其の二十一:管理人の一日
管理人の一日は、とても自由だ。比良の国の中にいる限り、何をしていようとも誰かに咎められる事は殆どない。ここには身分の違いも無ければ、何かを納めなければならない等という義務もない。
(良い湯だこったァ…)
ただ、そこに居れば良いだけ…ともなれば、大半の人はだらけきってしまうだろう。何もせず、何かをやるにも動機が足りず、人として朽ち果てていく。そうなってしまえば、抜け殻になるのは秒読みだ。そうならず、ちょっとずつでも何かが出来れば、案外こういう暮しも悪くないと思えるのだが…この微妙な領域を正しく享受出来る人間は案外居ないものさ。
(さて、今日はどうすっかな)
中心街の銭湯で朝風呂に浸かりながら、ワタシは久しぶりに何も無い一日をどう過ごすか考え始めた。虚空記録帖の管理人は、例え記録帖から指示を受けずとも、やる事が幾つかあるのだ。それらはちょっとワケアリ事だから、全ての管理人に当てはまる事ではないが…兎に角、今日はそれすらない自由な日。
(あー…結局、やって無かった事やって回ってりゃ、一日程度終わっちまうかな?)
自由な日に胸を躍らせかけて、現実を直視して我に返る。最近、自分の事をやれてなかったせいで、やろうとして放置していた事が幾つもあった。それを思い出すと、ワタシは僅かに顔を曇らせ溜息を一つ。
(ま、そういう日もあらぁね)
そう頭の中を切り替えたワタシは、バシャッっとお湯で顔を濡らし気持ちを切り替えると、湯船から腰を上げて、風呂場を後にした。
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(と、言っても。甘味位は楽しんで罰は当たらねぇだろうよ)
銭湯を後にしたワタシは、家に帰る前に中心街を歩き、とある甘味処までやって来た。目的は、持ち帰り用の団子だ。棚に陳列された団子…味は数種類。ワタシは適当に選んで三本の団子を皿に載せて店員の抜け殻に渡すと、抜け殻はそれを持ち帰り用の小箱に包んでくれた。
これで、休憩時の小腹を満たすには十分だ。ワタシは小箱を手にして店を後にすると、中心街を抜けて家の方へ足を向けた。
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中心街から歩いて少し、家に着くとすぐ、団子の入った小箱を自室の机に置いた。
(さて…少し放っておけば埃だ草だって…その辺もナシにしてくれたって良かったんじゃねぇのかい?)
そして部屋に向き直るワタシ。普段行き来する場所はそうでもないが、余り立ち入らない場所には薄っすらと埃が積もっていた。先ずは家の掃除から始めるとしよう。
(ったく…その辺やってくれる抜け殻なんて、居ないもんかね)
ため息交じりに箒を手にして、せっせと埃を掃いていく。家具の上にも埃が積もっており、それらを逐一床に落としてから、床上を掃いて…の繰り返し。ワタシしか住まない家だから、そこまで広く作っていないのだが…これがまた時間がかかるというもので…玄関、居間、自室、客間に、それらを繋ぐ廊下と階段を含めれば、一人で回っても、それなりに時間がかかってしまった。
(なんだって、こんな所にまで埃が入り込むのか…)
埃を掃いて、気になった所を弄っていく。化粧台に載った櫛の劣化が気になればそれをジッと眺めてゴミ箱に放り捨て、机の引き出しを開けてみれば、用済みになった記録帖の切れはしが顔を覗かせた。兎に角、家中から不要な物をかき集めて、それらを何でもゴミ箱に放り込み、溜まったそれを家の軒先に放り出す。そうすれば、明日にはゴミ回収の抜け殻がやってきて、綺麗サッパリ持って行ってくれるのだ。
(こんなもんか)
埃一つ落ちていない家を見回りながら、満足げに頷くワタシ。次の仕事は庭の草取りだ。
(これを済ませば、昼か。適当に握り飯でも買って食うとすっか)
箒を戻し、縁側から外に出る。庭は大して広くも無いが、それなりに拘った庭園だ。木の剪定…もしないといけないが、それは次回以降に回すとして、雑草を退治していくとしよう。
庭に生えた雑草を抜いては敷地外に放り出す。家の周りは空き地だから出来る事。ワタシは雑草を抜いては捨てるを繰り返し、昼の鐘が聞こえる前に、庭は見違えるほど綺麗になっていた。
(よ~し)
軽く汗を拭ってニヤケ顔。雑草が消え失せた庭を見回して満足感に満たされた後、レーキを手にして砂を慣らしていく。砂で模様を描くようにレーキを走らせ、いつも通りの姿へ…出来上がった庭は、どこか心安らぐ砂庭式枯山水。岩の周囲に敷き詰められた砂が鮮やかな模様を描き、敷地の仕切りを示すついでに植えた木々がその光景に彩りを与えていた。
(昼にすっかぁ)
その光景を縁側から暫く眺め、昼を示す鐘が聞こえてきた頃。ワタシはふーっと一息ついてから外に出る準備を整える。この家に、炊事場は無い。何かを食べるなら、外食しかないのだ。
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家の近くにある食堂で握り飯を食べ、そこで一息ついたワタシは家に戻っていた。午後は刀の整備でもしようと思っていたのだが、気が進まず縁側でボーっとしている。
(あー…何もしたくねぇけど、やらねぇとなぁ…)
暫しの後、気だるげに腰を上げたワタシは自室に置かれた大太刀を取って机の上に載せた。整備といっても、使った直後にそれなりの清掃はしているから、大してやる事も無いのだが…これをやらねば切れ味に関わる。やったのとやらぬのでは、斬った時の快感が違うのだ。
(さて…道具はぁ~…っと)
自室の戸棚から道具を取り出して近くに並べ、刀を鞘から抜いた。ワタシの背丈で扱うには長すぎる刀…その刀身をジッと眺め、そこに映り込んだ顔を睨みつける。
ジッと睨みつけ、僅かに顔が揺らいだ。ワタシはそこに指を当てると、道具を取って磨きを入れる。少々の間磨き続け、ふと手を避けて再び顔を映り込ませれば、歪みの無いワタシの顔が反射した。
ワタシはそれに満足げに頷いて、続きを始める。適宜刀身を磨き、刀を軽く研ぎ、勘所を押さえて刀を仕上げ終えると、刀は抜いた直後と比べて僅かに輝きを増していた。
(こんなもんでいいだろ)
刀を何度も見返して仕上がりに満足すると、刀と道具を片付け、朝に買った団子を手にして縁側に腰かけた。少々の休憩だ。それが終われば、まだやりたいことは幾つかあるが、どれもこれも手間はかからないだろう。
(こういう日も、偶には無くっちゃなぁ…)
団子を頬張って頬を綻ばせ、景色を見て癒される。静かで平和な一日。虚空記録帖のアレコレに追われない一日。管理人の平均的な一日と言えるかは、分からないが…ワタシの暇な一日はこうしてゆっくりと進んでいく。
「お~い!お千代さ~ん!街に出て飲みに行かない?良いモンが入ったらしいよ~!」
平和な時間に蕩けていたワタシの耳に、螢の声が届いた。宴会の誘いだ。ワタシはこの先にやり残したことを頭に思い浮かべて、一瞬首を傾げたが、すぐに呆れた様な笑みを作って肩を震わせる。一から十まで思い通りに行く日は、早々無いものだ。
「おう!ちょっと待ってろ!準備整えて出てっからよ!」




