其の六十四:無名と高名の分水嶺
千代にそそのかされた日の夜。再び私は屋台村で宴を開いていた。
「二日連続とはねぇ!栄さん、ワケアリだねぇ?」
「まぁな。その辺、主らは分かってて乗って来るんじゃから、余程じゃな」
「栄さんから集合が掛かれば例え月でもいくぜ!?なぁ!」
「おう!!」「おうよ!!」
「……」
夜の早い時間帯から、再び屋台村の中央付近に居座る…私に求められたのはただそれだけのこと。昨日と同じように酒を片手に持ち、三日連続となる天ぷらを食しながらジッと待つ…ただ、それだけ。
昨日の今日で何が起きるとも思ってはいない。私にとっては久しぶりの出勤みたいなものだ。親衛隊を集めて、独演会を阻止し…やってきた裏切り者の動きを探り、牽制する…それが目的。
「そう言えば、初瀬さんは何処へ行ったんです?さっきまで居ましたよね?」
「さぁな。企んでおるのは他でもない千代じゃからの…悪だくみでも思いついたんじゃろ」
夜と言うにはまだ早い時間帯。僅かに明るさも残る中。私は親衛隊の相手をしながら天ぷらを食べつつ、酒を呑む...たまにはこういうのも良いかと思えるが、毎日やるとなると、それなりに疲れてしまう。私は人目につかぬ所で溜息をつきながらも、相変わらずの熱量を持つ親衛隊の相手をしてまわった。
「わっちが言うのも何じゃが、他に推す者はおらぬのか?」
「初音太夫以外を?まさかぁ、滅多に居ませんぜそんな女!なぁ?」
「そうねぇ…太夫以外に花魁なんて見当たらないし、そうじゃない女はガサツなのばかり」
「やっぱ吉原で時代を築いた女は別格ですって」
親衛隊にそんなことを言われるのは日常茶飯事だが…こ奴等は目の前でも堂々と言うモノだから、聞いてるこっちが気恥ずかしい。私は苦笑いを全力で抑えつけて柔らかな笑みを貼り付けつつ、背中に汗を感じた。
「…でも、どうじゃ。私以上にイイ女が居るのを、知らないだけかもしれんのじゃぞ?」
「まぁ…実際、初音太夫以外に管理人になった花魁なんて居るんですかい?」
「どうだったかな。吉原にいたという者はおらんと思うがの…他所の地域は知らんし…」
「でしょう?やっぱ特別なんですって」
「まぁ…否定できぬ。しかし…千代とかを推さぬ者が居ないのも中々に不思議に思うぞ?」
「初瀬さんは…ほら…色々と…その、規格外過ぎて」
「くっくっく…そうかそうか。そうじゃな。あ奴は規格外…か」
そう言って小さく笑うと、急に背中をポンと叩かれる。喋っていた親衛隊の男諸共ギョッとして背後を振り返れば、随分小さく見える人影が私を見上げて笑っていた。
「規格外で悪かったなぁ。栄、持ってきてやったぜ」
そこに居たのは千代だ。私と男は僅かに気まずそうに口元を引きつらせると、千代の持って来たモノを見て目を点にした。
「頼んどらぬが…なぜそれを…?」
千代が持っていたのは三味線。しかも、それは妙に年季が入った…見覚えのあるものだった。
「…覚えちゃいねぇか?」
してやったり顔の千代。私が首を左右に振ると、千代の笑みは更に深まりを見せた。
「だろ~?おい!旦那!こっち来なぁ!」
「…?」
千代は誰かを呼びつけ…やって来たのは何の変哲もない中年男。親衛隊の一人なのは知っていたが、この男がこの三味線と何の関係があるのだろうか…?
「栄、この旦那がな?お前さんの使ってた三味線持ってやがったのよ」
「何じゃと!?…一体どうして…」
「へい…あっしも栄さんと同じ時代を生きた男でして…初音太夫が消えてから町に流れていたこれを見つけて、持ってたんです」
男は照れ臭そうにそう言うと、千代の持っていた三味線を指した。
「初音太夫が身請けされる前、最後に使ってたものです。あっしは客の一人でした…覚えてるかは、分かりませんがね…」
そう言った刹那。私の周囲がワッと騒めく。私も驚いた顔を浮かべたままポカンと口を開けていた。身請けされる前に使っていた三味線と、その時の客だという男…客は未だに忘れていないのだが、この男は記憶を辿っても出てこなかった。年が違うせいだろうか…?
「そうか…すまぬの、お主の事は覚えておらぬが…見た目が違うか?」
「へぃ…そうですね。当時より十程、歳を重ねています。そして管理人になったので」
「そうか。ならば若くすれば、覚えてるかもなぁ…その十年もこれを持ったままか?」
「えぇ。向こうで初音太夫の事を忘れかけた時も、何故か整備して持ってたんです」
「なるほどな。それを今まで持っていたと」
「へぃ…中々言い出せなくて…でも、この前、初瀬さんに見つかっちまいまして」
「あぁ、栄が持ってた三味線と似てたからな!貸してくんねぇかって言ったら吐いたのよ」
「おいおい…まるで奪ったみたいな言い草じゃないか」
「いえ!!いつか…返そうと思っていたので、丁度よかったんです」
男にそう言われつつ、私は酒を一度手放し、千代から三味線を受け取った。適当に音を出してみれば、周囲の親衛隊共が「おぉ!」と沸き立つ。
「久しぶりじゃ。これは覚えておる。わっちの為にな、職人が作って持って来たんじゃ」
まさかの出来事。少しだけ楽しくなってきた。どうせ歌わされるなら、好きにしたい。そう思いつつ、当時の良い思い出に浸りながら三味線を奏でると、徐々に当時歌っていた歌を思い出してくる。
(歳がバレるがのぅ…)
歌は脳内で歌いながら、どうしたものかと考えた。これを使って、何を歌えばいいだろう?どうせ、この宴も暫く続くのだ。私は僅かに楽しくなってきた気分のままに、親衛隊の方に向き直ると、軽い口調でこう尋ねた。
「知ってる歌なら歌ってやるぞ?遠慮はいらぬ、何でも言ってみな」




