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大江戸虚空記録帖  作者: 朝倉春彦
壱:虚空の掟
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其の九:書き尋ねて候

 家に戻る頃には、昼九つと言った具合の空模様となっていた。ワタシと公彦は、朝を過ごした縁側に座り、少しの間体を休めると、やがて机の周りに集まった。


「アンタの記録帖は何処にあるんだ?」

「ワタシのか?ワタシのはそこの戸棚に入ってる。ま、今は不要さぁ」


 公彦の問いを受け流し、ワタシは奴の分の記録帖に手を伸ばす。ペラリと適当に開いてみたが、中には何も書かれていない。上質な白紙が外気に晒されるだけ。ワタシは机に置いたままの小汚い硯に墨を磨ると、筆を取って墨をつけた。


「さて、見てろよ」


 公彦にそう言ってから、白紙に質問を書いていく。書いた質問は、"守月公彦の来歴"…ただ、それだけ。


「記録帖は、書き手の意思を汲み取るんだ」


 サラリと書いた質問とも言えぬ質問、白紙に書かれたそれは、墨が乾く前に紙に飲み込まれて消えていく。それを間近に見た公彦は、思わずといった声を上げていた。


「文字が消え、赤字が帰ってこなきゃ、その質問はちゃんと聞き届けられた証だ」


 文字が飲み込まれて数秒。白紙のまま変わりない様子を見届けると、ペラリと一枚、紙を捲る。捲った先の光景は、公彦を更に驚かせるには十分だった。


「守月公彦…ほぅ、お前さん。次男坊なんだな。そんな奴がどうして同心になれた?…あぁ、長男の体が弱かったから…ほぉ~…昨日は適当にしか見てなかったが、案外面白れぇ経歴持ってんな」


 見開きでビッシリ一丁分。この男の生まれてから記録を犯すまでの行動が赤裸々に、そして完結に纏められている。公彦はその記録を目をカッと見開きながら、信じられないものでも見るような目付きで眺めていた。


「生まれてから、昨日まで。いや、正確にゃ、今日の朝までだなぁ。見ろよ、最後の方。文字が赤くなってるだろう?そこはな、本来そうあるはずだった歴史だよ。お前さんはあの廃屋の一室に捕らえられたまま一夜を明かし、次の日の朝には差し向けられた隠密廻りに斬られるハズだった」


 サラリと公彦の最期を告げると、奴は食い入るように最期の記録を眺め、そしてワタシの方に顔を向ける。


「これに偽りは無いんだな?」

「あぁ、ねぇよ。赤字以外、身に覚えはあるはずだが?」

「……そうか」


 放心する様に、言葉を絞り出した公彦は、ワタシが持っていた筆に手を伸ばした。


「どうした?」

「俺が書いても反応するか?」

「裏表紙に名前と年を書いたらな。それまで、お前さんは管理人になったとは言えねぇ」


 公彦の問いに答え、奴が手にした筆を取り上げる。公彦は特に抵抗はしなかったものの、僅かに震えながら、ワタシの方をジッと見つめてきた。


「この、俺の記録。赤字になったと言う事は、誰かに影響が行った訳だよな?」

「あぁ、そうだが?」

「見れないのか?俺を斬るはずだった隠密廻り、俺を嵌めた野郎は影響を受けてるよな?」


 公彦の言葉を受けて、ワタシの眉はピクリと吊り上がった。公彦は、表情こそ能面のままだが…僅かに肩を震わせ、何かに堪えている様な素振りを見せている。奴の考えを汲んだワタシは、無言で頷くと、紙を一枚捲り、白紙に筆を躍らせた。


 "守月公彦による違反の影響"


 踊る様に汚い字で書いたそれは、先程と同様、墨が乾く前に飲み込まれて消えていく。公彦はその様子を見て僅かに眉を潜め、そしてワタシの顔をジッと見つめてきたが、ワタシはそれに構うことなく、また一枚、紙を捲った。


