其の七十五:移ろう時代の怪
「なぁ、何か騒がしくねぇか?」
「どうじゃろうな。何時もと変わらぬといえば、変わらぬ気がするが」
「気のせいなら良いんだが。お偉方が騒々しく思えてな」
仕事のために千代と出てきたのは冬真っ盛りの江戸。ある平日の昼時。江戸は雪化粧こそしていないものの、吐息は白く、行き交う人々は皆体を震わせていた。
「して、ここからどれ程じゃ?」
「大体一里もねぇよ。近場の酒屋で働いてる男だ。今日はいそいそと動く日でもねぇから、部屋ん中で書類仕事だろうさ」
「なるほど」
江戸の八丁堀付近に出てきた私達。千代に付いて歩いた先は南の方。歩けば足元は冷たい土の音が鳴り、顔に当たる風からは冬の匂いを感じられる。私は寒さに顔を顰めたが、隣を歩く千代の格好は随分と軽装だ。この間からは、羽織が一枚増えたくらい。寒空も、寒風も、千代には効かないのだろうか。
「しかし、毎回のことじゃが、寒くないのか?」
ここは比良の国よりも寒い。そう尋ねてみれば、千代はこちらに顔を向けて余裕そうな顔を見せてくる。
「全然。ワタシが何処で暮らしていたと思ってる」
「どこじゃったかな」
「忘れてんのかよ。毎度言ってるぜ?」
「冗談じゃ。山の中じゃろ。北の方の」
「あぁ、まだ雪がねぇだけマシだ。これに雪が混じってみろ。江戸は天手古舞だ」
そう言ってほくそ笑む千代。確かに、江戸の人間は雪が降るだけで騒いでいた気がする。それこそ、今日も雪がチラつきそうな曇り空…仕事の後に雪が降ったならば、大騒ぎしだす江戸の人間が見られるだろう。
「騒がしいのはこの空のせいかのぅ…雪が降りそうじゃもの」
「それとは違ぇな。もっと騒々しい…厄介な騒がしさだ。感じてるのはな」
千代はそう言うと、背中に背負った大太刀に手を当て位置を調整し始めた。
「栄、ちと、ワタシの裏に居ろ」
「?」
何かを感じ取った千代に言われるがまま、私は千代の背後に回る。ここは江戸…記録帖の管轄外な私達を感じ取れる者など居ないはずなのだが…
「道の端に」
「あぁ」
言われるがまま、千代に誘われたのは道の端。そこで暫く黙っていると、私達の前を役人たちが何かを喚きながら通り過ぎて行った。
「…なるほど」
「ま、何もねぇよな」
何か火急の用でもあったのだろう。凄まじい勢いで通り過ぎて行った役人共。その後に、連中の誰かが落したであろう書状が数枚、道端へ飛ばされてやってきた。
「急ぐのも良いが…落すなよなぁ、大事なもの何だろうからよ」
千代がこちらに飛んできた紙を掴みあげて、中身を読まずに私に回す。文字は読めるが読みたくない奴なのだ。私は呆れつつも書状に目を通し、中身をサラリと読み終わると、ヒョイと道端に戻してしまう。
「何やら外国船が長崎に来ておるそうじゃな。その対応を伺って居る」
「ほぅ…」
「後で記録帖を見てみるか。千代の感じた騒々しさは、これ絡みじゃろうな」
「だな。ま、今は追い返せるだろうが…それが永く続くかは別と見た。海の向こうに何も見えねぇのによ、奴等はコッチに来れるんだ。並みの技術じゃねぇだろ」
「いよいよ時代の変わり始めといった所かの?」
「帰ったら記録帖でも眺めるか。次来た日にゃ国が変わってたら溜まらねぇものな」
千代の冗談に小さく笑う私。大まかに未来を見ているが、少なくとも向こう数百年は国が滅びる事は無い。まぁ、今の江戸が大きく様変わりするのは確定事項らしいが…
「未来が変わらなけりゃ、それもねぇか」
再び標的の家に向けて歩き出した私達。あと数町程で、目的地の酒屋が見えてくる。私は寒さに体を震わせつつ、仕事の内容を確認しようと口を開いた。
「で、どう始末するんじゃ?」
「それなりに外道な事をしてきた野郎だからな。真正面から斬り捨てるさ」
「ほぅ…こんな町中で珍しい。何をしたんじゃっけか」
「女を揺すり、絞り上げて…金がなくなりゃ女郎屋に売り飛ばし…ってな」
「これはこれは…ただの酒屋か?そこは」
「裏の顔は酷いもんよ。ま、一匹斬り捨てた位じゃ変わらねぇさ」
千代は苦い表情でそう言うと、手を合わせて骨を鳴らす。今回は千代に来た仕事だから、余り記録帖を見ていないのだが…あの千代が酷いというのだ。酒屋とは名ばかりの実態があるのだろう。
「ここだ」
私達はそれからも言葉を適当に交わしつつ、遂に酒屋へとやって来た。表から見れば、それなりに繁盛している酒屋の様に見える。店の者も愛想が良い。道行く人々の中で、酒を求めて買っていった者達は、皆それなりに良い思いをしている様だ。
「値段も手頃…繁盛もするか」
中に入った私達。酒に付けられた値札を見て、私はポツリと呟いた。誰かを泣かせてこの安さ…というのは十分に分かっているが、それでも安い。怪しいと思われない方が不思議な程。
「奥だ」
「はいよ」
繁盛している店の中を堂々と通り過ぎていく。存在の薄い私達を、気にかける者等一人も居なかった。
「……」「……」
店の奥へ進み、人の気配を感じる部屋の前で足を止める。ここに居るのは男一人。それは、記録帖を見てきたから既に分かっていた。千代は私に合図を出し、私は周囲を見回して千代の肩を叩く。すると、千代はゆっくりと障子の前に移動して身を屈めた。
「失礼いたします。お茶をお持ち致しました」
「おう、気が利くな。持ってこい!」
珍しい千代の敬語。酒屋の女衆に紛れた千代の声に、部屋の中に居る男が反応する。千代はニヤリとした顔を私に向けると、そっと障子を開けて中に押し入った。
「あ?お前…!誰っ」
入ってすぐ、千代の異様さに気付いた男が声を上げるが、その声は千代の一閃によってかき消される。男は机の前に座ったまま斬り捨てられ、千代が納刀すると同時に首がゴロリと床へ落ちた。
「刀、磨いてきたんだ。良い切れ味だったぜ」
血みどろになった部屋の中で、千代が私にそう言うと、私は顔を歪めて頷いて見せる。ここから長居は無用…帰路に足を踏み出すと、私は戻ってきた千代を横目で見据えて呟いた。
「最近、刀を振るう機会も無かったからの…まぁ、良いとするか」




