲斐もなく、胸の奥がぎゅっとなってしまう。
「ああ、愛しの薔薇のカミーラ。…今宵はあなたに奪われた恋心を叶えるため私は参りました。」
数十年前のように、そのまま頬を撫でられ顎をすくわれる。が、数十年前とは違って、自分の顎はずいぶんと肉厚になっていることをカミーラは知っている。
唇までは奪わないけど。なんてルシアは笑うが、この場の誰よりも男前な笑みにカミーラの心臓は跳ねるのをやめない。
「…だから、なんで…知ってるんだい。心臓に悪いじゃないか、ルシアちゃん。…倒れちまうよ。」
「先々代の公爵サマの日記に書いてあったわ。このあと燃えるような一夜を過ごしたのでしょう?…おかみはシエナ以上に悪い女ってことはちゃんと知ってるんだから。」
…燃えるような一夜。誰かがボソッと呟いて、ルシアはカミーラの顔を覗き込む。
「…たまにはカッコいいルシアちゃんもいいでしょう?」
手を離して、からからと笑ったルシアはグラスを5つ、カウンターに並べると指先をくるりと回してグラスの中にまんまるの氷を落とした。
「ル…ルシア様!ゆっくり、ゆっくりで、見せてください。」
『かっこいいルシアちゃん』にぼぉっとしてしまっていた様子のフリッチは慌てて自分の属性の魔法の観察をはじめる。
「フリッチ、お手。」
深い藍色の瞳をしたルシアはフリッチの手を取った。重ねた彼の白い手を通してゆっくりと氷がまんまるの形になっていく。2つ、3つ、4つと順に氷をつくり、ルシアはフリッチの手を離した。
「最後は私のグラスだからフリッチが作って?」
フリッチがきれいなまんまるの氷を作ったのを、さすがねと褒めてから、酒瓶棚からオイラーの髪色のような水色の瓶をルシアは取り出した。おかみも飲む?と、とてもうれしそうな表情で首を傾げる。
「姫様のお誘いならいただきますよ。」
うれしそうな表情につられて答えるとルシアは、新たなグラスを手にウィンクをした。
「では、麗しの薔薇のカミーラには特別に。」
言った瞳が虹色に光り、指がくるくると回るとグラスの中には薔薇の花の形をした見事な氷が現れた。
「ル…ルシア様…。」
「これは教えてあげない。」
「どうしてですか…?」
「…フリッチがこれでよその女を口説いているのなんて想像したくないもの。」
え。とルシアの言葉に頬を赤らめたフリッチは、少し拗ねたような顔をしてグラスに酒瓶を傾けている彼女を見上げる。またそういう事を言って…。カミーラは思うが、オイラーが冷静な表情で口を開いた。
「…ルシアさん、そうやってフリッチをからかうのはやめてください。…氷の他に火魔法と風魔法を使っているから教えられない、ということですよね?」
「あら、バレちゃった。…さすがは魔法隊隊長、御名答。あなたたち三人で、ならつくれるわよ?…三人で『遊び』に行くときは使えるかもね?」
ふふふ。と、ルシアは笑うが、ノルディンは心外だと言わんばかりの表情を浮かべる。
「…私は下心一切なく、ルシア様の魔法の解析と再現のみ追い求めておりますので『遊び』には行きません。」
「感心ね…って、ノルディン、少しは息抜きしたほうがいいわよ?」
「…ファルは毎日抜いてるから大丈夫です。」
どうせルシアには通じないと思ったのだろうフリッチが言うと、ノルディンとオイラーが彼の頭を同時に叩いた。もう。ルシアは頬をふくらませる。
「…あのね、いくら私だってそういうの、わかってるんだからね?…男たちは酒を飲むと、女の胸か尻の話か魔獣の話しかしないってことも知ってるんだから。」
呆れた、と言わんばかりのルシアの表情にロートレックは苦笑いをする。
「ルシア様、うちの魔法隊が申し訳ありません。」
「ロートレック、大丈夫よ。本隊ではもっとあからさまな会話はいっぱい聞こえたし。男所帯で育っているし。…さ、飲むわよ。姫様秘蔵のお酒だから、ありがたく飲んでね。」
おかみも。ルシアに氷の薔薇が入ったグラスを渡されたカミーラは若者たちの乾杯の輪に入れてもらえることを光栄に思う。
「薔薇のカミーラに乾杯、だからね?…あなたたち、よく差し入れをもらってるんでしょう?」
いつもありがとうございます。四人が頭をカミーラに頭を下げると、姫様は満足げに頷いて、グラスを掲げた。騎士様に頭を下げられるなど恐れ多いと言うのにこの娘ときたら。思いつつも、いばり散らさない男たちにカミーラは好感を抱く。領主が変わってから北部領もずいぶんと変わったものだ。暴君が来る前の、平和な北部領に戻りつつある。
とっておきのお酒だから特別な時に飲もうと思ってて。なんて言いつつも水を飲むかのようにすいすいとルシアは透明な液体を飲んでいく。
「ルシア様、ファルク様の話が聞きたいです。」
