其の百三十九:赤眼の女帝
「虚空記録帖の管理人…来るのが随分と早かったじゃないか」
その一言が、俺を凍り付かせた。土砂降りの帝都、その一角にある館の三階…最奥の部屋の、贅沢な椅子に座っていた女。初瀬さんは、暗い廊下から、部屋に顔を覗かせた俺を見て目を見開くと、あぁ…と声を漏らして口元をニヤリと歪めて見せる。
「誰かと思えば、この間の…こんなに早く再会するとは思わなかったねぇ」
「俺の方はそう思っちゃ居なかったんだぜ。この再会は必然さ」
「ほぅ…この私を、何処にいても見つけ出せる…とでも?」
「あぁ、初瀬さん。確かにアンタの未来は見られねぇ」
会って早々、売り言葉に買い言葉…というわけでは無いのだが、どことなく刺々しいやり取りを見せる俺達。別人の様になってしまった初瀬さんは、どこが俺を…いや、虚空記録帖の管理人を見下しているような態度に見え、それが妙に癪なのだ。
「…けどもなぁ、初瀬さんよぉ。足取りは分かるんだぜ」
「へぇ…辿れるわけだ。初めて知ったよ」
「なぁ、一体どういうつもりだ?こんな様にして、何が目的なんだ?」
会話を続けるのは我慢ならない。俺は手にした拳銃をグッと握りしめながら初瀬さんに意図を問う。
「アンタも管理人だったじゃねぇか。なのに、この館の様はなんだ?全員あの世行きだぜ」
「はぁ、そうだねぇ…国を良くしたいって言うから、相談に乗ってただけさ」
「はぁ?」
問いの答えに唖然とする俺。初瀬さんは、そんな俺の様子を見て薄笑いを顔に貼り付けたまま、普段よりも細くなった赤眼をコチラに向けてこう続けた。
「ワタシはあるがままに過ごしてるだけさ。三食、キッチリと飯を食って…好きな様に会話をして…朝が来たら目覚めて、夜が来たら眠りにつく…ただただ、人として過ごしてるんだ。ここまで時代が進んでも、まだ武士を気取ってる様な男にどうこう言われる筋合いは…」
「初瀬さん!」
悪びれる素振りも無く、ずけずけとトンデモナイ事を言い出す初瀬さんの言葉を、遂に遮ってしまう俺。俺は、叫び声を上げた後で、初瀬さんの表情がどことなく生気を感じない事に気付き、僅かながら背筋がヒンヤリと冷えてくる。
「それじゃ駄目だって事ぐらい、分かるだろ?虚空記録があるんだ…何てこと言い出しやがる…」
「あぁ、そうだなぁ。虚空記録とか言うアホの書いた歴史があるらしいってなぁ知ってるぜ?」
「初瀬さん、アンタはそれの管理人だったろぅ…?どうして、そんな…」
「ワタシが管理人…?…ハハハ、アンタも随分突飛も無い事を言い出すもんだ。アンタ、夢でも見てるんじゃねぇのかい?」
「……初瀬さん」
前と同じ、記憶が抜けちまった様な初瀬さんを前にして、俺は言葉に窮してしまう。その刹那、俺の背後に人影を感じて振り返ってみれば、仕事を終えた面々が俺の方へ駆けてくる様子が見えた。
「八丁堀!!」
「鶴松…皆も…」
「何故入り口に?」
「は…向こう側見てみろよ」
「あぁ…」「千代…」「お千代さん…」
全員集合。この面子が揃うのは何十年ぶりだろうか。俺達はそれに郷愁を感じるのだが、初瀬さんにその気はサラサラ無いらしく、彼女は俺達の様子をジッと見回して、貼り付けた胡散臭い笑みを更に深いものに変えていった。
「賊に、花魁に、外国かぶれか?同僚たちも随分古臭いもんだな。ワタシより上なんじゃねぇか?ワタシは江戸の世なんざ覚えちゃいねぇよ?」
「千代!…なんて…事を…」
「お、お千代さん。本当にボク達の事を覚えて無いの?」
「あぁ、これっぽっちもな。坊や、アンタ見た目の割には随分な年増か?」
「こん中で一番年増なのは…お千代さんなんだがな…」
俺の周囲に立って、初瀬さんと会話を試みる3人。彼らは皆、昔のままの初瀬さんを期待して言葉を投げかけるが…返ってくるのは期待外れの内容ばかり。皆、深入り出来るような会話にはならず、初瀬さんの現状を見て打ちのめされるかのように言葉を失ってしまっていた。
「しっかし…雁首揃えてよぉ、ワタシに何の用だ?」
「…初瀬さん、さっきの続きだ。まず、聞かせてくれ。どうして虚空記録に仇を成す真似をしたんだ?」
少しの静寂の後、初瀬さんに尋ねられて…俺がさっきの道筋に話を戻す。彼女が虚空記録の僕で無いと分かった今、俺が知りたいのは彼女の動機だった。
「どうしてって…相談されたから乗っただけだって…」
「そうじゃない!自分のせいで虚空記録が犯されると分かってるんだろ?」
「そうなのか?んなホラ話程度の虚空記録とやらが犯されるってか。で、それの何がイケねぇのよ?」
「それは……」
初瀬さんに問われて、戸惑う俺。口ごもった直後、俺の横に控えていた栄さんが、スッと俺の前に足を踏み出した。
「千代。虚空記録とはな…この世の理じゃ。地面が有り、空気が有り…水があって炎がある。その理由を問う者はおらんじゃろう?」
「なんだ?じゃ、その虚空記録とやらも、疑うなってか?」
「あぁ、そうじゃ。最初から最後まで定められているものに手を加えてはならぬ。そう、わっちに言ったのは、他でもない、千代なんじゃよ。無い方がおかしい存在でのぅ…一度ソレを犯せば、犯された記録が他に影響を与えて回り…最悪、この世を破壊してしまうと…そう、言っておったんじゃがのぅ…」
栄さんの言葉を聞いて、笑みを僅かに消す初瀬さん。だが、それでも、彼女は自らの異常さを自覚しない様だった。
「そうかい。それを犯したから、テメェ等みてぇな頭のおかしい連中がくるわけだ」
そう言いながら、初瀬さんは懐に左手を突っ込む。
「待て!!」
刹那、俺達は全員…手に持っていた初瀬さんのソレと同じ拳銃を持ち上げて彼女に向けた。
「お千代さん。悪く思わないでよ?」
「おかしいとなっちまえば…俺達はな、記録帖に従う他ねぇのよ」
「千代がそう仕込んだんじゃが…記録帖を犯さんとする者には、容赦するなとな」
俄に緊張が高まっていく。
「初瀬さん。俺達はな、アンタを取り返しに来たんだ。今のアンタは普通じゃない。何がどうなってるのか知らねぇが…俺達はな、アンタを討ちたく無いんだ」
銃を向けて牽制しながら、俺は何とも言えない感情が籠った言葉を投げかける。
「ほぅ…そうかいそうかい」
だが、その言葉は、白髪の女には一切響かなかった様だった。
「ワタシはな、あるがままの、今の日々が好きなんだ。それを邪魔するようなら…そうだな。テメェ等、かかってきやがれ。ワタシは鉄砲を撃つのは下手だが…当たるのも下手なんだぜ?」
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