其の五十九:干渉と放任の分水嶺
明くる日。私の家に、守月様が尋ねてきた。昨日と変わらない様子の寡黙同心…どうやら昨日の追手は撒けたらしい。
「昨日はアレからどうじゃった?」
「何も。ただ、向かってくる連中を片付けて風呂屋に行っただけさ」
挨拶もそこそこに、昨日のことを尋ねても、守月様は釣れてこない。私は相変わらずの口足らずに、僅かに呆れ顔を浮かべたが、すぐに今日の本題へと話を持って行くことにした。
「ま、それもこれも記録帖に書くことじゃな。本は持ってきておるか?」
「あぁ、忘れねぇさ。…にしても、思ったよりも殺風景な家だな」
「寝られればどうでも良いのじゃよ。千代や螢の様な趣味人と一緒にするな」
「そういうもんかね」
居間での作業。居間の机を囲んで座る私達。守月様はようやく緊張が解けたのか、部屋をジロジロ見回しては怪訝な顔を浮かべている。確かに、普段の私の格好を知っていれば殺風景に見えるだろう…だが言った通りだ。私は物集めに興味が無いのだ。
「服は別の部屋か?」
「なんじゃ、気になるのか」
「あぁ。見る度に違う服なのは栄さん位だしな。家が服に埋もれてるのかと思ってよ」
冗談めかしにそう言う守月様。私はクスッと笑みを浮かべたが、すぐに肩を竦めて首を横に振って見せた。
「思った通りの光景が無くて残念じゃの…まぁ、ここには無いだけじゃ」
服は確かに多いし、思ってる通りの光景があると言えばあるのだが、守月様の思っている様な光景は見せられない。服と化粧道具で一杯になり過ぎて、ある種の作業場と化しているから、見せられないのだ。
「さて…雑談もこれまでにして、サッサと済ませてしまおうではないか」
ひとしきり雑談で色々解し終わると、私は隙を見て仕事の方に話を持って行く。守月様もそれに頷くと、持って来た虚空記録帖を机に出した。
「噂話の事は既に千代が書いているそうじゃから、わっち等は昨日の事を記せば良い」
「分かった。俺はあれか、昨日相手にした連中の事も書けばいいか」
言葉を交わしつつ、準備していた筆を取って互いの記録帖に筆を走らせ始める。昨日の出来事だけを書けばいいのだ。そんなに時間は掛からないだろう。
「そうじゃな。アノ連中、仮面の下の顔は割れたのか?」
「あぁ。斬り捨てても生き返るからな。キリがねぇんで峰打ちで気絶させて、そん時にな」
「ほぅ…」
「とりあえず聞き込み出来る位ぇにはネタが上がったと思うぜ」
守月様はスラスラと書き込みながらそう言うと、私の方へ顔を向ける。それに応対する私の顔は、僅かに気まずさが混じっていた。
「どうした。何か問題でもあんのか?」
「まぁな。あの後千代とも会って話したんじゃが、少々動きにくくてのぅ」
守月様の問いかけに、コクリと頷き答える私。確かに守月様のいう通り、ネタが上がったのだから動こうと思えば動けるのだが…それをやるべきかどうかは別の問題だった。
「中々理解され難い事だと思うんじゃがな?チト、動こうにも動けない事情があっての」
私は素直に白状する。昨日の目的とて、ただの監視だけだった。あんな大立ち回りをするつもりは無かったのだ。
「まぁ、管理人が管理人を裁く…同族殺しはやっぱり後に響くか」
「それもあるがチト違うのぅ。基本、わっち達は平等…裁こうとしても裁けんのじゃ」
「ほぅ。連中を吊るすにも吊るせない訳だな」
「あぁ。そして、動いてやる道理もないんじゃ。別に無視しても良い」
私がそう言うと、守月様の手が止まった。そして怪訝な顔をこちらに向ける。言わずとも、ならどうして…と言いたいのが良く分かった。
「わっち達が見ているのはな、未来じゃ」
「は?」
「言い方が唐突過ぎたのぅ。まぁ、後から千代が話すと思うが、先に言っておこう」
手が止まった守月様を視界の隅に入れつつ、私は手を止めずに理由を話し始める。
「どうせあの者達は抜け殻になる。そう遠くない内にな。それは分かるじゃろ?」
「あぁ。虚空記録帖は俺等の内面も覗き見れるらしいからな」
「じゃが、それまでずっと独演会が開かれる。あの連中に混じってしまう者は沢山出て来るじゃろうな」
筆を走らせながらそう言うと、視界の隅で僅かに守月様の眉が潜められた。
「見るに、対象は江戸界隈の管理人じゃ。奴等がネタにしているのは幕府の打倒じゃ。人が集まることじゃろうて、それが出来れば、どれ程の名誉があることか。タダでさえ特別な存在である管理人に、更に箔が付くな」
私は私自身の考えも少し混ぜつつ話を続ける。守月様もその辺りは感じ取っているのだろうか、僅かに苦笑いを口元に浮かべつつも、黙って話を聞いてくれていた。
「まぁ、どう感じるかは別として…奴等に入れ込む者が多くなってくると、後が困るんじゃ。江戸は今、人口増加の一途を辿っておる。ただでさえ、この間の一件で人手不足は感じたじゃろ?」
「あぁ」
「それがもっと悪化する。悪化すれば…虚空記録帖に記された未来が崩れていくんじゃ。それがどれだけ危うい事か…想像できるか?」
筆を走らせていた手が止まり、私は守月様の方をチラリと見やった。守月様は私の方を見たまま僅かに目を細めて…顎に手を当てて思案顔になる。
「この先が崩れる事がどれだけ厄いかは知らねぇが…碌でもない事になるってのは間違いなさそうだな」
「あぁ。最悪、わっち達全員が抜け殻になる事も考えられるな」
「なっ…」
「虚空記録帖の未来が崩されれば、最早その未来をわっち達が管理する意味も無いじゃろう。わっち達は全員消え失せ…新たな時代に合わせて虚空記録帖が管理人を任命する…なり、他の手を打つなりするはずじゃ」
私の言葉を聞いた守月様は、僅かに顔を青褪めさせたが、すぐに首を傾げて怪訝な顔を見せる。確かに、私が言った言葉は荒唐無稽かもしれないが…有り得ない話じゃない。未来が壊され私達である必要がないのならば…虚空記録帖はどう動くだろう?私達に与えた死ねない体…それにどう落とし前を付けるのだろうか?そう考えてみれば、あながち大外しはしていないと思うのだ。
「なんにせよ。未来が分かるわっち達が、不安定な将来に怯える事になるのは確かじゃ。そして、さっき言ったように、それを阻止するためにわっち達が動く道理も無いのもまた事実。じゃが、管理人は何もかもから解放されておるからの。ただの思想を罪に仕立て上げて奴等に干渉するのもまた…なってないんじゃよ。分かるよな?」
怪訝な顔をした守月様にそう言うと、私は手にしていた筆を筆起きに戻す。私が書いた文字は既に記録帖に吸い込まれて消えていたが、記録帖から何か返事があるわけでは無い。私はそれを見て僅かに顔を歪ませると、外を眺めてボソッと呟いた。
「動く大義名分が出来てくれれば良いんじゃがな。それも無理じゃろ。管理人対管理人…最も得の無い争いじゃものなぁ…」




