其の二十六:暗闇無頼漢
「そうかそうか、思い出した。君は…能登屋をハメた男だったね」
ボクは手にした得物を眼前に構え、得物を冴えない中年男に向けながらそう言った。表情は、薄っすら笑い顔。馬鹿にした様な笑みだが、実際、目の前に居る男が記録を犯した原因を知れば、この笑みが一番だと思うだろうね。
「私利私欲がこの様さ。大人しく少しの損を受け入れておけば、ボクみたいな奴が来ることも無かったんだから」
夕暮れ時の江戸。何てことない商家の一室。ボクの手に握られた銃からは煙がたっていて、いつでも弾が出るようになっている。何てことの無い仕事…だけど最近はヤケに数が多い。ボクは薄ら笑いを消して、少し疲れた表情を浮かべると、怯えて震える男の額に銃口を合わせた。
「ま、金儲けの続きは地獄でやることだね。向こうじゃこうも上手くはいかないだろうけどもさ」
捨て台詞を吐いて引き金を引く。派手な銃声が家中に響き渡り、頭を撃ち抜かれた男は悲鳴も上げずに崩れ落ちた。
「さて、退散退散…」
殺しの余韻に浸ってる暇は無い。ボクは男の背後に飾られていた銃を取って男に握らせると、軽い細工を施して部屋を出た。今、この家に居る…居たのは亡骸になったあの男だけ。誰かが来るまでには十分な時間がある。
「ふぅ…これでまた一つ…でも、あと三件あるんだよなぁ…なんだってこんな…」
ボクは来た道を戻って裏路地へ出て、適当な長屋の壁に寄り掛かって一息つくと、銃声を聞きつけて駆けつけた人間の悲鳴が聞こえてくる。少々改変が面倒になる手口を使ったが、今回は仕方が無いだろう。だって記録を犯す連中が多いのだから…
ボクは男が発見されたことを声で感じ取ると、残りの仕事を果たすために夕暮れ時の江戸の街を駆け出した。次の現場はここから二町程度離れた場所…この分じゃ、現場に着く頃には太陽が沈んでしまっているだろうね。
「ったく。最近暇だ何だって喚けばコレだ」
走りながら軽く毒づくボク。近頃、虚空記録帖の記録を犯すような輩は減少傾向にあり、管理人たるボク達は比良の国で楽しく暮らせていたのだけど…その矢先にコレだ。
突然の違反者大量発生。どうやら、ボク達管理人を暇にさせたくない何かがあるらしい。江戸を始め、この国のあちこちで違反者がわんさか出てきててんやわんや…暫く暇を持て余していたボクも、これで一か月ほど、ずっと出ずっぱりだ。
「何かがあるだなんて言ってたけどさ。大抵、ロクな事にならないんだから」
子供の姿で走るのは少し辛い。ボクは息を切らしながら江戸を駆け抜ける。道行く人々は、今日の営みを終えた頃。ボクは今から出勤だ。路を行き、右へ左へ角を曲がって駆けていく。
そうして訪れたのは、この間一人新人を迎え入れた八丁堀付近。虚空記録帖が伝えてきた違反者は、この近辺に住んでいるらしい。ボクは懐から記録帖の一部を引っ張り出すと、そこに書かれていた文章に目を通した。
「橋の方か…男女だな」
八丁堀を通り過ぎ、北へ向かってほんの少し。日本橋を過ぎた辺り。ここまで来れば、太陽は既に見えなくなっていて、辺りは暗く…行燈の光が目立つようになっていた。ボクはそんな中を駆け抜け、違反者が住む町家の前で足を止める。
「ここだ」
掛行燈の光の前で立ち尽くすボク。周囲を人が行き来していた。それを見て、ボクは懐に隠した銃を抜こうとして思いとどまり、別の獲物を手に持つと、周囲を見回した後で家の中へと押し入っていく。
履物を脱いで家に上がり込み、廊下を伝って住民を探す。記録帖によれば、ここには今、標的の男女しか居ない。ボクは手にしたかんざしを弄びながら、人気を感じる方へと足を進めていった。
「……」
先を鋭く尖らせたかんざし。それを手にしたボクは、ふと足を止める。ここは廊下の角…角を曲がった先から漏れ出る光に、人の影が揺らめいたからだ。その数一人…ボクはそっと角を曲がり、閉じられた障子にそっと穴を開けて中を伺う。
「おい!」
「!!」
「晩飯はまだかぁ!?」
「はーい、今すぐに!もうできますよぉ~」
「…っ」
薄汚れた男の叫び声に心臓が僅かに縮こまり、その叫びに返した女の声にホッと一息。障子の穴から見えたのは、書斎の様な部屋で…男が何か書物を読んでいたらしい。博識さを思わせる書斎に、似合わない、筋肉質で薄汚れた男の姿…ボクは首を傾げたが、それが今日の標的の一人であることは間違いなかった。
(あの男に、文字を読めるとは思えないんだけどね。人は見かけによらないなぁ…)
失礼な事を巡らせつつ、ボクはそっと障子を開けた。男がそれに気付く様子は無い。そっと中に入り、障子を閉める。まず一人目…いつもの前口上はナシでいこう。この男は何も悪いことをしていないのだから…ただ、運が悪かった。それだけなのだから。
「っ!!」
そっと背後ににじり寄り、首筋の一点にかんざしを一突き。男は一瞬ビクッと体をしならせて、叫び声も上げられず、すぐに力が抜けてきた。
「悪いね。向こうじゃ、楽しくやんな。その権利位はあるだろうから」
ボソッと一言。そう言った直後、かんざしをスッと奥まで差し込む。男の体は更に痺れ、その後、ガクリと項垂れるようにして机に突っ伏した。
「っとぉ…」
音を立てて崩れ落ちそうになった男の首根っこを掴み、そっと机に伏せる。そして、男の首筋からかんざしを抜き取り、男の着物で血を拭うと、ボクは部屋の隅に陣取った。
「お前さん、できたよー!……お前さん?おーい!できたぞー!」
聞こえてくるのは女の声。この男の女房だ。ボクはそっと息を潜めて待ち続ける。この分じゃ、あの女はここへ来るだろうから。
「ったく。また寝てんのかい…夢中になるのも…」
ブツブツ言いながら、女がこちらへやって来た。知らなかったが、この男、あの様に机に突っ伏すのは珍しくも無いのかもしれない。ボクは綺麗にしたかんざしをもう一度構えると、障子が開くのをジッと待ち構える。
「お前さん!起きて!飯出来たぞ!」
シャっと障子が開いて、この男の嫁にしては綺麗な女が入ってくる。ボクは女が気付いてしまう前に事に出た。
「っ!!」
スッと立って女を掴み、有無を言わさずかんざしを首筋へ。女は一瞬のうちに命を刈り取られ、脱力して部屋のど真ん中に崩れ落ちた。
「悪く思わないでね。向こうで、旦那とお幸せに」
捨て台詞を吐き捨てて、ボクはかんざしをそっと抜き取る。男のそれよりもドロリとした血を女の着物で拭って綺麗にすると、かんざしを懐へ戻し、ゆっくりと部屋を後にした。
「さて…今日の分はこれくらいか。お千代さん辺りが、何か原因を掴んでる事を祈ろうかね」




