其の百三十六:曖昧の重鎮
「普通に馴染んでやがるな」
「えぇ…その様ですね…」
「弥七、夢ん中じゃどうなのよ?」
「夢ん中でも変わらねぇですな」
弥七…夢中管理人に助けを求められた次の日の昼。俺は鶴松と弥七と共に帝都に出向き、初瀬さんの様子を影から眺めていた。手出しするつもりは無い。今の初瀬さんは、正常な中にいる異常値。虚空記録帖を使って、それまでの足取りを調べる事が出来るから…探し出すのは簡単だが、そこから先は望めないし、望んではいけない。
「しっかし、目立つだろうに。んな白髪で赤眼の若い女なんて」
「そうだよなぁ…お千代さんでも服装は変えたのな。テコでも変えねぇと思ってたが」
「洋装してる分、傍目には外人にしか見えませんな」
本人の視界になるべく入らぬよう。俺達は通りの物陰から…遠くから眺めるほか無いのだが、初瀬さんはこの時代にすっかり溶け込んでいて、しっかりと自立した生活が出来ている様だった。鶴松や弥七が言う様に洋装で…似合う格好をしている彼女は、遠くからでも後光が差しているかの如く目立っているのだが…不思議とそれが、騒めきや注目を浴びていないのが気に掛かる。
「移動しますね」
「おい八丁堀、今話してたのは何処のどいつだ?」
「調べてみる。待ってな」
通りに面した洋風の館の先で、老人と言葉を交わしていた初瀬さんは、会話を終えて通りを歩き出した。コチラ側…俺達の方に近づいてくる。俺達は咄嗟に物陰に隠れ…狭い道を移動してその場から離脱して…人気のない建物の中に避難してから、今、初瀬さんと話していた相手が誰なのかを探り始めた。
(…どうなるか。答えてくれよ?)
虚空記録帖に鉛筆を走らせて、飲み込まれていく文字を眺める。尋ねた内容はズバリ「今、八千代と話している男は誰か?」である。その聞き方で、最近意地悪な虚空記録帖が反応してくれるのかと不安になったが…
「返って来たぜ」
ジワジワと文字が浮かび上がってくる。その男の名前は、安西成ェ門という男…随分な老齢で、御年82ときた。俺達はその名前を見て顔を見合わせる。勿論、その名に覚え等無い。俺はその名をそのまま虚空記録帖に書き込んで、ソイツの虚空記録を求めた。
「「「……」」」
文字が飲み込まれていき、代わりに男の虚空記録が浮かび上がってくる。何の変哲も無い、商家の家に生まれたその男…奴の人生などどうでもいい…俺はその記録を辿り、今この瞬間の記録を求めて紙を捲った。
「?」
一昨日、昨日と、書かれている記録の内容が見えて…今日、今この瞬間の記載を見て…俺達は言葉を失う。無いのだ。初瀬さんと会話していたであろう時の虚空記録が…
「おかしい、記録が…」
「ねぇぞ?イカレちまったのか?」
「まさか、そんなことは無い筈…」
ポッカリと空いた、男の虚空記録。先を眺めれば…更に紙を捲ってみれば、男は虚空記録の言う通りに動いている事だろう。これから、男が死ぬ再来年迄の虚空記録がズラリと書かれるようになっていた。つまり、初瀬さんと話している時間…男は虚空記録が無い…自由を得た事になる。自由と言えど、本人に自覚はなく…何ができるとも思わないのだが…兎に角、有り得ない現象が起きている事だけは確かだった。
「報告にあったか?こんなこと」
「いや、そもそもある訳ねぇ事なんざ見てるかよ。眺めてただけだろうぜ」
俄に背中がヒヤリとしてきた。俺はすぐさま虚空記録帖に、初瀬さんの居場所を尋ねる。
「「「……」」」
虚空記録帖はすぐさま答えを返してきて、初瀬さんはここから目と鼻の先にある食堂に居るとわかった。そういえば、今はもう、昼時だ。
「背後にいなくて良かったな」
「あぁ、いる流れだったんだがな」
「それで…どうします?」
「眺めてみるか…それとも、安西とかいう男を見に行くかだな」
薄ら寒い背筋。俺達は互いに冷や汗をかいた顔を見合わせながら話し合い、初瀬さんと話していた男の元へ行くことにする。どういう訳かは知らないが…とりあえず、初瀬さんが生活できるワケは何となく分かって来た。あそこまで交流できれば…問題なくこの時代で過ごす事は出来るのだろうから…
「普通に虚空記録帖通りの行動をしているんだろうがな」
「お千代さんと話す前の記録をみてぇんだが…みれねぇんだっけ」
「えぇ、変ってしまったとすら記録帖は認識していない様ですから…」
ゾロゾロと物陰からでてきて、さっきまで初瀬さんがいた場所まで歩いていく俺達。その最中、初瀬さんが入っていった食堂の前を通り過ぎて行ったが、中をチラリと覗き見れば、1人で飯を食っている初瀬さんの姿が見えた。
「不思議だな。ホント」
「えぇ、あの成りでよくもまぁ…」
「夢ん中でもそうなんだろ?」
「そうですけどもね、直に見ると違うじゃないですか」
「まぁな」
適当にくっちゃべりながら男の元へ歩いていく。そしてやって来てみれば、安西という老人はさっきまでと変わらぬ場所で誰かと雑談を交わしていた。
「ここが奴の店なのか」「らしいな。よく見てなかったが」「そうっすねぇ…」
建物の奥の様子が見えないが、どうもここが奴の城らしい。虚空記録帖を開いて立地を見やれば、洋風建築に建て替えて間もない商家とのことだった。そこで、何にも異常が無く、カラクリ人形の様に動く老人…俺達は目を凝らしてジッとその様子を眺めるが、何か収穫が得られるとも思えない。
「ん?」
そう思い始めた刹那。弥七が声を上げて、俺と鶴松の肩を叩いた。
「あ?」「どうした?」
強めに叩かれた肩…俺達が反応すると、弥七は顔を青ざめさせながら老人の方に目を剥き、震える声でこう言うのだった。
「アイツの眼…光が無い様に見えねぇか…?俺の、気のせいならいいんだけどもよ…」
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