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大江戸虚空記録帖  作者: 朝倉春彦
壱:虚空の掟
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其の二十:想い斬って候

 暗闇が辺りを支配する時。狭い路地の中で、男二人の持った刀が甲高い金属音を奏で始めた。田中が先制し、それを公彦は難なく返す…死の危険が無い公彦の振る舞いは、生を意識せざるを得なかった頃から比べると僅かに雑になっており、それは田中にとってもそう感じる様だった。


「ハッ…随分と投げやりだな…」


 その様を見て優勢を感じてしまったのか、田中は上段に構えて公彦との間合いを詰めて行く。公彦は何も答えず、正眼に構えたまま田中の動きを待っていた。


「……」

「……」


 僅かな間。田中の牽制で公彦の姿勢が崩される。その刹那、田中の鋭い一撃が公彦を斬り裂かんと放たれた。


「!!」


 一瞬ながらも、眩い閃光が放たれる。刀が交わった証だ。姿勢を崩されながらも、公彦は冷静に刀を返して姿勢を直し、そこから一気に責め立てた。


 一撃、また一撃。鋭い太刀筋が田中を捉えんと振り抜かれていく。田中はそれを刀で返し、身を捩って躱すが、防戦一方で攻撃に転じる間を与えて貰えない。


「畜生!」


 だがここで、公彦の連撃の、僅かな隙を縫った一撃が、公彦の腕を僅かに斬り裂いた。


 場が鎮まり返り、さっきまで聞こえていた音の一切が暗闇に吸い込まれて消えていく。


「……」


 公彦を捉えた一撃。だが、それは公彦の右腕の袖を僅かに裂いただけ。田中はそれを見るや、歪に綻ばせていた表情を僅かに渋いものに変えていた。


「……」


 公彦の表情は、こちらから確認できないが…何も言わない辺り、いつも通りの仏頂面でも貼り付けているのだろう。公彦は僅かに足を動かし、ワタシにやって見せた様に牽制を入れ続けると、田中の姿勢が僅かに歪になった瞬間に動いた。


「!!」


 甲高い刀の音。その刹那、ユラリと揺れる公彦の太刀筋。電光石火の動きで田中を追い越していく公彦…こちらに体の前面を晒す形になった田中の表情は、驚愕に染まっている。


「バカ…なッ…!」


 絞り出すようにそう呟いた田中。直後、はらりと同心羽織が裂けて一部が地面に落ち、着物に血が滲むようになってきた。


「ぐ…ぐぅ……」


 崩れ落ちる田中。刀はまだ手にしていたが、その刀を支えに使う程に傷は深く、最早命が長く持たないのは一目瞭然と言えた。


「田中六兵衛。テメェは、犯しちゃならなぇモンを犯した」


 刀についた血を拭い…それどころか、蹲った田中の着物で刀を拭いだした公彦が、田中の耳元で囁くように言う。


「あの世で閻魔に尋ねてこい。して、地獄で悔い改めな。飽きる程に時間があるだろうよ」


 刀を拭いながらの一言。それを言い終わるや否や、公彦は田中の背中をグッと蹴飛ばした。


「……」


 物言わぬ姿となった田中は、悲鳴も発さず地面に崩れ落ちていく。ワタシはその様を見て満足げに頷くと、ゆっくりと拍手して見せた。


「上出来じゃねぇか。背中から斬りかかるんじゃないかと思って一瞬焦ったがな」

「んなことして見ろ。タダでさえ数日の内に同心2人が消えたってのに、更に事を荒げるだけじゃねぇか」

「分かってりゃそれでいい。真正面から斬られてんだ。名誉の死だろうよ」

「切腹に見せかけても良かったんだが」

「今度からそうしな。多分、今回はそれが一番の正解だぜ」


 そう言いつつ、公彦の方へ歩み寄るワタシ。途中、田中の亡骸の横を通り過ぎる時に、僅かに砂をかけてやったが、まぁ気分というやつだ。ワタシは公彦の肩をポンと叩くと、暗闇に染まった路の奥を指さして見せる。


「比良に帰ろう。その前に、ここを抜けねぇといけねぇんだがな」


 公彦もその言葉で現実に戻って来たのか、ハッとした顔を浮かべてワタシが差した方をジッと見やると、ワタシに顔を向けた。


「とりあえず、並んで…ゆっくり行けば壁に当たらないだろ」


 さっきまで斬り合っていた剣客とは思えないほどに間の抜けた声色。ワタシと公彦の前には、僅かに路が見える以外、何も見えないに等しかった。遠くには江戸の夜らしい喧騒が聞こえているというのに、この路地に行燈は見当たらない。月の明かりも届かぬような入り組んだ路地の奥地…ワタシ達は顔を見合わせると、溜息をついて頷き、ゆっくりと出口を目指して足を踏み出した。


 ・

 ・


「さて、戻ってきたわけだが…」


 特に何も無く戻ってこれた後。家の方まで戻らず、ワタシと公彦は銭湯の二階で遅い夕飯を食っていた。当然、公彦に酒は飲ませない。飲むなら帰ってから飲めと釘を刺したのだ。


「どうだったよ?初仕事は」

「分からねぇな。どうにも」


 この間と同じ様に、ワタシは蕎麦を、公彦は鰻の蒲焼きを食べながら談笑。感想を尋ねると、公彦は煮え切らない様子でそう答えた。まだ、何が何やらといった様子。だが、どこか吹っ切れた様にも見える。


「虚空記録帖様の言う通り。それでいいんだろ?」


 公彦の言葉に、ワタシはゆっくりと頷いた。色々と説明したものの虚空記録帖の仕組みに「何故?」が尽きる事は無いのだ。そして、その「何故?」は説明が出来ぬまま、そのままにしておくほか無い事の方が多い。


「そうだな」


 ワタシは蕎麦を啜り、軽く咀嚼して飲み込むと、ふと窓の外に見えた管理人の姿を指さして見せた。


「見なよ。仕事だぜ。ワタシ達は、兎に角、あの訳の分からねぇ本の言いなりになっておけば良いのさ。変に拗らせなければ、こうして美味い飯にありつけるし、好き勝手贅沢が出来る…ひとまずは、そう思っとくんだな」


 そう言うと、公彦は何かを言いたげな様子を見せながらも、それを喉元に押さえて頷いた。


「そう言う事に、しておいてやるか」


 ワザとらしい口調で言い切った公彦。奴は溜息を一つ付くと、再び飯を食らい、そして窓の外に目を向けた。


「しとけしとけ。最初っから考え込むと碌な事になりやしねぇんだ」


 公彦と同じく、窓の外…煌びやかな通りと、明かりに包まれた店の様子に目を向けたワタシは公彦の言葉にそう返す。すると奴はそれをフッと鼻で笑い飛ばし、窓の外に見えた光景を見回しながらこう言った。


「深く考えんのは、ココに飽きてからでも遅くないだろうしな」


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