其の百十九:ケジメにて候
(ケジメは自分でつけるさ…)
公彦達には寺の門の前で待ってもらう事にして、1人で寺の離れへと向かう。パッと見では物置にしか見えず…実際、物置として使われている離れの小屋の前に立ったワタシは、空を見上げてから一つ、小さな溜息をついた。
(暗くなってきやがったか)
空の色はそろそろ夜と言える色に変わっている。周囲の明るさは秒を増すごとに暗くなっている様な気がした。ワタシは今一度、刀の刃先の様子を確かめて…自らの衣服で血や油を拭ってから、離れ小屋の扉に手を伸ばす。
「……」
ギィ…と音を立てて開く扉。埃などの様子を見る限り、直前に誰かが出入りした事がある様な後が見える。中に入って小屋の様子を見れば、中には大小様々な品が所狭しと並んでいて、件の母娘の姿は何処にも見当たらない。
「……」
だが、人の気配はする。よぅく耳を澄ませば母娘の震える吐息が聞こえてくる。ゆっくりと吐息のする方へと体を進めれば、すぐに倉庫の隅で身を寄せる母娘の元へと辿り着くことが出来た。
「これで最後だ」
2人の女の体に、ワタシのがかかる。母娘はワタシの姿を見止めると、声も出さずに抱き合って体を震わせた。そんな姿を見ても、ワタシの表情は歪まない。ワタシは手にした刀を所定の位置に持って行くと、震える母娘をジッと見据えて、ボソッと2人に声をかけた。
「すまねぇな。お前さん方は、破っちゃならねぇ掟を破ったんだ」
そう言って声をかけると、2人は震えたままワタシの目をジッと見据えて首を傾げる。言ってる意味がわからないのだろう…それはそうとしか言えないのだが、少し変になっていたワタシは、自らの何かを埋めるため…何かを拭う為に口を開く。
「それもな?お前さん方は…本来ならばここにすらいない筈だったのさ」
話すのは、虚空記録帖に対してワタシがしでかした間違いの話。この母娘は、ずっと前に処理されるはずだったのだ。それをワタシがどうしたのかを…話さないわけにはいかなかった。
「ついこの間、火事があっただろう?江戸を騒がすデカい火事だ。覚えてねぇとは言わせないぜ。その火事の現場の近くに、お前達は住んでいたんだ。そうだよな?」
恐怖に震え、絶望の顔色を隠さぬ母娘に問いかけると、2人はコクコクと首を縦に振る。ワタシの話は、決して彼女達に理解される事は無いのだろうが…それでも構わない。ワタシは2人の反応を見て、再び一人語りを進めていく。
「本来はな、お前さん方の人生はあの日に終わる筈だったのさ。絡まれてたろ?借金取りだかなんだかに…その時、お前さん方の悲鳴を聞いて駆けつけて、借金取りどもを殺したのはワタシだ。奴等は…いや、お前さん方は、その時点で掟を破ってたんだ」
そこまで言うと、母娘の顔色は一変して…怪訝な色に染まっていく。母娘はワタシがあの日の女だと思い出せないらしい…いや、思い出せなくて当然なのだが…やがて娘の方が「掟…?」と呟くように声を放つと、ワタシはゆっくりと頷いて見せた。
「お上の掟とは違う掟だ。この世の全てに関わる掟。あの火事はな、起きるはずも無かった火事なんだ。火事が無ければ…お前さん方は、あの借金取りに捕えられて…悲惨な末路を辿る運命だった。だがそうならなかった…掟が定めた運命からは違う未来を描く羽目になっちまったんだ」
母娘の表情には「信じられない」と書かれている。そんなことはワタシも重々分かっている。でも、ワタシは語る事を止めようとしない。
「火事で歪んだ運命。あの日、あの場でな、ワタシはお前達を斬らなければならなかったのさ。だが…なんでかなぁ…助けちまったんだなぁ…」
この親子の命は、あの日に終わるはずだった。それに手心を加えた結果こうなった。それだけの事なのだが…どうしてこうも後ろ髪を引かれるのだろうか。虚空記録帖からワタシへの罰は出ていない。恐らく、この親子を斬って捨てれば、ワタシはまた…管理人のワタシへと戻ることができる。そう分かっているのに…どうしてこう、ワタシは踏ん切りを付ける事が出来ないのだろう?
「その結果がコレだ。お前達はな、悲惨な運命から逃れられたのさ。この寺に拾われ…空腹を満たし、全てがいい方向へと向かっていたんだ。でも、結果はコレさ。何の事もない…他人のせいでこの寺の運命が狂ったんだ。お前達は何にも悪くない。だが…掟破りは掟破り…これも決まりでな?ワタシは今からお前達を斬らなければならねぇんだ」
懺悔にもならない話。ただ、話したかっただけの話を母娘に聞かせてやる。母娘はすっかり震えも止まっていて、何とも言えない怪訝な顔つきでワタシの様子をジッと見つめていた。
「んな事言ってもしょうがねぇよな。助ける手立てはもうねぇんだ。腹を括ってやるしかねぇのよ」
母娘の視線を浴びて、罪悪感に押しつぶされそうになった所で、ワタシは手にした刀を振り上げて…動きを止める。母娘は再び震えだしたが、ワタシの動きはもう止まらない…
「あの世があるだなんて思っちゃいないが…あの世で閻魔に会ったらな。初瀬八千代がよろしく言ってたと、伝言してくれねぇかな。初瀬八千代が馬鹿をやってるってなぁ!!」
最後の一言。そう言ってから、ワタシは一気に刀を振り下ろした。
一閃。
母娘の腕を斬り裂いて2人を引き剥がし…
もう一閃。
薙ぎ払う様に刀を振るって母娘の首を胴体から斬り放す。全てが終わるまでに、瞬き1つ分も要らなかった。
「……」
全てが終わり、静寂が小屋を包み込み…血のむせ返る様な匂いが充満し始めた頃。ワタシはようやく残心を解いて刀についた血を振るう。
「終わったか」
ボソッと呟いた一言。母娘の命を奪ったワタシの体は異様なまでに軽く感じ…ワタシはその体の軽さに歪んだ笑みを浮かべてしまう。
「ようやくヤキが回りだしたかな…あぁ、知ってたんだ。こうなるってなぁ…」
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