其の百二十五:有害無益の推考
「そうか…キミは少しばかりやりすぎた様だね」
ある日の夜。ボクは洋風な内装に変わった元武家屋敷の一室で、醜く太った中年男に銃口を向けていた。
「まぁ、気持ちはわかるよ?何事も最初が肝心だものね」
久しぶりの仕事は、改めてボクに世界が変わったのだと実感させてくれる。この男もその一部というもので、これまでこのような豚の出番は無かったというのに…
「規則には指で穴を開けておきたいものだもの。あぁ、それは重々承知だ。ボクも似た者だからさ」
しかし不思議なものだ。どうして武士が去って直ぐにこのような男が出て来るのか。この男は、今この瞬間に初めて表舞台に出てきた筈だ。それまでは木偶の坊だと言われて石を投げられる側だったはずだ。ボクは男から感じる不思議さに、どこか胸を躍らせながら、恐怖と絶望に震える男を煽り立てていく。
「ボクが持ってる記録によれば…キミは江戸の商家に生まれた望まれぬ三男坊みたいだね。今も存命である家主の…浮気で出来た子供だ。知らなかっただろうけどさ…」
本来であれば、この男に生きる価値等無いのだ。赤ん坊の頃、産婆に首を絞められていてもおかしくない。それがどういう訳か、のうのうと不自由なく暮して、今に至ってしまったって訳だ。
「それが本妻の子供として認識されて育って…こうなった訳か。いやはや不思議なものだよねぇ?長男は商いを継いで家を立派に成長させ…次男は子無しの武家に婿として迎えられてるってのにさ。キミはのうのうと毎日を無駄にしていた訳だ」
タダ飯食らいというか…表に出したくなかったからか。この男は妙に甘やかされて育った。それが使える駒になったのはここ数年。時代の変化に目ざとく反応した長男が政府に紛れさせる為にアレコレと施しをしてやったのだ。そうしてこの男は首尾よく中枢の一部に入り込み…家の商売を有利にするために暗躍していた。だが、そんな仕込み作業も今日限り…
「残念だったなぁ…少し欲をかいたからこうなったんだ。別にね、ボクは正義を持った人間なんかじゃない。ちょっと特殊でね。キミは虚空記録を犯してしまったから、こうなったんだ」
ボクはつい最近、強く決心を固めた事を、自分に言い聞かせるような口調で男に告げる。お千代さんの蒸発から既に数か月が経っていた今、色々あやふやになりかけていた管理人としての心構えを、この何の変哲もない仕事で再確認しようと思っていたのだ。
「そんなもの知らないって?そりゃそうだ。コッチに居る限り誰にもわからないんだから。この世ってのはね、何もかも決まってるのさ。誰が何をするか…どういう決断をするか、全部決まってて、その通りに動いてる」
再確認。男に向かって…ではない。自分の為の言葉。ボクは銃を向けながら、男に向かって虚空記録とは何ぞやというのを話続ける。
「キミはね、ちょいとそれを犯してしまったんだ。決められたとおりに動けなかった。結果はどうあれ、キミはこの世の理からハズレてしまったんだ。だからボクみたいなのがやって来たのさ」
そう言いながら、撃鉄を親指で引き起こすボク。32口径、金属薬莢式回転拳銃の回転弾倉がクルリと動き、目の前の男はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ボクはね、この世の理そのものだ。虚空記録帖の管理人だ。決して情に流されない。全ては虚空記録帖に言われるがまま…ボクは、ボク達は虚空記録帖の僕。いい?だからね、キミがどれ程金をまぶそうとも…ボク達には効果が無いんだ」
ガクガクと震え、尿を漏らし…仕立ての良い洋物の服から金貨を散らばせた小汚い男。ボクはその男の眉間に銃口を合わせると、ニィっと下種な笑みを浮かべたまま引き金にかけた指に力を込める。
「……」
夜の屋敷に甲高い破裂音が響き渡った。分厚い壁のお陰で誰にも気とられる心配は無いが…余りの轟音に、ボクは僅かに背中を汗で濡らすと、血飛沫と脳みそを壁にぶちまけて絶命した男の姿を見て、仕事の完了を確認した。
「よし」
任務は完了。これで、他愛の無い違反者の処置は終わりだ。銃を手にしたまま周囲を見回して異常が無い事を確認すると、ボクはその場に長居せずに部屋の扉を開けて外に出る。
「……」
静寂に包まれたままの武家屋敷。恐らく外からは何かが倒れた程度の音にしか聞こえなかったのだろう。屋敷で寝ているであろう数人が起きてこないのを改めて確認すると、ボクは廊下を堂々と歩いて玄関まで出向き、正門から外へと抜け出した。
「一丁上りっと」
東京府の中枢。そこに建つ屋敷から抜け出したボクは、闇夜に紛れて比良の国へと繋がる扉まで向かう。その道中も何も起きず、ボクはまんまと比良の国へと戻るのだった。
「変に緊張してもしょうがないよね」
扉を開けて比良の国へ。寝静まった東京府から、煌びやかな比良の中心へと移ったボクは、フーっと長い溜息をついてから、手にしたままの拳銃を懐に仕舞いこむ。
「熱っ…まだだったかな」
まだまだ熱い銃口に胸を火傷しつつ…ボクは比良の国の住民たちに紛れ込んで、比良の夜へと溶けて行った。とりあえず、これでボクは惑わされないだろう。管理人としてまだまだやれる筈だ。お千代さんが消えてからの数か月、胸につかえていた何かを何処かへやれた気がする。そうして妙に心が軽くなったボクは、通りの向こうに見知った顔を見かけると「おーい!」と声をかけて、再び管理人の土地で暇を謳歌する日々へと戻っていった。
「これから一杯どうだい?…あぁ、ちと仕事上りでね。喉が乾いちまってしょうがないのさ」
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