其の七十九:鶴松、逃亡者を追い込む
逃げた野郎二匹を追いかけて江戸の中。着物の影こそ見えれど、見えたと思ったときには角の向こう…オレは誘いこまれている様で段々と気が立っていた。
「野郎!止まりやがれぃ!」
気付けば辺りは暗闇で、周囲の家々は疎らになった。それでも、追いかける相手の姿は見えぬまま。影だけがオレを江戸の隅へ隅へと誘っていく。石畳の道が獣道となり、いよいよ周囲に家が見えなくなった頃。ようやく野郎二人の後ろ姿がハッキリ見えた。
「見つけたぞぉぉ!」
闇に消えゆく野郎の影に怒鳴りつける。闇に消える瞬間、野郎の背中はビクッと震えた様に見えた。
「良い脚してやがる…へし折ってやっからなぁ…待ってろよぉ…」
日本橋からずっと駆け足のまま…オレは問題ないのだが、商家の中年旦那風情がここまでやるとは想定外。闇に消えた人影を追い続けて、オレは遂に山の中へと入っていった。
今どこにいるかは分からねぇが…兎に角、虚空人に逃げられて良い事は一つも無い。オレは後の事を後の自分に任せると、怒りに任せたまま獣道を突き進む。
「クソ…すばしっこい野郎だ」
狭い道。少々図体のデカいオレとしては不利な道。だが、遠くには足を止めずこちらも見ずに駆け抜ける野郎共の姿が徐々に大きく見える様になってきた。それを救いとばかりに、オレは小枝で体が切れるのも気にせず突き進む。
(よ~し、鈍ってきやがったな…)
石畳から獣道…そして今では獣道というかも怪しい道…そこまでを止まらず駆け抜けてきた。ここまで来れば、オレの方に分がある。人気のない山はオレの縄張りだったのだ。それに、幾ら向こうが見知った道といえど…後追いのオレの方が有利だろう。向こうは暗がりの中を進まねばならぬというのに、オレはその後を追いかければいいだけなのだから。
明かりなんざ、か弱い月明りだけで結構。暗闇での目利きだけで生き抜いてきたんだ。江戸町人風情が敵うと思うなよ?
「そらぁっ!!」
眼前に迫った背中。捕まえたのは商家の旦那。オレの手に掛った男は前へ前へと藻掻くが、もう一人の男はそれを気にせず闇に消えていく。
「残念だったなぁ。テメェ、囮だぜ」
「や、やめろ…助け…て!助けてくれぇぇぇぇ!!!死にたくない!死にたくないんだ!」
立ち止まり、後ろ首を掴んでヒョイと持ち上げる。男は手足を動かしたが、オレには何の効果も無い。
「随分と舐めた真似してくれたじゃねぇの」
オレは闇に消えた男の方を見てから、商家の旦那を睨みつけてそう凄む。
「テメェにゃ、死ぬ前に一杯聞きてぇ事が出来ちまったな。どうだ。死ぬ前に月見と洒落込もうや?キタねぇ三日月だけどもよ」
そう言うと、オレは男を前に突き飛ばして足を持つ。男が喚く前に、両足の膝と足首を砕いてやると、闇夜の森の中に男の絶叫が響き渡った。
「っ!!っ!!…あぁ…が…ぐ…いた…い!!!」
「痛てぇだろう?ダンマリ決め込むと、死ぬ前に骨が全部折れちまうぜ」
「わ、わかった頼む!話すから!話すから!殺すのだけは!命だけは!!」
「ソイツぁ無理な相談だ。記録破っちゃ死ぬっきゃねぇ。あの野郎に聞いちゃいねぇか?」
男はオレの言葉を聞くなり絶望に顔色を染め上げる。オレはそれに笑みを返すと、男の足の小指を両足分、パキっとへし折ってやった。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「喚くなよ悪旦那。人間の骨はな、二百以上あるんだぜ。ずっと前に人間を剥いで確認したから知ってんだ。テメェでその確認をされたく無けりゃ、ちゃんと答えてから往生しなぁ。そうすりゃ地獄へは行かねぇだろうからよ?」
暗がりで、冷や汗だらけの男の顔をジッと睨みつける。男は目を泳がせながらも、抵抗しなくなってきた。オレはその様に嘲る笑みを見せると、男の眼前で指を鳴らして見せる。
「いい子だ。じゃ、尋ねるが…あの野郎と何処で知り合った?」
一問目。男は思案顔を見せると、顔じゅうから汗を噴き出しながらオレの目を見つめた。
「さ、さっきだ。お前が来る前に…!虚空記録とやらを破ったと言ってやって来た!」
「ほぅ…お前さん、虚空記録について何処まで知ってる?」
「よ、良く分からない!だが、破った者は殺されると言う事と…管理人とやらから逃れれば、己も虚空記録を知る事が出来ると…」
オレは男の返答を聞いて怪訝な顔を見せる。虚空人はただ逃れただけ…虚空記録を知る事等、出来やしないはずだが…?
「そうか。虚空記録って何か、知ってんのか?」
「それも良く分からない!この世の全てだと言っていた!わしは…わしは仕入れを間違えたから記録を破っただとか、そう言われた」
「合ってるよ。テメェはいつも仕入れるモンを仕入れから外したのが違反だ」
「そんな事で殺されてたまるか!そんなことで…!!!」
「仕方がネェだろ。そのせいで仕入れを外された店の女将が死ぬんだから。テメェの余計な行動でな」
「煩い!商売に口を出すな!わしに関係のない!たったその程度で!その程度で…!!」
急に喚き出す男。オレはその様を眺めながら、男の腰に両手を当てた。
「その程度の事で、今までゴマンと人が死んでんだ。その程度が積み重なりゃあ…将軍様も死んじまうってもんだぜ」
そう言うと、両手に力を込めて、男の腰骨を砕いてしまう。すると、この日一番の絶叫が暗い山の中に響き渡った。
「しかし…虚空記録を知れるとは初耳だ。テメェ見てぇな違反者にゃ、触れる事も出来ねぇはずだがな」
絶叫が枯れた頃合いを見てそう告げる。すると、力を完全に失った男は、オレに憎らし気な目を向けながら、嘲る笑みを口元に浮かべた。
「知るか!わしは担がれたんだ!テメェの知りてぇ事なんざ、わしだって知りたいわ!」
やけっぱちになった男の絶叫。オレはそれに冷たい目を向けると、鼻で笑い飛ばし…そして男の首に手を当てた。
「そうかい。ソイツぁ…残念だ。テメェにゃもう、価値がねぇって言ってる様なモンだぜ」
冷たくそう囁くと、男の顔は恐怖に染まる。その瞬間、オレの両手に力が籠り、男の首骨はメキメキと砕け散った。
「下手に逃がして朗報を得た様なもんか…運が良いか悪いのか、分かったもんじゃねぇな」