面長の紳士顔のロートレックが言って、ルシアはそうねぇ。と、自分のグラスに酒をどぼどぼ注ぎながら思案する。
「南部領に遠征に行ったときにフレイムウルフとレッドサーペントの争いをたまたま目撃したの。両方とも北部には生息しない魔獣だったからうれしくて…しばらく観察していたのね。争いはフレイムウルフが負けてしまったのだけど、その足元に仔がいて。
グスタフ様の教え通り、魔獣同士の争いには普段は加担しないのだけど、魔獣だろうと小さな命は見過ごせなくて…。どちらにせよレッドサーペントは討伐対象だったからそのまま討伐して、その仔だけを助けたの。…それが彼との出会い。」
注いだ酒を一口飲んで何かを考えこんだルシアは、ミルクってあったっけ?と顔を向けたので、足元の氷蔵からカミーラは瓶を取り出した。この氷蔵は、エイダの希望を叶えるべく、アキュレスが作ったものだ。あの夫婦も実はなんだかんだでとても仲がいい。
「アイリーンがすごく寒がったのと同じでね、ファルクもすごく寒がりで甘えんぼうさんで。フレイムウルフだからかと思ったけど、ウルフの仔の特性なのね。…本隊には別に、シャドウウルフとダートウルフもいるんだけど、仔から育ったダートウルフも同じように寒がったのですって。」
ルシアは話しながらミルク瓶を受け取り、ポットに先ほどビューマーに出した白い花の茶葉を入れて、手から少しのお湯をポットに注いで、ふふふ。と笑う。
「ロートレック、フレイムウルフの仔の毛の色は知ってる?」
「…なるほど。」
くつくつと笑い出した彼に、他の3人が首を傾げながら顔を向ける。ルシアは構わずに、ロートレックに向けて言葉をつづける。
「北部領に戻る時に引き離されてしまって…さみしくなってしまうからファルクの思い出は封印していたのだけど…。
本隊に戻るとなって、思い出せば思い出すほど、本当に何から何までそっくりなの。…まぁ、怒られちゃうんだけどね。」
「そう、でしょうね。」
ひとり笑うロートレックにルシアは少し困ったように頷く。ポットの中からふんわりとした花の香りが広がって、ミルク瓶がポットに傾けられた。
「…岩をも溶かす琥珀の炎狼。」
言った瞳を赤くしてポットの中に熱を送るようにルシアは手を動かす。
「…ファルクは燃える炎のような橙色の瞳にきれいな琥珀色の毛をしているの。出会ったばかりの頃は、全身ふわふわの赤茶色の毛におおわれていてね。…あなたたちの友人と何から何までそっくりなのよ。」
砂糖瓶からルシアにしては控えめな量の砂糖をポットに入れてから、彼女はグラスの中を飲み干した。自分のグラスとフリッチとノルディンのグラスにとぽとぽと酒を注ぎ足す。
「すごく強いウルフに育ったわ。私が育ててしまったからか大きさも他のウルフと比べて大きいし…っていうのは、フロストウルフのブラッドも変わらないわね。あのコは小さなときに私の魔力で治療をした特殊個体だから。」
ブラッドがトッシュに託したアイリーンも、とんでもない力を秘めてる。
ルシアはつぶやくように言って、そっと笑う。
「まさかね、炎と氷の逆属性のウルフを従魔にするとは思っていなかったんだけど…。あなたたちをみていたら、悪くない組み合わせかもしれないって思ったわ。」
フリッチとノルディンの顔を順に見てから、こくこくとまるで水を飲むようにルシアはグラスを開けて、酒瓶棚に手を伸ばした。
「あなたたちの手を取って鑑定したときね、ああ、この人たちはもっと強くなるって思った。…私の魔力に触れたらきっと…すごく、強くなるのだろうなって。」
深い琥珀色の瓶を手にしたルシアは自分のグラスに注ぎ、ポットの中にも回すように垂らした。
「だからね、スヴェン、ファル。…今よりももっと、もっと強くなって私を守って。」
二人に向けて笑みを浮かべたルシアは自分のグラスに細氷を降らせて、彼らのグラスにも手をかざすことなく細氷を降らせる。その細氷に引き寄せられるように二人はグラスを手に持ちそれぞれの唇を湿らせた。
「ガルもね、きっとこれから運命の出会いがあると思うわ。…そしてあなたも従魔と共にもっと、もっと強くなる。」
強い酒にもかかわらずためらうことなくルシアはグラスを傾ける。
「その時が来たら…そのコに私の加護を授けさせてね?」
「ルシア様…。もちろんです。」
ルシアにつられるようにロートレックはグラスを傾けた。その瞳は、彼女の瞳をまっすぐとみつめていたが、他の男たちと帯びている熱の種類が違う。純粋な親愛の熱だ。
こういう男の愛は時に、狂気に変わる。
過去の遠い記憶を振り返って思うが、ルシアはきっとその狂気すら受け入れ、包みこんでしまうのだろう。薔薇の氷が溶けて形が変わったのをみたカミーラはまるで今の自分のようだと目を伏せて、少し辛みのある液体で唇を湿らせた。