其の百四十三:虚空の場末
「ほぉ~…随分とハイカラなもんだな」
雷雨の帝都から、比良の国へとやって来た直後。初瀬さんは、煌びやかな中心街の様子を見回しながら、感慨深げにボソッと一言呟いた。この場所は、初瀬さんの行きつけだった銭湯の近く…懐かしいという言葉が一切聞こえてこない辺りに、初瀬さんの変わりようがよくわかる。俺達の中には、比良の国にまで戻って来れば戻ってくるかもしれないという淡い期待があったのだが…それは簡単に、呆気なく打ち砕かれてしまった。せめてもの救いは、初瀬さんがココを気に入った様子でいるという事位か…
「問題なく入ってこれるという事は、千代はまだコッチ側みたいなんじゃがな」
「あぁ、でも、この様だぜ。思い出す素振り一つありゃしねぇや…」
「まぁ、そうだよね。とりあえず…風呂屋にでも行こうよ。ずぶ濡れになっちゃったしさ」
「そうだな。ただ仕事をしてきただけなんだ。先ずはサッパリするかぁ…」
ゾロゾロと、管理人や抜け殻でごった返す中心街を練り歩く俺達。何人かは初瀬鬼人の姿を見てギョッとした面を浮かべて俺達に眼を向け、説明を求めるような視線を浴びせてきたが…俺達はそれを一つ一ついなして通り過ぎ、中心街の中心部にある、昔から変わらない風呂屋の中へと入っていった。
「栄さん。初瀬さんを頼む」
「任せておけ」
「上がったら二階な?」
「分かった。女は少しかかるぞ?」
「構わないが…変な真似はするなよ?」
「なんだ。この女、同色の気があんのか?」
「あー、大丈夫だ。初瀬さん、大丈夫だから、後でな」
「あ?あぁ…分かった」
まだ何も終わっていないというのに、俺達は上機嫌だった。番頭役の抜け殻に適当に言葉を浴びせた俺達は、男女に分かれて脱衣所へと入っていく。兎に角、今はずぶ濡れになって冷え切った体をパーッと気持ちの良い湯で温めたい。
「螢、風呂に来る度、毎度思うんだが…童の姿に刺青は似合わねぇな」
脱衣所で裸になる男衆。俺は、ずぶ濡れになった着物から持ち物の類を取り分けると、隣で素っ裸になった螢の体をジッと見つめて目を細める。十代そこそこの子供の姿をした螢…顔は可愛いもので、まるで女のようともとれるのだが、その体は男らしく筋肉質で…首から下、背中一杯に物々しい絵面の刺青が彫られていた。
「仕方がないじゃないのさ。ボク、元々ソッチの人間だったんだし」
「まぁ、そうだが…消せねぇのか?って、いつかも言ってたっけな」
「消せねぇよ八丁堀。俺達の墨はな、言わば呪いみたいなもんだからよ」
「ほぅ?鶴松くらい擦れてれば似合うってもんだがな」
「何をぬかしやがるんでぃ!螢とて、元は俺と大差無しな成りと喋りだったんだぜ」
「矯正されたもんだな。可愛い子ぶってるつもりが素になったわけだ」
「アハハ……まぁ、そういう事にしておいてよ」
俺達は適当な雑談を交わしながら、手ぬぐいを持って風呂場に入っていく。戸を開けて中に入ると、ムワッとした熱気が俺達の冷えた体を温め、湯に混じっている薬味のいい香りがスーッと俺達の疲れを癒していった。
「鶴松。飛び込むんじゃねぇぞ?みっともねぇからな」
「アホ抜かせ、俺は潔癖なんだぜ」
「んなこと言って…鶴ちゃん、この間、誰もいないからって泳いでたの知ってんだよ?」
「……」
・
・
「で…初瀬さん。アンタ、現実はおろか…夢ん中まで荒らしまわってるわけだが…それはもういい。俺達の望みはな、虚空記録の維持なんだ」
風呂から上がって、二階で飯を食いながら始まったのは、これからの話。今までの何もかもは全て忘れた…というわけでは無いが、初瀬さんがこんなんな以上、何を言ったところでもうどうにもならないし、何かの罪として裁くことも出来ないのだ。だから、俺達はこれからの安定を求める方向で、初瀬さんを縛る事が出来ないか…という所を落としどころと定めて、話を進めようとしていた。
「じゃあなんだ。ワタシはもう現実に居ちゃいけねぇってか」
「そうなる。夢の中は…後で専門の男と話してもらうとして、今は俺達と現実に関わる覚えを交わして欲しいのさ」
「勿論、二度と行けぬというわけでは無いぞ?一人でブラつかれると困るというわけじゃ。そう…千代が誰かと共に居てくれれば、わっち達としては、それでいい」
天ぷらの盛り合わせに、白い飯…お吸い物に、弱めの酒。それらが並んだ机を囲んで真面目な話をしている俺達の周囲には、初瀬さんのことを知っている面々が次々と集まってきて、ちょっとした見世物の様相を呈していた。皆、表情は真剣そのもの…何故なら、初瀬さんによって余計な仕事が増えた者達だからだ。そんな彼らの前で安定が保証できれば…俺達としては、これ以上にない成果と言えるのだが…
「その、虚空記録帖って奴ァ…随分とエライもんだな。ちっぽけな本の言いなりか」
「あぁ、そうだ。初瀬さん。それが定めなんだ」
「もし、その虚空記録ってのが派手に犯されたら、どうなんだ?」
「お千代さんよぉ…俺達も分からねぇよ、んなもんよぉ…」
「ボク達の居場所が無くなるのは確かだね。お千代さんも例外じゃないよ?」
「全てが無に帰すと脅されておるのぅ」
「ハッ…この世が全部消え失せるってか。そりゃ、誰も試せねぇ訳だわなぁ…」
「あぁ、アホな賭けに出る気は無い。初瀬さん、別に俺達はな、記憶を戻せとか、管理人として戻って来いなんていう気はねぇんだ」
「そうじゃ。千代がわっち達の誰かと行動して…目の届く範囲に居てくれれば、それだ良いんじゃ」
注目が集まる中で説得する俺達。再度周囲を見回してみれば、随分な人だかりが出来ていた。
「はぁ…」
初瀬さんは、天邪鬼だ。やれと言えばやらぬと言い…やらぬと言えばやると言う。そういう性格…いい性格しているってのは、俺達がよく分かっている。初瀬さんは、俺達の求める意味を完全に理解している事だろう。それ位の頭の良さはあるはずだ。だが、天邪鬼な部分が、彼女の首を縦に振らせまいとしているのだ。
「初瀬さん」
だから、俺は押しに押す事しか出来ない。天邪鬼だって、押されればいつかは折れると信じている。
「も少し、押してやれば首を縦に振ってくれるか?」
「なんだ。ワタシの気を引く何かがあんのか?」
「どうだろうな」
俺は、あやふやな自信のまま…初瀬さんを何とか説得しようと、頭の中で思いついた言葉を、そのままぶつける事にした。
「アンタの過去がここに残ってるんだ。それだけでも、ここに留まる理由にはならねぇかな?」
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