其の三十四:密談無頼漢
公彦がしくじった後。色々ありつつも無事に比良の国へと戻ったボクは、言伝にしていた通り、銭湯の二階でお千代さんを待ち構えた。
「あ、お千代さん。こっちこっち」
ボクが先に付いて、風呂やら飯やらを済ませ暇を持て余しかけた頃。紫色の着物を着て、真っ白な鬢そぎ髪を濡らしたお千代さんが二階に姿を見せる。ボクの声に顔を向けたお千代さんは、僅かに固い顔を浮かべたまま、ボクの真正面に腰かけた。
「話は公彦から聞いてる。あの男、随分な事をしでかしやがったなぁ」
「ごめん、ボクが居ながらだったのにね」
「ま、なっちまったものを喚いても仕方がねぇや」
そう言いつつ、若干怒り顔のお千代さん。コッチに戻り、自分の虚空記録帖を開いてみれば、その理由は良く分かった。ボク達がしくじってからというもの、江戸の界隈で違反が相次いでいるからだ。
「とりあえず応急処置はしたけど。それでもこの様か。まぁ、そうだよね」
一度の違反は、別の者の違反を誘う。それがああも広まったらどうなるか。ボクとお千代さん以外に管理人の姿が見当たらないのが、厄介事の良い証といえる。
「ま、公彦に聞かされてたよりかは、マシだがなぁ。それでも、見ての通りさ」
お千代さんはそう言いつつ、通りすがりの抜け殻に蕎麦を頼むと、肩に掛けていた手ぬぐいで濡れた髪をわしゃわしゃと拭い始めた。
「で、今回の始末だが。喧嘩売ってきやがった虚空人の殲滅以外にねぇぞ。手掛かりはあるのか?」
髪を拭いながらそう言われると、ボクは少し考える素振りを見せてから小さく頷く。手掛かり…と呼べるかは微妙だが、それでも、虚空人の居場所を限定するには良いネタがあった。
「探すなら、中山道沿いだろうね。明るい時間に江戸に現れるってことは、江戸から近い場所。そうなりゃ、山の一つや二つに絞れるんじゃない?」
「公彦の言ってた女の逃げ先と変わらねぇ。ま、記録と照らして調べねぇとダメだがな」
「うん。だけど、消えた方向が同じなら…まぁ、そっちでしょ」
ボクはそう言い切った後、僅かにお千代さんから視線を逸らす。お千代さんは、そんなボクの揺らぎを逃さなかった。
「同じ…?まだ、何かあるなぁ?螢、珍しいじゃねぇの。言い淀むことがあるなんてよ」
「…まぁ。これを言わないとダメなんだけどさ。中山道への根拠が無くなるから」
「なんだ。ますます気になるな」
そう言いながら先を促すお千代さん。その反応を見る限り、お千代さんには関係が無い事だろうと思うのだが、あの二人の似つき具合が頭から離れないボクは、僅かに気まずさを感じてしまう。
「ボクがつけたのは、公彦が仕留め損ねた女じゃないんだ。一通り後始末が終わった後に見つけた二人組の男女さ」
「ほぅ?」
「只の人じゃないことは確かだよ。記録を見た訳じゃないけど」
ボクはそう言うと、僅かな間の後でお千代さんを指さした。
「そっくりなんだ。お千代さんに…白い髪、赤い目。男女と言っても、夫婦みたいだったんだけど、どっちにも、お千代さんに繋がる箇所があった」
そう告げると、興味津々に聞き耳を立てていたお千代さんの目が、大きく見開かれた。
「会話も虚空人のソレだったね。大騒ぎを起こし、違反者を作ることが目的だったみたいだ。奴等、違反者を生んで何かを計画してるみたいだった。中身までは言わなかったけど」
その言葉は、お千代さんに届いているのだろうか。目を見開いたまま固まったお千代さんは、ボクの言葉が終わった後も動き出すことは無く、暫し固まったままだった。
次にお千代さんが動き出したのは、抜け殻が大盛の蕎麦を持って来た時。お千代さんはボクに何も言わず蕎麦を頬張り始めると、何かを考えたような顔を浮かべて暫し黙り込んだ。
「今は年の事を話題にしても良いよね?あの虚空人、お千代さんの親戚なんじゃない?」
静寂を断ち切ったのはボクの疑問。お千代さんは蕎麦を飲み込み、蕎麦に付いてきた茶で喉を潤すと、何とも言えない表情を浮かべて頷いた。
「だろうな。こんな髪に目、そうそう居てたまるかってんだ」
「何かワケアリ?」
「大ありだ。こんな所で、螢からその話が出て来るとは思わなかっただけさ」
何処か焦りを感じる声。何処か怒りも感じる声。お千代さんは目を泳がせながら何かを考え込むと、ボクが持って来た虚空記録帖に目を向けてハッとした顔を浮かべ、それを指さした。
「ん?」
「ちょっと記録帖貸してくれ」
「あぁ、良いけど」
「おい!筆持ってきてくれ!墨は少しで良い!」
いそいそとボクの記録帖を取って、それに抜け殻の持って来た筆を走らすお千代さん。ボクが何かを言う前に、記録帖に何かを書き込み、文字が飲み込まれたところで、お千代さんはボクの方へ僅かに顔を寄せた。
「何したのさ?」
「記録帖に指示出しさ。虚空人を見つけ次第殺せと言って鶴松等を送り出したんだが、ちと、手を変えなきゃな」
「お千代さんに似た夫婦のお陰かな?」
「あぁ。連中が相手となれば、只見つけて殺してじゃ終わりがないんだ」
お千代さんに次いで古参…といっても良いくらいの古株でも知らない事はあるものだ。ボクはお千代さんの方を見て首を傾げると、お千代さんはボクの記録帖をこちらへ滑らして返し、そしてゆっくりと口を開いた。
「多くの虚空人は、ただただワタシ達から逃れる為に逃げまどうよな?」
「あぁ。今回もそうだと思ってたんだけど…なんか変だよね?」
「変で当然だ。きっと、螢が見たワタシのそっくりさんが裏に居るんだろうからな」
「…なるほど?」
ボクが頷くと、お千代さんは蕎麦を一口食べて間を取る。そして、ゴクリとそれを飲み込むと、お千代さんは周囲を見回した後、ニヤリと暗い笑みを浮かべてこちらに顔を戻した。
「誰もいないなら、丁度良い。昔話が挟まるんだ。ちと、長話になるが、構わねぇよな?」




