其の七十一:副作用にご用心
「そういや薬ってのは便利な代物だが、コイツにゃ何か裏があるんじゃねぇのか?」
久しぶりの仕事。偶然天ぷら屋で一緒になった守月様と出た先は夜の江戸。八丁堀の一角にやって来て、私の薬を使って仕事をしようと話を進めていた時、ふと守月様が尋ねてきた。
「なんじゃ急に」
守月様からの、唐突な問い。それに驚きつつ、私は周囲を見回して体を道の端へ寄せる。標的の女はどうせ背にした塀の奥の、家の中で惰眠を貪っているのだ。少しばかり雑談しても罰は当たらないだろう。
「薬に関して常々思ってたんだ。栄さんが作るやつ以外でもな」
「良い話には裏がある。その類か」
「あぁ」
「随分と疑り深いのぅ。知らねばそうなるのか。まぁよい、余裕はあるから…ちょっと薬について語ってやろうか」
突如として始まった雑談。私も本職ではない上に、殆どが管理人になってからの知識だが…果たして守月様の役に立てるだろうか。少し試してみたくなった。私は口元を僅かに綻ばせると、懐から今回使うつもりだった薬瓶を取り出して見せる。
「これは心の蔵に効く薬じゃ。今回使うつもりだった」
「あぁ、言ってたな。そもそもそれで殺すって、どうやる気だ?」
「用法を間違えれば良いのじゃよ。本来は弱ったモノを増強するものじゃからの」
「行き過ぎれば毒になるのか」
「毒じゃない。まぁ、考えは合っておるわ。大量に飲めば、動き過ぎて死に至る」
私がそう言うと、守月様は僅かに顔を青くした。想像でもしたのだろうか?
「薬なんてのぅ、最初は偶然から見つかるものじゃ。どこそこの家だの地域だので、偶々口にして、体に効いたと思えば…それが薬になる。最初はそんなものじゃ」
「ほぅ…」
「その積み重ねで、草の組み合わせが出来…更にはそれを洗うだ煮るだ…あの手この手で改良を重ねていく。そうしながら、何かを患った者に与えて効果を見る。今ある薬は、多くの屍の上にあるものじゃよ」
そう言いつつ、道行く人々を眺める私。守月様も同様に、道行く人々の足取りを眺めながら、チラチラと私の手にする薬瓶を見つめていた。
「所詮は人を使って試す…それを繰り返してきただけか」
「わっちが知ってる薬はそうじゃ。当然、別の手もあるじゃろうが…わっちは高名な学者ではないからの」
「はぁ~…」
「で、気にしておった裏の話じゃが」
そして話は本題へ。守月様の目付きが僅かに細くなった。
「良い話には裏がある。当然じゃ。今回の薬の様に間違いを犯せば死に至る物もあれば、組み合わせた結果毒になるものだってあるぞ」
「へぇ…やっぱそう聞くと、薬なんて飲むもんじゃねぇと思うな」
「たわけ、用法を守っている限り…悪化はせん。良くなるかは人次第な所があるから一様には言えぬが」
「それだ。昔からそう言われてきたんだ。で、薬が効かねぇとハァ?って顔しやがるのさ」
「当たり前じゃ。人それぞれ、違いはあるからのぅ。わっちと守月様とて、違うじゃろ?」
そう言うと、守月様は怪訝な顔をしつつ頷いて見せる。
「男と女。性別が同じでも、背丈に体重、顔の作り。何もかも違う。異形の者を見たことがあるか?」
「異形?」
「手足が無いだの、六本指だ四本指だって…そういう者じゃ」
「見た事ねぇ…居るのか?」
「あぁ、極稀にのぅ。そうやって、個人に違いがある。それだけでない…病の成りやすさに食べ物の好み、千差万別じゃ。なのに表に出回る薬は基本的に均一…効きに違いが出るのは当然じゃろ?」
「……なるほど」
守月様は素っ頓狂な顔を浮かべると、小さくそう呟いた。何となく気持ちが分かる。恐らく、求めていた答えとは違ったのだろう。だが、変に理解できたというか…何故こう思わなかったのかと思っているはずだ。まるで何時かの私の様。私は守月様のそんな顔を見てニヤリと笑うと、そっと足を踏み出した。
「じゃからな。どんな者でも、最初は適量とされる量を試す。そこからの調整が腕の見せどころじゃ。ま、それもこれも、診断が合っていればの話じゃがな」
そう言いつつ、塀を背にしていた家の敷地に侵入していく私。守月様は、何も言わずに付いてきた。
「聞けば聞くほど、江戸に藪医者が多いかがわかるじゃろ」
「あぁ。死なねぇってだけで名医扱いだものな」
「運悪く死なせた医者が藪医者となる。実際はそうじゃないんじゃがの…寿命が短か過ぎるせいでそれも理解されぬまま終わる…なんと残酷な話かのぅ…」
私は話の続きをしつつ敷地内を歩いていき、女が寝ている様を確認すると、縁側からそっと中へ上がっていく。その段階で人差し指を口に当てて見せ、私と守月様は押し黙った。
(人が増える以上、終わりがない話…虚しい事実じゃな)
脳内で話にカタを付けると、私は女が眠っている部屋に入り込み…近くに置かれていた徳利に薬を流し込んでいく。女が飲む酒に合わせて調合した効きすぎる薬。
粉ではない。酒と混じった液体を流し込み徳利をいっぱいにすると、私は守月様に合図を出してそっと部屋から出て行った。
「地味な仕事だ」
家を出て、再び戻ってきた塀の裏。守月様がポツリと呟き、私はニヤリと笑みを浮かべる。守月様を始めとした管理人は皆、力で挑むが…生憎私はそうじゃない。ニヤリとした顔を浮かべて、何も言わずに黙っていると、塀の奥から女の呻き声が聞こえてきた。
「これで病死の出来上がり。死因は心の蔵の発作。そう、調書が作られることじゃろ」
「あぁ。俺でもそうするだろうぜ。あの死に方じゃ、飲みもんの成分なんざ碌に調べねぇ」
仕事が終わってホッと一息付く私と、僅かに顔を青くした守月様。どちらともなく足を踏み出し、徐々に騒ぎになっていく家から離れていく。これで、記録帖に言われた仕事は一段落。
「怖ぇ話だが、果てがねぇってのも…ゾッとするな」
家から離れ、比良に戻るだけとなった今。守月様がそう呟くと、今一度家の方に振り向き、そして再び元の方へと振り返る。そしてボソッとこう囁いた。
「健康体で居られることに、感謝しねぇとな」




