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大江戸虚空記録帖  作者: 朝倉春彦
参:魔境街道
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其の五十八:邪教と正教の分水嶺

「なるほどぉ…じゃ、何か?今、ワタシ達が居る比良は御伽噺の中だとでも?」

「そう言ってもおかしくは無いじゃろうな。知ってしまえば笑い話にされる事でも、右も左も分からぬ者には甘く聞こえるんじゃろ」


 時は少し流れ、風呂から上がった直後。銭湯の二階で、私は千代と共に駄弁っていた。窓の外を見ても、そこはいつもの夜の光景。外の喧騒に、怒声は紛れていない。守月様は上手くやりおおせたのだろう。


「知らぬものほど、甘い事実に飛びつきたがる。基本だな」

「して、見た所…それになびく者達は成り立てか抜け殻一歩手前の中堅といった所か」


 私達は茶を飲みつつ、件の噂について語り合う。いつもの席、周囲に見える管理人は皆熟してしており、今回の噂の餌食になる様なタマでは無い。皆、私達の事を気にしつつも、景色の一部として見過ごし、思い思いに酒を浴びてそれぞれの友人たちと共に適当な話を語らっていた。


「で、どう動く?これは、記録帖から依頼されてる仕事でもあるまい」

「そこなんだよなぁ。ワタシ達が動いてやる義理も無いんだ。無視しても良いんだが…」


 私の問いかけに、千代は僅かに顔を曇らせる。今回、守月様と共に見回ったのも只の親切でしかなかった。管理人がどのような考えを持とうが、それは自由だ。その自由には代償が付き纏うが…その判断は記録帖が下す事。私達には関係がない。


「問題は江戸地域の管理人って事なんだよなぁ」


 関係が無いが…見捨てられない理由はこれにある。あの独演会を聴いてなびいてしまうのは、人口増加の一途を辿る江戸の管理人達なのだ。彼らが皆抜け殻になってしまえば、そのしわ寄せは私達にやって来る。この間の一件ですら、休む暇どころか、移動すら焦る程に忙しかったというのに、ここに来て人が減るというのは受け入れ難いわけで…


「だからといって、頭に立つ気も無いんじゃろ?」

「まぁな。一番歴が長い自負はあるがな?それしか取り柄のネェ女が偉い面してどうすんのよって」

「昔から変わらぬのぅ。千代は」

「んな、権力争いなんざ向こうに居る頃で懲り懲りさ」

「わっちも、似た様なもんじゃの。人を評価出来ぬモノが多いからのぅ…選ぶ側に立てば分かるが…人以外の所で何かがありすぎる」


 窓の外を見て、溜息一つ。噂は本当で、それものっぴきならない所まで来ている事は十分に分かったが…いざ、動こうとすると、どう動くかに難儀する事となる。私と千代は違いに唸り声をあげて悩んだが、すぐに答えは出なさそうだった。


「とりあえず、記録帖に報告は上げるんだろ?」

「あぁ。守月様と、明日やるつもりじゃの」

「それで記録帖が何をいうか…ソレからでも良いか?」

「そうじゃの。最初の計画からは大分萎んだ気がするが…仕方ないじゃろうて」

「まぁなぁ…最初は適当にシバき倒して終わりな予定だったんだが…話を聞く限り、規模が大きそうで困るもの」


 千代はそう言うと、通りすがりの抜け殻に握り飯を三つ注文した。私もと言いたかったが、天ぷらがまだ腹にあったので自重する。


「やっぱり、この間の虚空人が効いたのかのぅ?」


 注文を終えた千代にそう言うと、千代は呆れた顔を浮かべて頷いた。


「だろうよ。身内があのザマじゃな…」


 千代はそう言って僅かに弱る。千代が管理人達の長を積極的に名乗らない、行動しないのには理由があった。虚空人絡みで両親が向こう側に居るのも一つ…そしてもう一つ、千代の考えが何よりも自由なのだ。


「弱ったのぅ?」

「あぁ、全くさ」


 管理人になった以上、千代は何人にも思想を強要したりしない。虚空記録帖に従い、長く生きたければ生きればいい。そうでなければ、何かしでかして抜け殻にでもなってろ。ある意味、そういう奴なのだ。虚空記録帖の枷から外れ、比良の国で制御された好き勝手を謳歌する…向こう側では出来ぬ生活が出来るんだ。それ以上に望むようなら、その結果が記録帖への裏切りとならない限りは好きにすればいいそれが千代の考えみたいなものだ。


 私は千代に管理人にされてもうどれだけ時が経った事だろう。なんだかんだ、ずっと千代の隣に身を寄せるが、それを千代が求めた事は一度たりともない。千代は誰にだって変わらないのだ。好きにすればいいと言ってくれる。だから、私は、私達は千代の傍から離れない。とりあえず、死ねない体になってしまって幾星霜…生きていたいと思ううちは、千代の傍で馬鹿をやっていたいのさ。


「こういうの、記録帖も何もしねぇってのが不気味だぜ」


 千代の呟きに、私は頷き目を細める。


「あぁ。減っても見繕えばよいとでも思ってるのじゃろうかの」

「人相手じゃねぇのに、やたらと意図見てぇなもんが見え隠れしてんだよな」

「それを知る頃には、わっち達は抜け殻になっておるのかのぅ?」

「どうだか。でも、そうなんのも、家の馬鹿親共を土に埋めた後だろうよ。連中は必ずこの手で殺すと決めてんだ」


 千代は殺意の籠った目でそう言った時。丁度抜け殻が握り飯を運んできた。一時中断。私は残った茶を飲み干して、抜け殻にもう一杯頼み持ってきてもらう。


 屋台村で見た光景からすれば、随分と平和で普段通りな銭湯の二階。あの屋台村での盛り上がりが徐々に大きさを増して行けば、この辺りでも独演会が開かれるであろうことは容易に想像がついた。


 どれだけ頭を巡らせても、正と負が入り乱れる。誰かが動かねばならないのに、動けないもどかしさを感じる。出来る事は、記録帖へ報告すること…ただ、それだけ。私は二杯目の茶を飲みつつ、更けていく夜を眺めながら呟いた。


「嫌な立ち回りに追い込まれたものだな…全く…無駄に長くやると、こういうことも…偶にはあるかのぅ…」


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