其の百三十五:沈黙の主君
「どうだ?」
「駄目じゃ。効果が無い」
「ってことは…お千代さんの存在は、虚空記録帖の意思通りって事なのかな?」
「まさか。あべこべを何よりも嫌う仕組みだぜ。んなわけ…ねぇだろうよ!」
栄さんとの会合から更に数日後。伝手を動員して初瀬さん周辺の監視を行いながら、虚空記録帖へ訴えを起こす作業に手を付けていた俺達は、その作業の感触の無さに焦りや苛立ちの様なものを感じていた。
「畜生ッ!また弾かれやがった!」
「ボクもだよ。偶に通るんだけどもね」
初瀬さんがかつて管理人であった事。忽然と姿を消した事は、虚空記録帖も知っている。だが、その初瀬さんが帝都に平然と住んでいるという旨を何度も記録帖越しに進言しようとしているのだが、どうも頓珍漢な返ししかしてこない。ある時は八千代という名で虚空記録帖に登録されている女の動向を返して来たり、ある時は初瀬八千代は既に管理人ではないと言って来たり…そして最も多いのは無視だ。文字を飲み込むだけ飲み込んで、何も返ってこないのだ。
「明らかに壊れてやがる。クソッタレ!!」
「虚空記録帖が壊れては元も子もなくなるがのぅ…」
「虚空人の時には動くんだ。なんか意図を感じるぜ」
「でもさぁ、言ってもお千代さん1人しかこうなってないじゃない?そうする理由なんて、あるのかな」
「どうじゃろうな。わっち達が検知しているのは千代1人だけ…というのも有り得るぞ?」
「んなもの、初瀬さんみたいなのが何人もいてみろよ。俺達は一瞬で抜け殻になってら」
俺の部屋で、各々が虚空記録帖を開きながら、ガヤガヤと騒いで作業をする…そんな事も3日続けばだらけてくるもの。そんな中でも虚空記録帖がヤバいと危機感を募らせ手を動かしていたわけだが…俺達は先の見えない状況に参ってしまっていた。
「そろそろ千代の見張りが変わる頃か」
「あっち側も何も無いとなれば…いよいよボク達がアホだって事になるんだけども」
「実際、アホなんだろうな。こうも手応えがねぇのに何度も同じこと書いてるんだものよ」
「ケッ…八丁堀ィ!そろそろ伸るか反るかの覚悟を決めようじゃねぇか」
鶴松がそう言いながら、手にしていた鉛筆を放り投げる。パキっと音を立てて芯が折れ…その刹那、俺達は黙り込んで互いに顔を見合わせてしまった。
「っと…すまねぇ」
「別に。一理あったぜ」
「あぁ、気にするでない」
「そうそう」
凍り付いた間。たまたまそうなってしまっただけ。俺達は直ぐに元の空気を取り戻すが、事態の進展が見えず…どうするもこうするも打つ手が無い状況に追い込まれてしまっていた。
ここまで来れば、今の状況が自然というもの。実際、初瀬さんが消えた次の日から、彼女は帝都で過ごして来たのだ。それで今まで大事が起きていないのだから、それでいいじゃないかと言いたくなる自分がいる。だが、そうじゃないだろう。管理人であった初瀬さんが何をどうしてそうなっているのか…それを明らかにしなければ、俺達の中にある霧は晴れる訳がない。
「何か手はねぇか…」
行き詰ってしまった俺達。このまま放っておくのが一番か…初瀬さんを忘れる事が良い事なのだろうかと思えてきた時。
「ごめんくださーい!!守月様はぁ、いらっしゃいますでしょうかぁー!!」
玄関の方から、聞き慣れない男の声が聞こえてきた。
・
・
「弥城七海?…」
「ホラ、スゲー昔に助ける羽目になっちまった同心よぉ。今は夢中管理人になってる」
「あぁ…思い出した!八丁堀の後輩みたいな人!久しぶりだねぇ…30年以上ぶりかぁ…」
「後輩みたいなというか、後輩なんじゃがな…代は違うじゃろうが…して、弥七よ、わっち達に用があったとな?」
尋ねてきたのは、弥城七海という男。思い出せはしないが…俺達の手によって管理人となり、その後は夢の中の世界を管理するという夢中管理人になった男だった。
「へぃ…少々厄介な事が起きていやして…相談させて頂きたく…」
「夢の中のハナシなら、俺達ぁ木偶の坊だぜ?」
「そうおっしゃらず…お願いしますよ旦那ァ…」
弥七とやらは鶴松と仲が良く、栄さんとも親衛隊の繋がりで面識があるらしく、冗談を飛ばしながら相談事が始まった。
「近頃、夢の中の世界で…以前消えた初瀬様を見たとの報告が余りに多く…その原因を究明するのにお力を頂けないかと思って来た次第でして…」
弥七からの相談は凄く簡単で、それでいて、俺達の頭を更に混乱させるもの。俺達は目を点にしながらも、兎に角、弥七の言葉に耳を傾け続ける。
「コチラで分かっておりますことには、虚空記録帖でどのような言葉を投げかけても、初瀬様は存在しないという事でして、当初はホラ話と言って無視していたんです。ですが、その報告が絶えない事…俺も見てしまった事…諸々が重なりホラじゃねぇと言う事で調査を進めているのですが、何一つ進展が無くて…」
「あぁ、それ以上は良い。弥七、生憎だったな」
長くなりそうな話を俺がぶった切ると、弥七は少し驚いた様な顔を浮かべて俺の方に目を向けた。
「それ以上は無駄ってもんだ。俺達が出向いても何も変わらねぇぜ」
ぶっきらぼうなまでにそう言い切ると、弥七の頬が僅かに膨らむ。それを見た俺はニィっと口元を歪ませて手をヒラヒラ振って敵意が無い事を示すと、溜息を付きながら、弥七にこう言った。
「コッチ側…現実でも初瀬さんが居るのよ。それも聞いて驚け、消え失せてからずっと江戸…東京に住んでてな、虚空記録もあると来たもんだぜ…」
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