其の四十四:猛毒無頼漢
八人の虚空人を残し、ボク達は里を抜け出した。屋敷に残した虚空人は、屋敷を出て迄ボク達の後を追いかけてくる気は無いらしい。とりあえず、当面の危機は脱したといっても良いだろう。
「栄さん。何があったんだ?」
手伝ってくれた皆を一人残らず帰してから、始末漏れが居ないかを確認して里を抜け、草原まで戻ってきたボクは、お千代さんに背負われた栄さんに尋ねる。すると栄さんは、僅かに薄くなった意識を戻し、懐から何かを取り出した。
「抜かった…奴等、こんなものを持ってた…」
弱々しい言葉。ボクに渡されたのは、何てことの無い酒瓶。ボクはそれを受け取り首を傾げると、栄さんはフッと自虐的に笑う。薬師…にしか分からない事があるのだろうか。
「分からぬよなぁ。詳しいことは後だ…わっちを、富士に連れてってくれぬか?」
とんでもないお願いがやってくるものだ。ボクはそれを聞いて目を丸くすると、周囲にいた鶴ちゃんや公彦、お千代さん迄もがボクと似た表情を浮かべて栄さんの方に顔を向けた。
「富士?富士山?」
鶴ちゃんが問うと、栄さんは首を縦に振る。ボク達は顔を見合わせてから栄さんに目をやると、栄さんは苦しそうな顔を上げて月を指した。
「あの月が新月になるまでに…富士の水を飲まねば…わっちは抜け殻になってしまう」
弱々しくも、ハッキリとした口調で告げられた。それは、呪いというのだろうか…?何がどうなっているのかは知らないが、虚空人が栄さんに何かをやってくれたに違いない。
ボクは困惑しつつお千代さんに顔を向けた。お千代さんも、行き成りの事で訳が分かっていないだろう…ここから富士までは結構かかる。月が新月になるまでおよそ半月。それまでに富士へ…いけなくは無いだろうが、今は管理人の身だ。少々緩くなっている記録帖の問題もあって、余りココに長居するのは得策と言えない。
「栄さん。比良に戻ってから、富士の近くで出るってのはダメなの?」
「あぁ!それだけはダメだ!このまま比良へ行けば、すぐにでも抜け殻になってしまう!」
ボクの問いに、栄さんは真っ青な顔を浮かべて答える。
「そうかい。なら…誰かが残って栄を連れてくっきゃねぇか。公彦、お前、今回は少し楽してたよな?ちと、付き合え」
その様子を見たお千代さんは、素早く役を割り振ると、栄さんを背負ったままボクの方に体を向けた。
「螢。鶴松と戻って記録帖に報告だ。その薬の事、調べとけ」
「え?うん。分かったけど…薬って専門じゃないんだよね。栄さん以外に誰かいたっけ?」
「初音太夫親衛隊に幾つか栄の弟子が紛れてる。悪ぃがそこから当たってくんな」
「なるほど。分かった」
「じゃ、帰ったら尋ねるさぁ。半月は掛るがな」
「うん。後始末は任せといてよ」
お千代さんから仕事を貰ったボクは、鶴ちゃんを連れてお千代さん達と別の方向に足を向けた。ここは人気のない草原…地図にもない場所だが、向かう場所はそれぞれ別の方角。ボク達は一時的な別れの言葉を交わすと、それぞれの方へと足を踏み出す。
「さて、鶴ちゃん。帰ったらまず飲もうだなんて思っちゃないよね?」
草原を超えて、月明かりに照らされた獣道を歩く最中。冗談めかしに言うと、鶴ちゃんは分かり易く狼狽えた。
「まさかぁ。帰ったらすぐ寝るさぁ…どんだけ働きづめだったと思ってやがんでい」
「その割には元気が有り余ってる面だ。ま、帰ったら暫く書き仕事…ボク達には向かない仕事さ」
「まぁな。記録帖のお蔭で文が書けるようになったってやつだが、好きとは言えねぇからなぁ」
「ボクも。それに、記録帖に書くより先にコイツの事を調べないと」
そう言って、栄さんから託された酒瓶を持ち上げる。どう見たって酒だ。振ってみると、中には液体が入っている様だが、振った感触からして、粘り気のある液体らしい。
「覚えあるかい?親衛隊の中に居るっていう、栄さんの弟子とやらは」
「何となくな。今日も居たはずだぜ。追いかけりゃ、捕まえられっかも」
「そこまではいいや。向こうに付いてからで。もう切羽詰まって無いし」
ボクはそう言って、酒瓶を懐に仕舞いこむ。その様子を見ていた鶴ちゃんは、ボクの方を見て僅かに笑った。
「っとに、お千代さん絡みじゃなけりゃ人の覚え悪い奴だよなぁ」
「今更さ。栄さんの事も気に入ってるよ?だけど、その周囲はサッパリ。多すぎだ」
「興味がネェだけだろ。話したことはあるはずだぜ。絶対、それも親し気にだ」
「そうかなぁ…生憎お千代さんの周囲以外は覚える気が起きなくってね…」
鶴ちゃんの言葉に、ボクの声色は僅かに低くなる。そこに緊張感は無く、いつものじゃれ合い程度の感覚だが、ボクは鶴ちゃんの顔をジロリと見上げると、薄ら笑みを浮かべて言った。
「だって、寿命が短すぎるんだもの。鶴ちゃんも栄さんもまだまだ若いけどさ。それ以外はもっと若いんだよ?なのに勝手に死んでく連中が多い事多い事…」
それが、ボクがお千代さん絡みの人間以外を覚えようとしない理由だ。半永久的に生きていられる管理人。黙って仕事をして、記録帖様のいう通りってやっておけば呑気に生きていられるものの…何故か余計な自我を芽生えさせて抜け殻に成り下がる奴が多いのさ。
そんな奴。ボクから見れば、たった少ししか管理人になれないような半端人。覚えるだけ脳の無駄。鶴ちゃんはボクを見て砕けるように笑うと、頷いてボクの言葉に同意する。
「確かにな。恵まれた奴等が多いからよ。そんな奴が更に恵まれたら…欲が出るんだろうさ。オレ達は恵まれねぇ奴だったからなぁ。良い意味でも悪い意味でも冷めてんのさ。長生きの秘訣だな」
「そうなら。八丁堀の旦那はちょっと危ういかな?」
「だろうよ。お千代さんも、それが分かって節介かけてんだろうさ」
「色々アレだけど、人は良いからねぇ。お千代さん…ま、当人の自由か」
この辺り。抜け殻に対しての価値観は人それぞれというもの。ボク達は皆同じ価値観だからこういう会話になるのかもしれないけど、そうじゃない連中だっているのかもしれない。今の所、そんな死を望む連中、見たことは無いが…
「しっかしよ、あの八人も独特な奴等だったなぁ。オレは遠目でしか見てねぇが」
そろそろ街道に出ようかという頃。鶴ちゃんがボソッと呟くように言った。ボクはそれに頷くと、呆れたように肩を竦める。
「どう思おうが自由だけどさ。それでも、ダメな事はあると思うんだ。理屈抜きにダメなものって」
「あぁ」
「連中が良い例だったね」
短くそう言うと、ボクは見えてきた街道の石畳を見てホッと一息。ここまで来れば、比良まではあと僅かだ。
「ま、積もる気持ちをぶつけるのは後にするとしよう。後始末、しっかりやらなきゃ、お千代さんに叩き斬られちまうからさ」




