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大江戸虚空記録帖  作者: 朝倉春彦
肆:大火に蠢く者
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其の九十:鶴松、公彦と江戸を廻る

 三月三日の昼。オレは八丁堀と共に江戸の街へ出向いていた。やって来たのは、明日火種となってしまう車町の周辺。出向いてみれば、周囲を行き交う人々に普段との差を感じない。皆、これまでと同じように、何でもない一日を過ごしている。


「久々に見ると、海って結構綺麗なもんだな」

「あぁ」

「持って来た記録帖だけが余計な持ちもんだが…」

「仕方がねーだろ。数日比良を開けるんだ。握りがあるなら余計な仕事も回さないさ」


 海沿いで駄弁るオレと八丁堀。穏やかな波の音を聞きながら、辺りに不審者がいないかを見張る。まるでやってることは定町廻り同心そのもの。八丁堀の方を見ると、格好を当時に寄せたらしく、黒い羽織を着た姿は、パッと見同心にしか見えなかった。


「で、話は変わるが、現役の頃は、この辺にも良く来たのか?」

「んなもん、覚えてっかよ。生きてりゃ死んでておかしくねぇ年なんだぜ」

「そうだよなぁ…まだペーペーだと思ってたのに。気付きゃそうなるか」

「俺でさえそうなんだ。テメェ等は仙人だな」

「確かに」


 オレは砕けた笑みを浮かべると、寄り掛かっていた塀から離れて体を適当に動かした。凝りを解し、すぐにでも動けるよう調子を整える。


「適当に回るとすっかぁ…」


 そして、その一言と共に、オレ達は江戸を回り始めた。


 車町をクルリと回り…そこから、火の手が回る日本橋の辺りまでを行き来する。歩くには中々の距離だが、散歩には丁度良い。途中、オレ達と同じ立場で江戸に出てきた栄の親衛隊数名とすれ違い、挨拶を交わした。


「こんだけいりゃ、まぁ…十分さ」


 すっかり歴戦の顔つきになった親衛隊。少々の入れ替わりはありつつも、中の顔は変わらない。頼りになる連中だ。


「鶴松。そうでも、無さそうだぜ」


 親衛隊を見送った後で、八丁堀がオレの腕を突く。オレは八丁堀に示された方に顔を向けると、オレ達を感じ取れる奴と目が合った。奴は、遠くに居るから男か女かは分からない。一瞬、こちらをジッと見つめていた様で、オレ達がそちらを見やればヒュッと物陰に隠れてしまう。


「退屈はしねぇってことだろ」


 影に消えた者を見逃すオレ。追いかけても良いが、その先は大通り。人も特定できぬというのに、大勢に紛れられては打つ手が無い。


「そろそろ、比良じゃ虚空記録帖が煩くなり出す頃合いかな」

「だろうぜ。若けぇ連中が素直に動くかは見物だが」

「抜け殻になりたきゃ、勝手になるだろうさ。して、鶴松よ」

「何だ?」

「今回、俺達は、大火を起せば良いんだな?」

「あぁ、そう握ってる」


 ここに来て、再度の確認が入る。忙しさが一段落し、大火の話が比良中を駆け巡った後、俄に大火阻止の機運が若手管理人を中心に盛り上がりを見せていた。最初は取るに足らない話ばかりだったが、徐々に話は過激化し、一部の管理人による現実介入が現実味を帯びてきてしまったのだ。


 それを阻止せんと動いているのが、今のオレ達。しかも、今回の敵は、管理人だけではない。まだ消せぬ虚空人も混じっている。恐らくさっきオレ達を見ていたのは虚空人…そんな連中とも対峙せねばならないオレ達は、記録帖に現状を報告した上で、記録帖に一つの妥協を強いていた。


 それは、大火が起きればオレ達を吊るさないという事。当然、裏切りに動いたものはどうなるか…言わずともわかるだろう。だが、大火を起こす方向に動いた者には恩赦して欲しいと頼み、受理されたのだ。


 何かの切欠で、死ぬはず以上の人間が死んだり、記録帖に違反したりするかもしれない。それは見逃して欲しいといい、受理された。当然、違反者云々の尻拭いはオレ達の仕事だが…まぁ、これで大胆に動けるようになったわけだ。


「なにか見つけたのか?」

「いや、どれだけ派手にやっても良いかの確認さ」

「…もし刀を抜く羽目になっても、この間見てぇな斬り方はするなよ?」


 物騒な確認をしてきた八丁堀に釘を刺す。八丁堀は僅かに口元を歪めると押し黙った。


「アッチと違って後始末があるんだからな。バラバラになった死体は御免だろ」

「確かにそうだな」


 更に釘を刺すと、八丁堀の顔は僅かに覇気を失くした。何か、コイツも溜まってるものがあるのだろうか。オレはそれ以上の言及を止め、口を閉じて周囲を見回す。


 海沿いから離れていくと、波の音は掻き消え、代わりに人の喧騒しか耳に入ってこない。行き交う人々、店の中から聞こえる商人の威勢の良い掛け声…オレは比良のそれとは違う喧騒を、ジッと眺めては顔を他所の方へ向ける。


「江戸ってなぁ、案外何処も変わらねぇよな」

「そんなもんだ。そういう風に出来てんだから」

「お役人様が住まう地域に行けば違うかな?」

「確かに違うが、お前が行けば息が詰まるぞ」

「どういう意味だ」

「どうとでも取りな。俺もそういう場所じゃ息が詰まるんでな」


 八丁堀はそう言って口元をニヤつかせると、遠くに何かを見つけたらしい。オレに合図を出して気付いたものを指させば、それはこの時代の八丁堀だった。


「後輩じゃねぇの」

「働きぶりを見てる限り昼行燈だぜ。見てるふりだけだ」

「ほぅ…どう見て分かる?」

「見て分かんだろ…ほれ、すぐ横の道で起きてるスリにゃ無反応だ」


 八丁堀に言われて、初めて気づく犯行の瞬間。オレは足を止めて目を丸くして、八丁堀の方に顔を向けた。管理人になって久しいが、この手の嗅覚は未だに衰えていないのだろう。


「ま、あの程度自分で面倒見とけって話だがな。俺も手柄に追われてなきゃ見逃すね」


 オレの様子を見て得意気な顔を浮かべる八丁堀。オレが肩を竦めて歩き出すと、八丁堀もそれに歩調を合わせて歩き出す。事が起きるまで後少し、どうやら退屈はしなさそうだ。


「さて…日本橋に行ったら何か食おう。戦の前には腹ごしらえだ」


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