其の五十四:陰影と真影の分水嶺
「こんな所があったとはな」
身なりを整えてやって来た南東地区。守月様はこの辺りに来たことが無かったらしく、物珍しそうに辺りを見回しては僅かに顔色を変えていた。中心から僅かに離れた場所、それでも中心街らしく明かりに困ることは無いが…僅かに自然の情緒も楽しめる落ち着いた雰囲気のある地区だ。
「美味い屋台が多くあってのぅ。川も綺麗だし…その周りに生えてる木々は全部桜じゃ。春は満開の桜並木になり…秋は眩いばかりの紅葉が見られる」
「ほぅ…そういうのは嫌いじゃないぜ」
「じゃろうな」
屋台の並ぶ通りの、丁度入り口付近に立つ私達。守月様は、地味というより働き盛りみたいな男の格好だ。甚平に、手ぬぐいに鉢巻…刀は小さな脇差しか持たせなかった。
「平時に来てみると良い。今日もそうだが、酒は飲むなよ?」
「今は飲まねぇが、それ以外は俺の勝手さ」
「そのうち、別の理由で抜け殻化しそうじゃの」
そんな、体を動かす労働者風の格好をさせた男の横に立つ私もまた、それによく似た?格好をしている。胸をサラシで締め上げ、その上から地味な灰色系統の着物に身を包んだ。それはさながら田舎から出てきて働く町娘。化粧も髪型も、兎に角、私と分からぬように仕立てたものだから…親衛隊と行き交っても向こうは私だと認知しない程。
「どうせ、晩飯もまだじゃろうて。食べながら色々と見物するとしよう」
「あぁ。そのつもりだ」
そう言って、屋台村に向けて足を踏み入れた私達。屋台が立ち並ぶ通りは大体二町程。その横を綺麗に整備された河川敷が突っ切っており、散歩するだけが目的の者はそちら側に降りている様だ。
「何が良い?」
「鰻が食えれば何でも」
「鰻、好きじゃのう…」
私達は屋台村に入るなり、行き交う人々に紛れて屋台を見て回る。料理の種類は多くない。差が出るのは…店を切り盛りする抜け殻達の腕の差か、それとも出してる酒の種類だ。
「見つけたか?」
「あぁ…面ァ、覚えてねぇのか?」
「いいや。私はもう十程見つけておる。どうじゃ?そっちは」
「似たようなもんだ。八…いや、今ので九」
「何処に溜まるだろうな?」
「うってつけの闇があるな。ま、まだまだ夜はこれからみたいだぜ」
屋台に目を奪われつつ、私達は行き交う人々にも目を向けていた。管理人達の中に紛れる裏切り者。千代と螢によれば、奴等は徒党を組んでいるらしいという話だったが、その話は本当らしい。私達が屋台村をゆっくり見て回る間、奴等はそれとなく集まり始めていた。
「おっ?」
屋台村を一巡して、再び中央付近に戻ってきた時。ふと守月様が足を止めて私の腕を引いた。
「?」
驚きつつ顔を向けると、丁度空きが二席出来た屋台に目が向く。そこで並べられていた料理は、他とは違うものだった。
「ここにしよう」
「お、おぉ…」
目を輝かせて席に着く守月様。私は並んでいたそれが何なのか分からぬまま席に着き、徐に周囲を見回した。まぁ…屋台村の中心地、他への導線もあり、人が多く、暗がりに困らない場所だ。監視するにも丁度良い場所だと思うのだが…
「これは?」
「知らねぇか?天ぷらだ」
「天ぷら?…あ、あぁ…聞いた事はあるが、見た事は無いのぅ」
「なんだ。花魁時代に食わなかったのかよ」
「良い物が食えるか。油を使ってるんじゃろ?向こうじゃ好き勝手使えないものじゃろう」
「んなもんかぁ。見ねぇなと思ってたんだ。こんなに恵まれてんのによ、天ぷら位あるだろってなぁ」
守月様は若干仕事を忘れ気味で、次々と注文を付けていく。私も色々と尋ねつつ天ぷらを食べる事にして、料理が眼前に並ぶのを待ったが…隣の男が、こんなにも楽し気になる料理。ちょっとだけ気になってくるではないか。
「忘れるなよ?」
そこで釘差一つ。普段の仕事とは違うサボろうが気にならない仕事だが、仕事は仕事。〆るところは〆なければなるまい。そう言うと、公彦の目は急に鋭くなり、ある一方を指さして見せた。
「忘れるかよ。悪人の思考なんざ、悪人本人よりも知ってるんだ」
その言葉に偽りは無いらしい。守月様が指した先、さっきから確認できた未来の抜け殻達がゾロゾロと集まり始めていた。
何をする気かは分からない…辺りに集まれる様な場所も無ければ、飲み屋がそこにあるわけでもない。ただ、そこに丁度良い広場があっただけ。行き交う人々も、人が集まるその一点をチラチラ見ては、怪訝な顔を浮かべて通り過ぎていくばかりだ。
「ああいう、外に集まるやつってのぁ…面倒だぜ」
守月様はそう言うと、一度屋台の方に顔を戻す。丁度、金色の食物かと見まがう程に綺麗な色をした天ぷらが載った皿が私達の前に並べられた。サクサクホクホク…湯気も匂いも美味そうで、これは出来立てというやつだ。
「そうじゃのぅ。何かありそうじゃが…その前に、こっちに意識を奪われそうじゃの…」
若干揺らいだ私。次に運ばれてきた茶碗には白飯が山盛りに盛り付けられており、それだけでゴクリと喉が鳴った。比良に来て幾星霜…美味いものは知り尽くしていると思っていたが、時代の進歩は凄いものだ。
「ま、飯にしようぜ。アノ連中が動くのは、ココの連中が酔ってから見てぇだな」
私の様子を見て僅かに顔を笑わせた守月様。互いに箸を手にして手を合わせ、運ばれてきた天ぷらを掴み口に入れる。ザクッとした歯ごたえ…中まで火が通り、衣に包まれていた山菜の、絶妙な塩味がまた目を細める程に美味い。
「美味い…!」
思わず本題を忘れる程の味。私が僅かに揺らぐ間、間を取り持つように冷静なままの守月様は、チロチロと背後を見つつ天ぷらに舌鼓を打っている様だった。
「読みが正しけりゃ…人が多いのにも頷けるぜ。だがまぁ、その手の妄想は何処かに留めて置かねぇとなぁ…」




