其の六十九:非凡と平凡の分水嶺
怪しいと睨んで押し入った廃墟。千代達三人が襖を叩き斬れば、その先には居るはずもない人影。その刹那、虚空記録帖によれば静寂に包まれたままでいる筈の一帯に、人々の怒声と悲鳴が木霊した。
「おっとぉ…テメェら、逃げ場はねぇぜ?」
千代に付いて行った私。螢は守月様に付いている。
千代は瞬く間に数名を斬り伏せて睨みを効かせる合間…私は倒れた者達へ薬を飲ませてまわった。そうこうしている間にも、千代は独特の間を取りながら、室内で振り回すには不利でしかない大太刀で次々に者共を仕留めていた。
「ば…化物だぁぁぁ!」
「くそ!起きろ!起きろぉぉぉ!」
「落ち着け、所詮女一人だ!落ち着きやがれ!」
「この…!!くそがぁぁぁぁぁぁああ!!!!」
廃墟の中で息を潜めていた者達が、火を付けられたかの如く騒めきたつ。私は既に物言わぬ姿となった者の口に薬を流し込みつつ、その様を冷めた目で見つめていた。
「さぁさぁ…奥へ逃げなぁ!逃げられると思ってんならなぁ!」
堂々と正面…玄関から入って、廊下を過ぎて…部屋を幾つか荒らした後。廊下へ逃げ出て奥へ奥へと逃げた連中を追いかける。
廊下を進み、千代がそれをゆったりとした足取りで追いかけていると、奥から激しい物音が聞こえてきた。
「こっちにもいるぞ!クソッタレ!」
男の絶叫と、別の男の悲鳴が廊下に響き渡る。その直後、廊下の奥から現れたのは、顔を手づかみにされて宙に浮いた仮面の男と、鶴松の姿だった。
「……」
廊下で、男達を挟む格好になった私達。前門の千代…後門の鶴松といった所か。鶴松はこちらを見て…男達の方を睨んだ後、僅かに微笑むと、男を掴みあげた手に力を込めた。
「!!!」「!!!」「!!!」「!!!」「!!!」
こちらまで聞こえる骨が砕ける音。顔を掴まれた男の顔は、文字通り砕け散り、必死に藻掻いていた手足はブラリと力なく垂れ下がった。
「クソ!クソクソクソクソ!!畜生!!」
鶴松の人間離れした一撃を目の前で見た男達。残りは四名程だろうか。連中は適当な襖を突き破って再び部屋の中へと逃げ込んでいく。
「追い込み漁だな」
「上手くいってら」
それを追いかけ、合流した千代と鶴松はそう言ってほくそ笑んだ。駆け出す男達をゆっくりと追い詰めていく二人。私はそこから少し遅れて、倒れた男達に薬を味わわせてから後を追う。
「逃げろ!散れ!外に出て散るんだ!!早く!」
「クソが!こっちゃ奥だぞ!」
「うるせぇ!早く行けってんだ!!早く!」
襖を開け、奥へ奥へ逃げていく男達。そうしている間に、いよいよ障子が目の前に迫って来た。その奥は縁側…さらに奥は裏庭だ。薄明かりが差し込む部屋に足を踏み入れた男達は、そのまま障子を破って外に出る事はなく、何かに驚いたように足を止める。
「まだいやがった…!!」
絞り出す様に叫ぶ男。私が千代達に追いついて奥を見やれば、障子の奥に、ハッキリと一人分の人影が見える。その影は、私達の様な浮世離れした格好ではなく、よくいる江戸の男といった風な影だった。
「ここから逃げたところで…テメェ等は虚空人になんかなれねぇよ」
障子の奥にいる人影が、ボソッと一言呟く。その刹那、障子の一部から刀が挿し込まれ、障子の間近にいた男の腹を貫いた。
「ぐぅ!!!」「「「!!!」」」
男の腹を貫いた刀、それがグイっと捻られ、男は障子に寄せられる。そして、パッと刀が抜かれると、障子諸共男の体は叩き斬られた。
「あらま、不幸にも生き残っちゃったのがまだ三人も居るのか」
男の体が崩れ落ちた所で、螢が守月様の後ろからひょっこり顔を出す。そう言いながら、倒れて…蘇生した男の口に薬瓶を押し込むと、狭い部屋の中で突っ立つしか出来ない男達をジロリと睨みつけた。
「君達も運が無かったな。ただ死ねば…何もわからず抜け殻になれたものをさ」
私達五名に囲まれた三名の男達。皆刀を抜いて背をそれぞれに預け、こちらを威嚇しているが、それが意味のない事だというのは…本人達が一番良く分かっている事だろう。
「死んだら蘇生する。死んでもやり直せる。そう思ってんだろ?でも、やっぱり。心の中じゃ死ぬのは怖いと思ってる…アンタ達はね?そうだろ?でなきゃ、逃げたりしないもの」
その中で、最も小さな…子供そのものという風貌の螢が男達を煽り立てた。
「管理人に成り切れてない証拠だよ。死のうが、その度生き返って遂行する。それが出来なきゃねぇ?一人前とは言えないな」
螢はそう言いながら、手にした薬瓶を顔の横に上げた。
「今回の裏切りにしたってそうさ。外に出れば、管理人から外れると思ったんだ。実際に前例を見たもんな?この前に、元管理人の虚空人を見たから、そう思っちゃったんだ」
そう言う螢の目は何処までも暗く、どす黒い。男達は真顔の螢に圧倒され、なにも言い出せず…動けずにいた。
「でも、違うんだな。もう虚空記録帖はそんなヘマをしなくなった。外で行方知らずになんて…もう無理だ。出来ない。ボク達を逃してはくれないのさ。だからね?君達の思惑は、最初っから行き詰ってたんだ」
そう言って、螢は男達の方へ一歩踏み出す。丸腰の螢を護るように、守月様も刀を構えたまま一歩足を踏み出した。
「死んで生き返れば、この薬を飲ませてやる。そこの花魁が作った良い薬でね?飲めば生きたまま…体が動かなくなるのさ。一定時間ね」
螢がようやく手にした薬瓶の効能を告げると、男達の肩が僅かにピクついた。訪れる運命に気付いてしまったのだろう…男達の足が僅かに震えはじめる。それを見て、螢はようやく、能面の様に張り付かせた真顔をニヤリと歪ませた。
「だから、君達が動かぬ間にボク達が比良へ連れ帰ってやろう。そして、次に体が動く時…君達は体の異変に気付くだろうさ。皆まで言わずとも…分かるよね?虚空記録帖を裏切った者が、どういう末路を辿るのか…」




