其の三十三:尻拭無頼漢
「悪いね。今宵の規範はボクが決めてるんだ。突然だけど、死んでもらうよ」
捕まえた女の首筋にかんざしを差し込む。これで、十三人目。ボクは力を失った女を畳の上に寝かせてやると、周囲を見回してから外に出た。何てことない、ただの町家…神田周辺の町家に散らばった違反させられた者達の始末を始めて数刻。夜は更け、行燈の火も消える頃…ボクは未だ江戸に残り、仕事を続けていた。
「どれだけ消せば良いだろうかね」
外に出て、人通りが無くなった通りで一人、ボソッと呟く。入り組んだ通り、この時間に最早歩く人の影は見えず、皆、寝静まってしまった様だ。ボクは辛うじて明かりが付いていた、商家の掛行燈の元へ駆け寄ると、懐から記録帖の一部を取り出し中身を確認する。
「この辺も、中々どうしてワケアリ人が多いのかね」
さっきまでは五人の情報しか映していなかった記録帖。今は、この辺りに住む違反させられた者達の情報でビッシリ埋まっていた。紙の大きさもあるから、しっかりした情報は書かれていない。簡単に、そいつの特徴…表の顔と裏の顔…人に言えぬ秘密だけ。
「……ふむ?」
ボクはそれらから、消した方が良さそうな人間を選んで始末して回っていた。八丁堀のやらかしのせいで出来てしまった違反者達。気の毒だが、どんな原因があろうと違反は違反。死んでもらわねば後が困る…のだが、こういう場合は少々面倒で、記録帖がある程度気を効かせて無罪放免にしてしまうのだ。
ならば、ボクがこうして殺して回る必要も無いだろう…と思うのだが、現実は甘くない。一度崩れた記録は何処に波及するか分かった物ではないのだ。こうなった時点で、最早江戸だけの問題では無くなってしまう。江戸近辺の記録は大きく変わらずとも、それ以外の地域が大きな被害を被る事だってあるのだ。
ボクがやっているのは、その被害を僅かでも減らすため。傷を少しでも小さく済ませるため。これをやっておくのとやらぬのでは、後の世界が見せる光景が大きく変わってくるのだ。殺し過ぎもダメだが、手を付けないのはもっとダメ…難しい所だが、ここはある程度勘に任せても許されるだろう。
「あと三十人はやっておかないとダメかな。ここまで広範囲だと…クソ。あの寡黙同心め。斬る事すら出来ないのかよ。女一匹に惑わされやがって…」
記録帖に目を通しつつ、愚痴を零すボク。手にしたかんざしは、そろそろ使い物にならなくなってきた。あと数人はコレでイケるが、そっから先は、この辺の道具でどうにかするしかない。
「愚痴言っても仕方がないかぁ…」
記録帖を懐に仕舞いこんだボクは、ため息交じりにそう呟くと、夜の闇へ溶けていった。
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「君が最後なんだ。バタバタしてないで、早い所死んでくれないかな」
近場にあった彫刻刀で、馬乗りになった男の首を抉りながら一言。人殺しの夜、神田の街で、あの手この手で殺して回って、この男が最後の一人。ボクは驚愕の顔を浮かべた男の生気が消えてなくなるのを確認すると、彫刻刀を抜いて部屋の隅に放り投げた。
「一丁上り…子供の体でやることじゃないや」
汗を拭って一言。ボクは男から離れると、部屋を出て、家を出る。外は変わらず暗闇の中。さっきと変わらぬ静寂に包まれていた。何人人が死のうが、この街の静けさは大差が無い。
入り組んだ路地を抜けて、昼間は大勢の人が行き交う大通りまでやって来た。そこでまた溜息を一つ。
「さて…これ位で良いだろう」
頭上に輝く上弦の月明りが、僅かに辺りの輪郭を照らしてくれていた。ボクは目に付いた手頃な塀に飛び乗ると、そこから町家の屋根に登って、屋根の上にペタッと座り込む。
「に、しても。あの連中の目的は何なんだか…」
そこでようやく、この様を生み出した虚空人の事を脳裏に過らせた。わざわざボク達の元へ出向いてくれた虚空人。ボクが居る事が誤算だった様だが…だとしても、出てきて何も出来ず殺されるだけ…というのは、ちょっと不自然な気がする。
ボクは考えても分からない事に頭を使い、屋根の上で月を眺めながら、色々な事を考えていた。連中の目的に付いて、色々な妄想が行っては消えて…暫く有り得もしない妄想を楽しんだ後…ふと、ボクの耳に砂利を踏みしめる音が聞こえてくる。
「?」
体を起こして辺りを見回す。屋根の上を這いずって、音の方に体を寄せてみると、その音…複数人の足音は、ボクの方へと近づいてきている様だった。
(珍しい。酔いどれか何かだろうか)
ボクは深く考えず、珍しいこともあるものだ…と思う程度。何てことの無い、野次馬根性で誰が通り過ぎるのかを眺めてやろうと、通りの方に顔を向けていた。
「…!?」
だが、現れた人影を見てボクはあんぐりと口を開ける。
「派手にやられてんなぁ。こんだけ違反してんのによぉ、殺しの狙いは正確だぜ」
「鬼人の僕に当たったそうだ。これ位は仕方がないさ」
「あぁ、別の手ェ、打つ必要があるなぁ…クソ」
「まぁまぁ、少し目を逸らしてやるだけでいい。大した傷でもあるまい」
ボクが居る建物の前を通り過ぎて行ったのは、二人の男女。だが、ボクを驚かせたのは、その容姿だった。
「目標はほぼ達成…穴が開いたんだ。上手くやれるかはコッチ次第さ」
「だぁなぁ…だが、あの連中が使い物になるかは、話が別だぜ」
「その手綱を引いてんのはワタシ達だろう。何もかも掌の上さ」
両者共に黒い着物を着ているが、そんなことはどうでもいい。特異なのは首から上だ。お千代さんの様な白髪に、赤い目をしている…そして何より、両者ともに、お千代さんの面影が僅かにあるのだ。
「……」
絶句するボク。だが、これは逃せない。すぐさま姿勢を正すと、ボクは音も立てずに二人の後を追いかけた。
(なんなんだ…!?)
そっと、距離を開けて後を追いかける。異様な見た目の二人は、それ以上言葉を躱すことなく、誰もいない路をゆっくり、散歩でもするかのように歩いていた。向かう先は分からないが…このまま行けば、北の方、中山道へ繋がる様だが…
(とんでもないことになったな…)
仕事も終わりかと思った夜更け。暗闇に目立つ白い髪の男女を追いかけるボクは、背中に嫌な汗を感じつつ、そっと屋根の上を伝っていく。神田を過ぎ、角を右に曲がって暫し真っ直ぐ…やがて、中山道へと繋がった。
(ここまで…か)
中山道の途中、比良に繋がる古井戸がある。そこを過ぎれば、やや暫く歩かねば比良へは帰れない。屋根伝いから、道に降り…暫く後を追いかけていたボクだったが、古井戸の所で足を止め、異様な格好をした二人が闇に消えるのをジッと見つめていた。
「なんだったんだ…幽霊な訳、ないよね」
ボソッと独り言。気になる事を残してココを去るのは惜しかったが、引きどころを間違えれば抜け殻まで一直線だ。ボクは気になる気持ちを押さえると、古井戸の中へ足を入れた。
「絶対何かあるんだろうなぁ…厄介な何かが…はぁ、面倒な事になってきたぞ…」




