其の八十二:鶴松、大立ち回りをする
「勘違いすんじゃねぇ!オレは不老不死!テメェ等は死ねば終わりだ!」
オレを取り囲む男女。その数総勢25名。オレがそう叫ぶと、得物を手にした連中の勢いが僅かに鈍った。
「死ぬ覚悟が出来てる奴だけ来なぁ!」
周囲を威嚇しながら、オレはジリジリと襖の方へ移動していく。上から眺めたから分かる。この家も、さっきまで調べていた何も無かった家と同じ造り。とりあえず、この家から逃げおおせる事は簡単だ。
「来ねぇならずらかるぜ!アバヨ!」
襖の前までやって来た途端。オレはクルリと背を向けて襖を蹴り飛ばした。江戸に出回る既製品より薄く弱い、手製の襖は簡単にへし折れ、戸の役割を放棄する。先が開けたその瞬間、オレの背後に居る連中の掛け声が地鳴りのように響き渡った。
「逃がすな追え!」「管理人一匹だ!複数でかかれば怖かねぇぜ!」「そら行け!」
次々と聞こえてくる掛け声。オレが外へ駆け出した途端、背後からの声と共に、連中はオレの背中を追いかけてくる。想定通りだ。オレはニヤリと笑みを浮かべて、久しぶりに感じる背中のヒリついた感覚に胸を躍らせると、家の外を逃走し始めた。
「そら来い!死人連中よぉ!たかが江戸町人風情が盗人を捕まえられっか!」
外に出て、棚田の横を駆け抜けるオレは、クルリと振り返って追手を煽る。家から出て僅かな距離しか走っていないが、追手連中はオレの逃げ足についてこれそうも無かった。
生憎だが、相手が悪い。
オレは連中の相手をすることなどせず、ただただ逃げる事だけを考える。棚田の横を駆け抜け、適当な木を見つけるとそれに飛びつき、いとも簡単に上まで登って行った。
「この野郎!」「降りてきやがれ!」「卑怯者!!」
下からは罵声の嵐。オレは適当な所まで登ると、下を見て集まった男女連中に目を向ける。連中が木に登れるとも思わない。こんな暗がりで、オレに落されればそこで終わりなのだ。オレは連中を嘲る目で見つめると、煽るように手を振って踵を返した。
「待て!」
眼下からの罵声を無視して闇に消えていくオレ。木の枝を伝って森の中へ消えていくと、オレを追いかけてきた連中の声はもう届かない。
オレは里の周囲を回るように木々を伝い、獣道を見つけると里の人間が居ないかを確認してから降りていく。
「ふぅ~」
なんとか撒けたらしい。オレは静寂に包まれた森の中でホッと一息つくと、獣道を当ても無く動き始めた。
(朝までに街道に出られりゃ儲けものだ)
何処かも分からないまま追いかけて見つけた虚空人の里。獣道を出られれば、そしてそこから比良の国へ帰れれば、またここへ来るのは容易い事だ。オレは山の中で過ごした経験を元に適当な勘を働かせて獣道を歩いていく。
(撒くには撒いたが、この辺りは連中の縄張りか)
迷路の様に張り巡らされた獣道を行きながら、警戒は怠らない。連中の諦めが悪ければ、獣道迄出てきてオレを探そうとするだろう。
「?」
そんなオレの勘は、早くも当たってしまう。道を行くオレの足音に紛れて、どこからか人の息遣いが聞こえてきた。腰の物が擦れる音も聞こえてくる。
(まだ、里の回りか…)
オレは位置を察すると、近くの茂みに身を潜めてジッと息を殺した。すると、少しの間の後に、目の前を一人の男が通り過ぎていく。
それを見て、ニヤリと笑うオレ。手を揉んで準備を整えると、そっと奴の後ろに出て行った。
「!!」
電光石火の早業。男が気付いて刀を振るおうとする前に、オレの手により首を捕まれ、足が宙にぶらりと浮いていく。そして、余計な悲鳴が上がる前に、グキリと首の骨をへし折ってやった。
「一丁上りだ」
後ろに回った首をもたげて、ぶらりと力なく宙に浮いた男。オレは男の死体を獣道の隅に投げ捨てて、奴が手にしていた腰の大小を拝借する。刀は本職じゃないが、こういう時には欲しくなるものだ。
(得物を持つのは、オレの趣味じゃねぇんだが)
大小は、出来の悪い既製品。切れ味は期待できなさそう。それでも、オレはそれを腰にぶらさげて獣道を進んでいく。男が現れた方向には行かず、そこから離れる様に意識しながら進んでいった。
(ってことは…こっちの方か?)
男のやって来た位置、里からどう移動してきたか…そして、空を見て、星の位置を確認しながら進んでいく。夜は更け切ったが、冬の夜はまだまだこれから。そんな中で、オレは自分の勘だけを頼りに、山を降りて行った。
(あー、何となく見覚えがあるぜ?)
そしてついに、さっき通ったであろう獣道まで辿り着く。となれば、ここから里までは大分遠いはず。追手の事はもう考えなくていいだろう。
「おっとぉ…いい寝顔してやがる。生憎様だな、布団の上じゃ死ねなかったんだ」
獣道を進むと、殺したのが随分前に感じる商家の旦那の死体と鉢合わせた。折れた骨の辺りから青く変色し始めた遺体。悲痛な顔を晒したその様は、哀れという他無いだろう。それを見てニヤリと笑みを浮かべたオレは、自信をもって今いる獣道を進んでいった。
「ここまで来ちまえば…一本道だものなぁ」
商家の旦那を追い詰めたのは、山に入って間もない頃。その死体の横を過ぎて行けば、思った通り人の気配を感じる道まで出てこれた。
「よ~し、よし。とりあえず、これでいい」
出てきたのは、何処かの街道。遠くには、畑と家が見える。里の位置から考えて、江戸の方向も大体読めた。これは良い収穫だ。オレは自然とニヤけてきた顔をパン!と叩いて気を引き締める。夜はまだ終わっちゃいないんだ。
「さて…昼までには、比良に戻りてぇ所だな…」




