其の百四十六:可能性の終焉
「久しぶりに聞いたな。その…軸ってのをよ」
いつだっただろうか。居なくなっちまった初瀬さんが急に現れて、俺達管理人がてんやわんやしたのは。もう、十年以上も前になるだろうか…?時折、俺達の会話で上がる事があっても、最近はすっかり聞かなくなっていた軸という単語を告げられて、俺は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「そうか。すっかりテメェ等に気に入られた様だったものな。第四軸のワタシは」
会話の相手は、俺を管理人に引きずり込んだ方の初瀬さん。長らく行方不明になっていたとは思えない馴れ馴れしさで始まった会話。今は、大阪で記録違反の仕事をこなした帰り道…白髪の女の背中に声をかけてしまったのが事の始まり…
「そんな言い方しないでくれ。俺達はまだ世界が幾つもあるって考えには否定的なんだぜ」
「そうは言っても、テメェの前に居るワタシは…ワタシだぜ。同じ人間が複数居るってのも、おかしな話じゃねぇか」
「初瀬さんなら、おかしな話も是にしちまうからなぁ…」
ちょっと整理しよう。俺達が知ってる方の…本来探していた方の初瀬さんは、あの騒ぎの時、大阪の場末でひっそりと暮らしていたはずだ。虚空記録帖にはそう記録されていた。俺達が見つけてしまった方の初瀬さんと同じ…何故か虚空記録帖も持たず、虚空記録帖に縛られない存在として…大阪の地でひっそりと暮らしていたのだ。
そんな、本来の初瀬さんの記録が途絶えたのは、もう数年前か。いつだったか忘れたが…動向を追う事になっていた螢が、急に初瀬さんの記録を見失ったのだ。慌てふためいて現地に出向いても、初瀬さんが居たであろう屋敷はもぬけの殻…その時点で、俺達と初瀬さんの糸はぷっつりと途切れてしまった。
「で…だ。公彦、ちと、時間あるか?」
「あぁ。仕事終わりだからな」
「よーし、なら、付き合えや。付いてきな」
それがどうした。長らく進展が無かった問題が、何の変哲もない仕事の帰りに急に進展し始めたでは無いか。俺は何とも言えない高揚感と、どことなく感じる嫌な予感の両方を感じながら、初瀬さんの後をついていく。ここは大阪のド真ん中…適当な茶店に入って…というのは、俺達の立場上無理があるのだが…果たして、初瀬さんは俺を何処に誘うつもりなのだろう?
(というか…大阪もこんなに変わったのかよ…スゲェな…)
記憶にある大阪の街並みとは、全然違う。まるで帝都の様な…それでもどこか田舎っぽく栄えた様な街並みを眺めながら、白髪女の後をついて行った俺は、街中にポツリと立った古い長屋に通された。
「なんだ。まだ残ってたのかこんな建物」
「暫く消えねぇよ。なんせ持ち主は虚空記録帖だからな」
「あ?」
サラリと、とんでもない事を告げられた気がするが…初瀬さんは俺の驚き声にも反応を見せず、グイグイと長屋の奥まで進んでいく。古びて、隙間風が入り放題な長屋。中に人が住んでいる気配も無いほどに埃だらけな内部を突き抜けて…突き当りの部屋に通された時、俺は、余りの光景に目を大きく見開いた。
「なんだ…これは…」
長屋を通り抜けた先。最奥の部屋はまるで御伽話の世界。真っ白な壁に、真っ黒な床…部屋の奥にはゴウンゴウンと音を立てる不思議な機械があって…初瀬さんは、俺が部屋に入って戸が閉められたのを確認すると、その機械に手を伸ばす。
「揺れるぜ」「はぁ!?」
一言。初瀬さんが呟いた刹那。足元がガクンッ!と大きく揺れる。俺は一瞬の揺れにも関わらず身を縮め、思わずしゃがみ込んでしまったが…どうやら足元、いや、部屋が全面的に下がっていっているらしい。俺は目を剥いたまま、初瀬さんの方に目を向けて、今の状況が何なのかを目で訴えかけた。
「虚空記録帖の大改革だ。遂に現実に穴を開ける事にしたのさ」
俺の目線を受けてそう言った初瀬さん。言っている意味は、分かる様で分からない。
「そして…軸しか見てこなかった管理人共にも、も少し権限を与える様になったんだ。ま、並列管理人よりかは立場は下だが…」
そして出てくる並列管理人という新たな単語。どうやら、初瀬さんは、見ないうちに出世でもしたのだろうか。
「公彦。お前をワタシの部下にすると…今、決めた」
ガタガタと動く部屋…俗に言う昇降機というヤツなのだろうか。初瀬さんは堂々としていて、この怖い揺れにも動じていない。俺は、揺れに耐えながら、初瀬さんの言葉に驚きながら…じっと部屋が止まるのを待っていた。
「部下にするって…初瀬さん。俺は今でもアンタの部下だぜ」
「カッコつけんじゃねぇやい。ビビってる癖によ。ま、その辺の説明はこれから良いだけしてやるさ。頭の硬いテメェでも分かる様にな」
「……お、おぅ」
「後の連中はこの軸の中枢を担って貰うつもりだから、疎遠にゃならねぇよ。そうだな…栄やら鶴松やら…螢の奴にも、挨拶しに行かねばならねぇか…」
「そりゃ、そうだろうけどもよ」
会話をしているうちに、ゴゴゴゴゴと、物々しい音を立てながら部屋の下降が終わり、ドーンという地面を成らした様な音を立てて部屋の揺れが収まった。
「さ、行くぜ」
初瀬さんは俺の様子を見て軽く笑いながら、部屋の扉に手をかける。その先は、当然、さっきの古く小汚い長屋とは違っていた。
「ここは…」
白を基調とした…どことなく不思議な部屋。螢を連れてきたら喜びそうな部屋だ。俺は周囲を見回しながら部屋に足を踏み入れる。
「すげぇな。初瀬さんの部屋か?」
「あぁ、並列管理人の棲み処の全てよ。まだ、出来たてなんだぜ」
足元は土足を躊躇いたくなる様な、青い薄手の敷物が敷かれていて…壁は一面真っ白だが、その材質は木とかそう言うのではなさそうだ。広く、四角い殺風景な部屋に…机が一つ、椅子が二つ…1つだけある丸い窓の向こう側は…
「おい、これ、どうなってんだ」
空。
丸窓の向こう側には、普通の光景等無く…見渡す限り何も無い、星空の様なものが広がっていた。
「あぁ、どこかも分からねぇ場所だ。ま、安心しな。外にはでられねぇから」
薄気味悪い光景…顔を青ざめさせた俺に、初瀬さんは軽い口調でそう言い切ると、二つあった椅子の一つに腰かけて、俺の方に鋭い視線を向けてくる。
「さて、公彦。こっからは真面目な話だ。あの時とは違うだろ?」
仕事中の、殺気立った視線。俺は、初瀬さんに何も言い返せず、ただただ頷くと、ポツリと空いていた椅子に座って初瀬さんの目を見据えた。
「これからの話をしようじゃねぇか。公彦、お前の暮しはガラリと変わるぜ」
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