其の百三十四:皆無の存在
「栄、どうだ?何か分かったか?」
「うむ。古の文章に明るい者に解読を頼んでな、大筋は分かったぞ」
いつもの4人が動き出した数日後の昼下がり。俺は栄さんと共に中心街にある風呂屋の二階で虚空記録帖モドキの事を共有しあう為に顔を合わせていた。
「予想通り、千代の虚空記録じゃな。残ってる虚空記録とも合致した。嘘偽りの類は無い」
「そうか…」
鶴松と螢は銃の入手経路調べで東京に出向いているから、今は俺と栄さんだけ。二階の食堂の隅で、小物をつまみ…茶を飲みながら、緩い空気の中で行われている。
「虚空記録以外に何か無いのか?」
「ある。ほぼ全てが千代が生きていた頃の虚空記録なんじゃが…最後の方は全く違う内容が書かれておったわ」
「ほぅ…?」
栄さんは、そう言いながら綺麗に清書された書物を懐から取り出して俺に見せてきた。受け取った俺は、早速最後の方の文章に目を通し…読み始めて直ぐに眉を潜める。そこに書かれていた内容は、俄に信じ難い内容だったからだ。
「おい…これ、どういうことだ…?虚空記録があるだなんて…」
「わからん。わっちもサッパリじゃよ」
そこに書かれていたのは、近頃の初瀬さんの動向を記した虚空記録。不思議なのは、虚空記録が未来まで続いておらず…この本を取った段階。この間までしか続いていない事だった。この本に記された最後の虚空記録は、館に帰還した…という内容。俺が初瀬さんを追いかけて、彼女が館の扉を開けて中に入る…正にその瞬間までの内容が、虚空記録として記されていたのだ。
「わっちの虚空記録帖で調べてみたんじゃがな、初瀬八千代という女は存在しない。同姓同名も今の世にはおらぬ」
「なら…」
「じゃが…更に調べを進めるとな、八千代という女が1人、浮かび上がってきた」
「八千代?…苗字は」
「無い」
「無い?」
「あぁ、見てみると良い」
そう言って、栄さんが取り出した虚空記録帖を覗き込む俺。彼女の言う通り、苗字の無い八千代という女が確かに東京に存在し…この瞬間までの虚空記録がズラリと並んでいる。
「初瀬さんの苗字って空じゃないよな?」
「あぁ、名のある家だったからのぅ…初瀬家自体は、分家した者達によって今も細々と続いておるぞ」
「なら、この八千代ってのはどういうことだ…いや、そんなことは大した問題じゃねぇか…どういうことだ?先が見えねぇってなぁ…」
「サッパリじゃな。どういう訳か、この八千代という者はのぅ、性別も分からなければ生まれも分からぬ。そんな者が向こう側を自由にうろついておるとなると…どうじゃ?」
「怖くて仕方がネェや。他との辻褄合わせをどう取ってるんだ?」
「全くわからぬ。少しばかり追ってみたが…どうも、千代と関わった者の記録が書き換えられてしまっておる…」
「異常過ぎんだろ…」
衝撃の事実。俺達が調べようとしていた内容は、追うだけ無駄であることは良いとしても、初瀬さんが何故その状態でいられるのか…皆目見当も付かない。
虚空記録帖は、何処までも厳重で…何処までも精確でなければならないだろう。そのはずだ。この世の人間すべてに記録があって、それらを見張り…異常があれば俺達に報せが来て、俺達が処置を行う。それで成り立っているはずだろう?だが、これはどういう事だろう。初瀬さんのような存在が居るとなれば、それは全て意味がないではないか。
「じゃあ、なんだ。初瀬さんは記録を好き勝手出来るじゃねぇか」
「殺せばどうなるじゃろうな?」
「殺しきれるのか?」
「そこも分からぬ。まぁ…調べる限り、わっち達の前から姿を消した直後から今の姿なんじゃから…無理だと思うのが筋だろうが」
「だろうな。もう…10年位ェ前か?」
「アホ抜かせ、もう30年以上前じゃよ」
「そんなに経ってたか…」
そう言って、栄さんと顔を見合わせる俺。初瀬さんの諸々に関しては色々と分かったが…どうすればいいかが分からない。虚空記録帖がこれを異変として捉えていない以上、俺達には何も出来ないような気がするのだが…
「して、どうする?守月様よ。突くか?」
「突くしかないだろうよ。そんな存在だと分かれば、尚更だ。触れちゃならねぇ存在だって向こうには居るんだぜ」
「天皇とか…その辺りか」
「あぁ、俺達の知ってる初瀬さんならやらねぇが、遭遇したアノ女ならやりかねねぇ。中身がすっからかんになってるみてぇだったものな」
「ふむ…お主がそういうなら、そうなんじゃろうな。わっちの知る千代では無いと」
「あぁ、底抜けに闇しかねぇ女だった。手出しできねぇにしても、ソイツの意図を知っとかねぇと…それか、虚空記録帖に説得をかけるか?」
「やる価値は…どうなんじゃろうな。わっち達の警告がどこまで通じるか」
「まぁ、やるっきゃねぇわな。知れば知るほどヤな予感がしてきたぜ」
俺はそういうと、溜息をついて茶を一口飲んで喉を潤す。ただの異常だとしか思っていなかったが…虚空記録帖の中枢までやられてるなら話は別だ。深く掘り下げてどうにかなっておかねば…後で泣きを見るのは俺達だ。
「栄、親衛隊共を集めるとすれば…どれ程集まる?」
「ふむ?…どういう意図か聞かせてくれるか?」
「あぁ…虚空記録帖に言い含めるなら、大多数が良いと思ってな。俺達の面が効く連中の総数を知っておきたいのさ。鶴松やら螢、俺は大したことねぇ数しかいねぇからよ」
「そう言う事か…ざっと…二百かの?この国の管理人は…一万だったか二万だったか…その位しかおらぬ」
「ほぅ…その中の二百ちょい…多くて三百か…」
俺は軽く脳内でそろばんを弾いて、思考に勝ち筋が付いてくるかを考える。そして、何となく筋が見えた時。俺は栄さんに向けてニヤリと意味ありげな笑みを向けた。
「まぁ、どれだけ効くかは知らねぇが…やってみっか…初瀬さんに、余計な事を起こされる前にな」
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