其の二十四:名無しの最期
「おい、ここに…重次郎という男が住んでねぇかな」
雨の降りしきるある日の昼下がり。ワタシは鶴松を連れ、江戸の場末にある粗末な小屋を訪れた。その小屋は、見るからに人が住め無さそうな程にボロボロな小屋。見た時には、記録帖が間違いを犯したかと思ったが、扉を叩いて尋ねてみると、ちゃんと記録帖に書かれた通り、男がひょっこりと現れた。
「へい。なんでぇ…あっ、あっしでございやすが…」
現れたのは、飄々とした雰囲気の若い男。身なりは良くなく、小屋に似合っていると言えば失礼だと思うのだが…まぁ、そんな男だ。奴はワタシの異様さを目にして怪訝な顔を浮かべたが、すぐに鶴丸の睨みにやられて礼儀正しい対応に切り替わる。
「ちょいと、面貸してくれっっかなぁ。尋ねてぇ事があるんだ」
ワタシが薄笑いを浮かべながら手招きすると、男は雨の様子を気にしながら、少ししり込みするような素振りを見せた。
「雨、強えぇよな。おい。傘に入れてやんな」
ワタシは気にせずズブ濡れだが…傘を差している鶴松に言って、男を傘の中に入れてやる。ようやく家から出てきた男を連れて、ワタシ達は少し歩き、江戸の中心へと繋がる小さな橋の真ん中までやって来た。
「なぁ。お前さん…あそこに倒れてる二人組に、見覚えはねぇかな」
先頭を歩いていたワタシは、橋の柵に寄り掛かって、そこから橋の真下を指して尋ねる。男はワタシの横までやってきて橋の下を覗き込むと、情けない声を上げて腰を抜かした。
「知ってんのか?知らねぇのか?どっちだ?」
「し…知ってるといやぁ…知ってるが、知らねぇとも言える。道、尋ねられただけだ!」
「ほぅ…そうかい。あの死体。何処に行く気だったんだ?」
「え…江戸の方だ!ぶ、奉行所の方…どっちに行けばいいって…聞かれて、答えただけだ!あっしはそれ以上知らねぇ!やってねぇからな!」
思った以上に取り乱す男。ワタシと鶴松は顔を見合わせて小さく笑うと、鶴松に目で合図を出した。
「何もテメェが殺ったなんて思ってねぇよ。連中の死因は転落死だ。男と女…この程度の高さで死にはしねぇと思ったが、心中には打ち所が良かったんだろうよ」
そう言って男を落ち着かせるワタシ。男は自らに疑いが無いと知るや取り乱した様子が消え失せ、心底ホッとしたような素振りを見せた。
「連中、何で奉行所に用があるとか…言ってなかったか?」
「さぁ…ただ、明け方に尋ねられて、道を聞かれただけだ」
「そうかい。こんな場末で、明け方に人が通るたぁなぁ。この辺からどっかに抜けられる道、あるのか?」
「それも分からねぇ…すぐそこは山だから。山道でもあるかも知れねぇが…」
「だよな。ま、何てことは無い。ただの雑談さ」
ワタシは男にそう言って振り返ると、男は曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
「行って良いぜ。手間取らせて悪かったな」
その言葉で、男は会釈して踵を返す。ワタシは男の顔が見えなくなると、目を細めて煮え切らない表情を浮かべ、後のことを鶴松に託した。
「…?…へい、まだ何か…グギィ…!」
立ち去った男の背後から、鶴松が肩を叩いて男を止め…反応すると同時に首をへし折る。
「悪ぃな。これも仕事なのよ。向こうじゃせいぜい、良い暮らしをするんだぜ。アンタにゃその権利があるからな」
真逆を向くまで回された男の首。背中が見えてるのに、男の顔も見える程に回された男に向かって、鶴松はボソッとそう呟くと、男の体を持ち上げて、橋の下にヒョイと放り捨てた。
「……」
「……」
雨が降りしきる中。橋の下を流れる小川に落ちた音が耳に響く。大した事もない音なのだが、妙にその残響が耳に残った。
「あの二人が素性を明かす訳もねぇか」
暫く黙り込んだのち、ワタシは橋の下で最初から倒れていた男女を見下ろして軽く毒づく。鶴松が横に来ると、橋の下を覗き込んでから頷いた。
「ま、この辺の山を漁れば何か出てくらぁな。その辺は、誰かにやらせようぜ」
「この雨が上がればな。長引けば、崩れるかもしれねぇ」
「虚空人毎崩れちまえば楽なのによ。で、あの連中の身元をどう明かそうかな」
橋の下を覗き込みながらの会話。小屋の男を消す前にワタシが叩き斬って橋下に棄てた二人の男女の亡骸は、どう見たってこの辺りの人間では無さそうな格好をしていた。
「……」
「……」
男も女も、共に20前後と思しき風貌をしていながらも、最近の者とは思えない服に身を包んでいる。最近の流行り…は分からないが、少なくとも、江戸に出向いた時に見られる様な格好ではない。ワタシが普通の人間だった頃によく見た格好に似ていた。
「虚空人、今、どれくらい居たっけか」
「二千かそれ位だったかな。三千に届く手前位じゃねぇか?」
「首だけでも持って帰ろうかな」
「冗談抜かせやい。気味の悪い」
「冗談のつもりは無かったんだがなぁ…」
顔を顰める鶴松に、ワタシは苦笑いを浮かべて見せる。何か、個人を特定できるようなモノがあればこの後の仕事に役に立つのだが…
「しゃぁねぇ。あの死体調べて何も無けりゃ…諦めるとしようじゃないか」
ワタシは顔を顰めた鶴松にそう言うと、橋の柵に手をかけてヒョイと身を乗り出した。それほど高くない橋。ぬかるんだ地面に降り立つと、手についた泥を適当に拭って死体の方へ歩いていく。
「鶴松も来いよ!逃がしはしねぇからな!」
「うげぇ…っとに死体慣れしてんだものなぁ…」
ワタシの呼びかけに、嫌そうに答えた鶴松。だが、奴は素直に従ってワタシの真横に降りてきた。
「良いか。何か個人に繋がるモン探し出せ。無いなら首取って持って帰るからな」
横に降りてきた鶴松にそう告げて、ワタシは死体を調べ始める。鶴松は暫し固まった後、ぎこちない動きで仕事を始めた。
「諦めるってそういう意味かぁ…勘弁してくれよなぁ…」