 そこに現れたのは、半丁の間に纏められたそうはならなかった記録達。今朝方の江戸で起きた事柄が、淡々と書き記されていた。


「隠密廻りは…普通に仕事に出てるらしいが、問題はこっちだなぁ…お前さん、行方知らずになってる挙句、二人も殺した事になってるぜ」


 現れた記録を読み進めたワタシは、乾ききった文字の上に指を指す。その記録は、隣で震える男を嵌めた犯人の記録だった。


「ま、死人に口なしにする気だったから、公彦がちゃんと殺されたとて似た様な結末になったんだろうがなぁ」

「この男が…まさか…」


 その記録は、北町奉行所の定廻り同心、田中という男の記録。昨日、確認した情報を元に思い返せば、この35歳の同心は幼いころから年の離れた兄の様な存在で、公彦が定町廻りになってからも熱心に気にかけてくれる、頼れる存在だったはずだ。


「嫁も子供も、姑まで居るんじゃぁ…つまんねぇ無礼打ち如きで堕ちる訳にいかねぇもんな」


 その田中という男。つい一昨日に、立ち飲み屋で一緒になった若い女を斬り捨てたのだ。ただ、酒に酔って話が沸騰し、じゃれ合いついでに煽られたというだけで。


 只の若い女なら、買われなかった結果煽って殺されただけの哀れな女だって言って処理すりゃ良かったんだろうが…ちょっと家出していただけの問屋の娘だったのが問題だった。なんせ只の問屋じゃない。幕府御用達の…と付けば、その娘の価値も察せるだろうか?


「軽い気持ちでやったんだろうさ。そのままの勢いでそこに居た立ち飲み屋の親父まで斬って…次の日自分が見っけて幕引きを…とでも思った所でお前さんが先に見つけちまった」


 この殺人劇。田中がしっかりと先回りして現場を押さえられれば、まぁ問題なく片付いた事だろう。田中は飲み屋の親父が娘を手籠めにしようとして刺され、娘共々、共倒れになった…とでもしておけば良いのだから。


「あの殺しの現場で…こんな事が起きていたとは…まさか…」


 公彦は信じられないものを見た様な顔をしたまま、呆然と呟いた。田中の誤算は、その飲み屋の位置が、公彦の通勤路とかち合っている事に気付かなかったことだろう。朝、奉行所に赴く際に公彦が見つけて騒ぎにしてしまったのだ。


「男女の縺れかと思っていたのだが…そうじゃなかった…そこまでは分かった…だが…」


 公彦だって、最初は田中の筋書き通りの推理をした。だが、現場の状況がそれを否定していたのだ。散乱した食器類を調べれば、現場に三人目が居たことは明らかで、娘に残された刀の傷は、とてもじゃないが飲み屋の親父に付けられるようなものでは無かったのだ。


 だが、それに気付いてしまった事が、この男最大の不幸だったのだろう。筋書きを書き換えた田中は、捜査を進める中で秘密裏に公彦を捕らえ…罪を擦り付ける工作を行ったのだから。


「おい!これは本当なんだろうな!嘘を吐いてんじゃねぇだろうな?」


 公彦がワタシの襟元を掴みあげて叫ぶ。震えた声には、この記録を認めたくないという気持ちがまざまざと出ていた。


「あぁ、事実だ。この記録帖の前じゃ、嘘は付けねぇよ」


 感情のままに締め上げられたワタシは、気を惑わす事無くハッキリと答えを告げる。ワタシは公彦に僅かながらの情はあれど、今やるべきことは別と割り切り、懐の脇差に手を伸ばした。


「事実だ。受け入れろ」


 脇差を抜いて、公彦の手を避けて一閃。脇差は首を斬り裂き、返り血がワタシの顔を真っ赤に染め上げた。


「ま、同情はしてやるがな…打つ手はねぇんだぜ」


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