其の二十二:他愛無い仕事
「さて…あとはこっちに帰ってくるアホ一匹だけかぁ…」
ここは現世。街道から外れた地図に無い小屋。ワタシの目の前には血にまみれた二人の男女が倒れており、見開かれたその目からは、間も無く色を失おうとしている所だ。
「悪く思うなよ。お前さん方も、この稼業してんなら…覚悟はあったハズだぜ」
ジワリと床を染めていく血。男女に刻まれた深い二つの傷から流れ出るそれには、純粋な血の他にも、内臓の一部が混じっている様だ。ワタシはそれを一瞥して顔を顰めると、静寂が戻った家の中で目を閉じる。
遠くから、誰かが駆けてくる音が聞こえた。ワタシはそれを聞いてニヤリと笑い、その音から距離を想像し、ゆっくりと目を開く。
そっとした足取りで部屋から出て、玄関に移動し、手にした大太刀を一閃。薄い木で出来た小屋の扉に一筋の線が刻み込まれたかと思えば、その線から暗闇が現れ、パックリと真っ二つに切り落とされた。
「ひぃぃぃぃ!!!!」
音を立てて崩れ落ちた扉。それを見て、何者かが情けない悲鳴を上げる。ワタシはゆっくりとした足取りで外に出ると、黒く染まった暗闇の中、明かりのついた行燈を落として尻餅を付き、驚愕の表情を浮かべて狼狽える中年男の姿が見えた。
「……」
男を見下ろし納刀するワタシ。奴の目には、ワタシの姿と…その後ろに倒れている二人の男女、血にまみれた隠れ家の様が良く見えた事だろう。
「こういう山ン中ってのは、どれだけ騒いでも煩くねぇからなぁ…」
男に近づきながら一言。ワタシはニヤケ面を貼り付けながらにじり寄ると、地べたに座り込んだ男は声にならない悲鳴を上げながら、ワタシから距離を取ろうと必死に手足を動かしている。
だが、気持ちの焦りか、手足を動かしても殆ど位置に変化が無い。ワタシは男の背後から近づいてくる小さな人影を見止めると、男に向けて嘲るような口調でこう言った。
「ところで…旦那。誰かから逃げてたんじゃねぇのかい?」
そう告げると、男はハッとした顔を浮かべて上半身を捻じって後ろを向く。男の視線の先、見えたのは、小柄な人影。童といっても良いくらい、小さな男の人影だった。
「逃げ足の早さは賊にとって生命線だ。その点、アンタはちゃんとしてたな。合格だよ」
子供の声が暗い森の中に響き渡る。
「そして、街道から張り巡らされた獣道を整備していたことも褒めてやろう。これじゃお上は探すのを諦めるだろうね。迷路だもの。探してる間に日が暮れて、獣に襲われちまうからね」
ゆっくりとにじり寄ってくる子供。その影に輪郭が付き、細部が見えるようになった時、子供の姿と共に映るには違和感でしかない得物が鈍く輝いた。
「得物は軽くて丈夫な脇差。どっかのお侍さんでも襲って奪った品かな。イイ刀だった。切れ味も十分さ」
小さな銃を手にした、甚平姿の子供。螢は子供らしくない残忍な笑みを浮かべながら男の目の前で立ち止まると、ゆっくりと銃口を男に向けた。
「だが、言ったよね?見せたよね?お前さんは、記録を破ってしまった。この世の理を犯してしまった」
既に煙が見えている。銃を向けたまま、螢は冷酷な声色で、こう告げた。
「今まで、十分に良い夢は見れただろう?その分は、向こうでしっかりと返すことだ」
銃声。江戸では御法度の音が辺り一面を覆いつくす。刹那、静寂が戻ると、螢は銃を片手に持ったままワタシの方を見て、ニヤッと子供らしい笑みを浮かべて見せた。
「今更可愛い子ぶっても何もねぇよ」
「ちぇ、団子位は貰えると思ったのに」
「何言ってやがんだ。どれだけの付き合いだと思ってる」
「さぁ…幾星霜?」
冗談を言い合うワタシ達。今日の仕事の舞台は、江戸に程近い街道から少し外れた山の中だった。
「こういう盗賊が記録を犯してくれると、色々と助かるんだがなぁ…」
「数が少ないし、何より人との関りが無いからね。滅多に無いよね」
「あぁ、宿場町か、いいとこ街道のド真ん中でやらかす位か」
今回の仕事に、ワタシ達が選ばれたのは必然だと思う。山の中を棲み処にしている連中には、ちょっとした伝手と用事があるからだ。ワタシも螢もそれをアテにしてやって来たのだが、結果は外れ。何てことの無い、只の盗賊団潰しに終わってしまった。
「流石に尻尾は見せねぇよなぁ…」
「あぁ。だけど、この辺を使うってのはありそうだよ。獣道といい、使い勝手が良いもの」
「それを期待したいところだがね」
こちら側の用事の話はそこそこに、ワタシ達は帰路に付く。撃ち殺した男が持っていた行燈を手にすると、螢を手招いて元来た道を歩きはじめた。
「しっかしさ、この辺の雑さが不思議だよね。毎回思うけどさ」
獣道を街道に向かって歩く途中、ふと螢が呟く。ワタシは小さく頷くと、肩を竦めて見せた。
「ま、出来て相当経ってる筈なのに、未だに人が居ねぇ地域の地図一つ作れねぇ欠陥本だものなぁ。何かあるんだろうさ」
「作った人の顔を見てみたいもの」
「人だったらいいけどな」
交わす愚痴は虚空記録帖のとある欠陥について。そのせいで起きている厄介な問題についてだ。
「この間も虚空人がちょっかいを出した跡があってね。そのせいで4人が処理されたよ。まぁ、死んで当然って奴だったから良いもののさ…」
「お伊勢参りの最中とかだったら…まぁ、良い気がしねぇよなぁ」
虚空人。ワタシ達がそう呼ぶ存在は、虚空記録帖の記録を破り…更にはワタシ達管理人の処理の手から逃れた者を指す。ワタシ達の仕事を考えれば、居るはずも無いだろうと言いたくなるのだが、たまに出るのだ。記録を犯してすぐに、記録帖で姿を追う事が出来なくなる者というものは。
「ま、そういうのは殆ど無いんじゃないかな。人目のつかぬ所に居る輩なんて、大抵脛に傷が入った様な奴ばかりさ」
その様な存在は、何故か虚空記録帖の存在を認知し、仕組みを体得し、人目のつかぬ所でひっそりと暮らすようになる。そういう連中を自力で探し出し、殺すのもワタシ達の仕事なのだが…これが結構手こずってしまっていて、事態を掌握しきれていないのだ。
「このまま江戸が変わらねぇなら問題ないんだが。そうじゃないとなれば、何れかち合うのも時間の問題だからなぁ…」
ワタシは脳裏に嫌な想像を繰り広げつつそう言うと、手にした行燈で奥の方を照らす。遠くに、街道の石畳が微かに見えた。
「ま、帰ってから取り掛かろう。本が喚かねぇ間はワタシ達に何も影響は出ないのさ。焦っても仕方がネェや」
街道が見えてホッと一息。螢にそう言うと、奴は子供の様に純粋な顔をこちらに向けてコクリと頷いた。
「そうだね。帰ろ帰ろ。帰ったら…ついでに飲みに出ようよ。この先、向こうに出たらド真ん中なんだしさ」




