其の百五十:アカシックレコードの管理人
「結局…虚空記録帖の言う通りになってるうちはな、進化しねぇのよ」
皆との話を終えて、再び帝都の拠点に戻って来て数時間。何となく眠れず、窓際に腰かけてボーっと外を眺めていた俺の隣に初瀬さんがやってきて、ボソッとそう呟いた。
「…言う通りになってる世界があったんじゃなかったか?」
「あぁ。第一軸、第二軸の世界は酷いもんだぜ。こんな街並みなんざ作れやしねぇんだ」
「どういうことだ」
「まだ江戸時代以下の暮しをしてんのよ。なんだ。猿と大差ネェっていうかな…」
「ほぅ…それが、虚空記録帖の言う通りだと」
「そうだ。何もかもがその通りの世界はな、進歩しねぇのさ」
緩い空気で始まった真面目な話。初瀬さんは、手にした虚空記録帖を俺に見せつけると、それを寄越してくる。何かあるのだろうか?…と、受け取ったそれを開いてみれば、中は月夜の中で読むには無理がある位に細かな文字でびっしりと埋められていた。
「こいつぁ…灯りがねぇとまともに読めねぇぜ」
「それもそうか。ま、持っときな。朝にでも読めばいい」
「しかしよ、猿と変わらねぇってのは随分だな。思ってた以上に酷いもんだ」
「あぁ、ヒデェ。んな世界に放り込まれちゃな、ワタシでも仏になれそうだ」
「それもまた酷い冗談だがな」
「だろ?だが、それが現実よ。この目で見て来た。時の進みはこの世以上なのに、人の進みはこの世を大きく下回るんだ」
突如として始まった緩くも大事な雑談。第一軸、第二軸が遅れた世界だという事は聞いていたが、まさか猿と変わらないとは思わなかった。せいぜい、戦国時代位なものかと思っていたのだが…そうじゃないらしい。
「一度自由になった時に思い知ったよ。虚空記録帖の管理人はな、何も四角四面に、ガチガチに見張る為にいるんじゃないんだなと…」
「……そうじゃねぇなら、何だってんだ」
「やりすぎねぇ様にする為に居るんだ。少し位は好きにさせてやる。やりすぎた所で…取り返しが付かなくなる前に、ワタシ達が止めれば良い。そういう考えさ」
初瀬さんはそう言って、ジーっと窓の外…遠くを見つめていた。
「考えても見ろよ。少し位行動がズレた所で虚空記録帖は何も言わねぇんだ。そのズレがズレを呼ぶことになってもな」
「あぁ…でも、それは…」
「それは、もとより織り込み済みだって、そう思ってたろ?」
「あぁ。俺達みてぇなのもいるし、そもそも無理がある話だと思ってたからな」
「だけど、そうじゃない。第一軸、第二軸の世は寸分たりとも狂ってねぇんだ」
「……ほ~」
「その結果があの様。虚空記録帖がどういう風にしたいかなんて知らねぇがよ。あの様を良しとは思っちゃいねぇだろうな」
「どうしたいかも分かってねぇだろうがな」
俺の返しに、初瀬さんはクスッと笑う。まさにその通りなんだろう。虚空記録帖とて、何も人がどうこうするためのものじゃない。この世をどうこうするもの。その世が進まないのなら、手駒に好きにさせてみる…そういう考えなのだろうか。
「まぁなんだ。何度も言ってるが…だからこその自由意志よ。だからこそ不安定を誘うんだ。ワタシ達みてぇな居るはずも無い存在を現実に置いてズレを生じさせ…ある程度までの差異は見逃す。そうして再構築された記録で世を進めていくんだ」
「難しいネェ…初瀬さん、アンタ、虚空記録帖その人みてぇだぜ」
「まさか。ワタシはワタシだ。公彦のことだって覚えてるだろ?」
「そうだけどもよ。それにしても内面に詳しいじゃねぇの」
「言ったろ?虚空記録帖から解放されたって。その時に知っただけの事」
「…想像も出来ねぇが。あれだな、理解しようとしても無駄だ」
「そうよ。そういうもんだって思っておきな」
俺は肩を竦めながら、手にした初瀬さんの記録帖を傍の棚にヒョイと置く。夜が明けるまでには、まだまだ掛かりそうだ。俺は、外の…現実の光景を見ながら、改めて自分の立ち位置を思い返し…考え込み…そして、どこまでも続く思考の海に沈みかけると…初瀬さんが俺の背中をバン!とはたいた。
「痛!」
「難しい顔してるぜ八丁堀」
「んだよ、好きにさせろ」
「どうせ答えも出ねぇ事ウダウダ考えてるだろ?アレコレ言ったがな。公彦、ワタシ達はな、結局の所…傍観者の権利を得ただけなのよ」
「あ?」
「傍観者。どこまで行っても、ワタシ達は生きた人間じゃねぇ。最早ワタシ達は虚空記録帖の代弁者でしかねぇ。だがな、その代わりと言っちゃなんだが…変わってく世をこの目で、間近に見ていられる権利を得たんだ」
初瀬さんは、どことなく期待感の籠った声色でそう言い切った。俺は、初瀬さんの言葉を理解して…頭の中で反響させながら、コクコクと頷く。
「どの世界がどうなってるとか…あったかもしれねぇ可能性の果てとか…考えるだけで果てしねぇが…どれもこれも、結局はワタシ達に関係ねぇ事。一歩引いて眺めていられるってのも、中々イイもんだぜ」
「世界を変えようって気が起きなけりゃな」
「なんだ公彦。そんな大層な野望があったか?」
「まさか。俺も現実主義でな。んなアホな考えは持ってねぇ」
「なら…最高だろう?裏を知れるんだから」
「最高かどうかは知らねぇが…ま、暇はしないって所だろうな」
俺は初瀬さんにそう言葉を返すと、窓際に腰かけていた体をクルリと横に回して、足を窓の外に放り出した。
「しっかしまぁ…とんでもねぇ役回りを仰せ使っちまったもんだぜ」
そして、思いに耽ったままに言葉を放つ。虚空記録帖…今流行りのカタカナ語で言えば、アカシックレコードとか言ったっけか。俺はハァーっと深い溜息を付きながら、ポツリと何気ない一言を闇夜の帝都に溶け込ませるのだった。
「アカシックレコードの管理人か。大層な響きだな…全くよぉ…」
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