其の二十五:初瀬鬼人の怪
「あん?」
江戸の周囲を取り巻く街道から僅かに外れた山道で、ワタシは不思議な看板を見つけて足を止めた。
「……」
日もまだ高い時間。その看板には、ワタシによく似た女の似顔絵と、その特徴が細かく書き込まれている。なんだろう…ワタシはお尋ね者にでもなったのだろうか?有り得ない場所に有り得ない看板…ワタシは呆けた表情を浮かべて看板をジッと見つめた。
「白い髪、赤い眼をした女。背丈約五尺。齢十半ば、声は若干低く…なんだ。随分細かく書いてくれてるじゃねぇの。余計なお世話さ…」
まさしくワタシの特徴が書き込まれた看板…そこに貼られた紙を破ってジッと睨み、細かく破り捨てると、背中に手を回し、大太刀に手をかける。ここは地図にない道。そんな所に人の気配…これをやったのは誰か、個人までは知らないが、どういう人間がやったのかはすぐに分かった。
「ワタシを知ってる存在…か」
刀を抜き、ゆらりと適当に構えて道を行く。ここは地図にない道。この先、どんな輩が出るかも分からない場所。ワタシは溜息を一つ付くと、唇を軽く噛み締め細い道を歩きはじめた。
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細い道を歩いてどれだけ経ったか。まだ太陽は高い位置に居るまま…そんなに時間がかかっていないが、どうやらワタシは山の中腹辺りまで登って来た様だ。
「しっかし、人選を間違えたなぁ。立て看板まであるんじゃ、惚ける真似も出来やしない」
ワタシは独り言を呟きながら立ち止まる。その先、少し登った先に、粗末な造りの小屋が見えた。どうやら、この道の行き止まりは、この集落の様だ。
「穏便に済ませるつもりは無いから良いんだが…それでもよ、動くつもりだったかどうかで言えば、楽に済ませたかったんだがなぁ…」
そう呟きながら、サッと刀を一振り。金属が弾ける甲高い音が鳴り響く。茂みの中から飛んできた苦無がワタシの足元に力なく転がった。
「なぁ?皆の衆…これを、どう思うよ?」
ゆっくり歩いて坂を登り、見えてきたのは小さな集落。ワタシはそのど真ん中で立ち止まると、周囲を見回しながらそう叫んだ。
「なぁ、知ってんだろ?お前さん方は最早江戸に戻れやしねぇ。誰も彼もお前さん方に見向きもしねぇ。この世から切り離されちまった存在だ…」
人気のない集落。粗末な造りの小屋が5つしかない、ただの広場。人影がこれっぽっちも見えないが、それでも、周囲を行き来する風が、人の存在を知らせてくれた。風が運んでくる匂いと、僅かに空気を震わせる砂利の音…木々の擦れる音に交じる違和感が、何処に何人居るのかを正確に伝えてくれる。
「なぁ、知ってんだろ?そんな奴ァ、始末されなきゃならねぇって。この先の世を壊したく無けりゃ、一足先に往生せにゃならねぇって。だが、お前さん方は何故か生き延びちまった。残っちまった」
刀を持ち直し、クルリと周囲に睨みを効かせながら、ワタシは一人声を張った。
「どうだ?今日限り、諦めて首差し出せや。差し出しゃあの世で楽な暮らしをさせてやる。嫌だってんなら、最大限に苦しませて…その苦しみを永遠に味わえる地獄へと送ってやる。なぁ、どうだ?」
ワタシの問いから数秒後。派手な銃声が鳴り響き、ワタシの体は四方八方から跳んできた銃弾に貫かれた。
「!!」
血を噴き出し、一瞬のうちに絶命するワタシ。だが、崩れ落ちかけた足に力が戻り、即座に蘇生したワタシは、満面の笑みを浮かべて体に力を入れる。
「しゃぁねぇなぁ」
気だるげに吐き出した本音。それとは裏腹に、トンと地を蹴った足の力は凄まじい。一つ跳んで目の前の小屋の門前へ…二つ跳んで小屋の屋根。周囲がぼやける程の速度で跳ねたワタシは、高い位置から当たりを付けていた方へ目を光らせた。
「みぃつけた…」
動きを止め、木々の緑の合間に茶色の着物を着た人物を見止める。その刹那。二度目の銃声が聞こえたが、その時には既に屋根を蹴飛ばしてワタシの体は宙に浮いていた。
「ざんねん、ざんねん。うかつだった…なァ!」
着地と同時に前へ前へ。姿勢を低く、一瞬の後には茂みの中へ突っ込み刀を一振り。眼に留まらぬ速さで振られた一閃。刀の軌跡を、汗と涙と血が追いかけた。
「まずは一つ。さぁさぁ、あわせて十もあるかだ!」
男を一人、胴体から真っ二つに仕留めたワタシの動きは止まらない。即座に地を蹴り木に登り、そこから軽々と木々を転々とした後急降下。落下点は、さっきと真逆の位置にある小屋の裏。
「ひっ…!」「あっ…!」「…!!」
影に隠れた男女がワタシを見て驚くが、その次の瞬間には、奴等の首は体から分離して宙を舞った。薙ぎ払うような一閃。長い大太刀の刀身が、密着するように隠れていた三人の首を一気に斬り裂く。
「……」
着地と同時に僅かな残心。刀に血と体液が滴り、ワタシの傍には暫く血の雨が降り注いだ。吹き出るようなドス黒い血。生温いそれが白い髪を濡らす事を気にしていられない。ワタシは次の標的の下へと足を向けて、地面を蹴飛ばす。
「化物だァ!!…畜生!!」
小屋の近く、様子を見るためか、顔を出した男がワタシの姿を見つけて絶叫した。血濡れたワタシは、顔に滴った誰のかも分からぬ血を舐めニヤリと笑う。その様が、男の気持ちを更に混乱の境地へと追い込んだ。
「逃げろ!無理だ!あんな…化けも…っ!!」
何もかもを投げ出して、背を向け逃げた男の真後ろへ一気に寄って一閃。背中から縦に真っ二つに裂かれた男。上げた言葉は最後まで紡がれる事は無く、何が起きたかを理解する前に、二つに別れた体は地面へ崩れ落ちた。
「仕事なんだ。これもさぁ…嫌な仕事だろう?だから、手間、かけさせんなや」
再び静まり返った集落。丁度、ど真ん中、最初に立っていた場所に戻ってきたワタシはポツリと呟く。蠢く影はまだ四、五人は居るだろうか。刀に付いた諸々をひょいと払って拭うと、ワタシは再び刀を構えて身を縮めた。
「同じ目に遭いたく無けりゃ、諦めなァ。諦めねってんなら、同じ目に遭わせてやるさァ」




