其の三十五:秘密無頼漢
「ここで聞いた事。誰にも話すなよ?」
その前置きで始まったお千代さんの昔話。ボクはコクリと頷くと、周囲を気にしつつお千代さんの話に耳を傾けた。
「螢が見たのはな、ワタシの両親だろう」
「えっ!?」
いきなり驚くところから入るとは…ボクは開口一番のそれに驚くと、お千代さんは僅かに頬を綻ばせる。
「ま、当然の反応だな。ワタシにだって先輩格は居るんだぜ。それが、偶々親だったってことだ」
「なら…あれは、元々管理人だったって言うの?」
「あぁ。螢が管理人になる数年前までな」
お千代さんの、思いもよらぬ秘密。ボクは何か悪い話を聞いてる様な感覚になり、背中が僅かにヒヤリと凍えた。
「虚空人ってなぁ、違反者がなっちまう以外にも方法があるんだ。分かるか?」
「さぁ。まさか、仕事に出たっきり戻ってこないとか?」
「大当たりだ。考えてもみろよ。ワタシ達、向こうに出たら記録帖を破って持ってった一部がある以外は自由だろ?」
お千代さんはそう言いながら、ボクの記録帖を取って見せる。ボクが小さく頷くと、お千代さんはニヤリと笑って話を続けた。
「ある日のこと、ワタシを管理人に仕立て上げた親は、仕事から帰ってこなかった。行方知らずになっちまった。最初数日は記録帖で行方が追えたが…やがてそれも出来なくなって…な」
「それって…」
「だから、誰にも言うなよ?ここで記録帖に背けば抜け殻になるが。向こうでやれば記録帖の管轄が消え失せて、虚空人になるってことなんだろ」
「そうだね…そんな危険な事。誰にも言えないや。いや、それ、ボクにすら言って良かったの?」
「螢だからさ」
ボクはお千代さんの言葉を受けて、僅かに気恥ずかしさを感じる。管理人なら誰でも虚空人になれると言うのは、ちょっと危うい情報といえた。今はこうして比良で好きに暮らす事に慣れている者が多いと思うが…虚空人の自由さに、何処かで憧れているような輩がいるかもしれない。
「ちゃんと記録帖の怖さを知ってるだろ?なら、安心ってやつよ」
お千代さんの言う通り、ボクは記録帖の危うさを知っていた。その自由は危うい自由。記録を破れば破る程、負の未来が訪れるのだ。記録帖は、それを破った者に微笑まない。それを分かろうとしない奴が多すぎる。
「こうして、ほぼ永遠に管理人でいさせられてる事すらまだ手緩い部類なのにね。虚空人になりに行くなんて、どうかしてるよ」
ボクがそう言うと、お千代さんは小さく頷き、そして顔を引き締める。
「自らそうなりにいった最初の人間が、ワタシの親なんだがな」
「それは…なんかワケアリなの?」
「ワケアリ…だろうな。つまらない権力争い絡みでな。徳川がこうして世を納めてる事を是としなかった」
「ははぁ…お千代さん、元々はそういう人種か」
「なんだそういうって。ただ、上に持ち上げる首を間違えた武家の娘さ」
お千代さんは嫌味を存分に貯めた顔をボク向けると、やれやれと言いたげに肩を竦めた。
「なるほど。今でも何処かでひっそり暮らして…江戸を混乱に陥れようとしている訳か」
「そういうことだ。それには頭数がいる。今回の騒ぎは、それが目的だろうな」
ボクの言葉を肯定したお千代さんは、窓の外に目を向ける。ボクも釣られて外を見れば、行き交うのは皆抜け殻だった。
「虚空人、只々逃れた者が相手なら楽なんだが…こういう思想犯だとな。管理人ですら、向こうに取り込まれかねんのだ」
「そういうのが、実際にあったわけだね」
「あぁ、あの手この手でな。拉致監禁、説得…何でもあるさぁ。だからさっき、下手に手を出すなと指示を出したんだ。それに、管理人にアイツらは殺せないからな」
「へぇ…?どうして」
「管理人から虚空人になると、不老不死のままなんだ。殺しても殺しきれねぇさ」
お千代さんの言葉に、ボクはこの日何度目かの絶句をしてしまう。お千代さんはそんなボクを見て僅かに口元を緩ませると、手をヒラヒラさせて「案ずるなよ」と言った。
「数は多くないんだ。ウチの親に、その周りの数人程度。長らく雲隠れしていたが…動き出したってことは、頭数揃えて準備が整ってきたって事だろうよ」
そう言うと、お千代さんは残りの蕎麦を一気に平らげる。その様は少しだけ気迫が籠っていた。
「何かを調べるような動きがあるって事は、奴等、まだ江戸に慣れてない。十分に調べてから事を起こすだろうさ。だからな、螢。奴等が何かを起こす前に、連中を動けなくすればひとまず良いって訳よ」
そう言い切ると、お千代さんは席を立った。ボクも記録帖を懐に仕舞うと、その後に続けて席を立つ。
「で、これからどうするのさ?」
「探りを入れるさ。中山道の辺りに、連中の集落があるはずだ。それを探す事にする」
「探してどうする気?相手は不死だろう?」
「あぁ。だから回りを消すのさ。不死なのは元管理人の虚空人。それはな、決して数は多くない。ワタシが観測している限り、この国に8人しかいないんだ」
「その全員が、お千代さんの親の仲間ってわけか」
「あぁ。だが、八人程度じゃ世界は変えられねぇ。周りを潰せばとりあえずそれでいい」
銭湯の外に向かいながら言葉を交わし、ついに銭湯を出て中心街を歩きはじめたボクとお千代さん。
他愛の無い仕事が、とんでもない何かに繋がっているというのはこれまでもあったが…今回のはこれまでの中でも最大級。ボクはお千代さんの少し後ろを歩き、これから何をすべきかを考え始めた。
「螢」
考えを巡らせ始めた刹那。お千代さんがボクの名を呼びながらこちらへ振り向く。その顔は、これまで見たこともない様な真剣さを纏っていた。
「外には出なくていい。これから相手にするのは虚空記録帖だ。帰ったらウチへ来い。暫く、筆は手から離せねぇぞ」




