其の百十五:異変起きて候
「おい、千代。起きぬか」
「んぁ?」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。栄の声で目を覚ましたワタシの周囲には、久しぶりに集まったであろう面々の顔が見えた。
「どうした雁首揃えて…」
畳の上で寝ていたせいで体のあちこちが痛みを訴える中。ワタシの家に上がり込んできた連中は、神妙な顔つきでワタシを見ていた。そうされる筋合いは…幾らか心当たりがあるが、まぁ、何かが起きたと思って良いのだろう。ワタシは栄に目を向けて先を促すと、栄は手にしていた虚空記録帖を開きながら、ワタシの目の前に座り込む。
「仕事じゃ。久しぶりに大仕事になりそうじゃぞ?」
「ほぅ…?なりそうってなぁ、どういうことだ?」
思っていた展開とは僅かに違う…ワタシはそれに変な拍子抜け感を感じつつ、ただの仕事にしては神妙な顔を見せる栄や他の面々の顔色を伺う。八丁堀の同心は兎も角として、鶴松や螢ですら真面目顔なのはどういう事だろうか。
「なんだい。んな言い辛そうな事でもあったか?」
「あぁ。千代、今、江戸は大混乱でな。虚空人も絡んでおると見て良いじゃろう。兎に角、これを見てくれぬか」
「どれどれ…」
細かい説明を受けるよりかは、虚空記録帖を見た方が早いらしい。ワタシは栄が手にしていた記録帖をジッと眺めると、久しぶりに見る赤文字の大群に目を丸くした。
「ほぅ…コイツぁ厄介な事しやがったな。切欠は些細なもんだが…」
あらましを言ってしまえば、単なる勘違いが生み出した記録違反が切欠となった…と言って良いだろう。とある商家から武家に買われるはずだった品を買い忘れた事が切欠となり、同時多発的に記録違反が発生した…と。だが、違反した場所と人間の運が悪く違反が違反を呼ぶ状態になって…江戸は大混乱に陥っている…と言う事らしい。
「虚空人が裏から噛んでるかは知らねぇが…ま、顔くらいは出すだろうな」
寝起きで動かない頭が、段々と動いてきた。これ程の記録違反ともなれば、ワタシ達以外…それこそ比良の国が空になるほどの管理人が必要と言う事だろう。
「大体理解できたぜ。ただ、珍しいな。記録帖からの指示がねぇのか」
「そうなんじゃ。千代にもいっとらん様じゃしの」
「初瀬さんに行ってねぇなら、この辺にも来ないだろうしよ…」
「街の連中は戸惑って動けやしねぇの」
「そうそう。皆で出ても良いんだけど…規模が大きくて」
そういう面々は、どことなく浮ついた様子。かくいうワタシにも御触れが来ていない事が気がかりだが…とりあえず、ワタシは部屋の隅にあった自分の虚空記録帖を拾ってパッと脳裏に思惑を展開させて簡易的な指示を出す事にする。幸いなのは、まだ事が起きてから少ししか経っていないという事だろう。
「動かねぇと話にならねぇしな。栄、お前は親衛隊を連れて八丁堀周辺をやれ。鶴松は飲み仲間を連れて赤坂だ。螢は…そうだな。趣味仲間集めて四谷の方を頼む。とりあえずその方向で指示を出すとしよう。公彦はワタシと共に来てくれ。浅草の方に行くぜ」
そう言いながら、近くにあった鉛筆を取って記録帖に指示を書いて行く。とりあえず火元になってそうな箇所を我々が抑えられれば…あとは他の管理人で賄えるだろう。ワタシが指示を出して見せると、集まった面々は表情を引き締めて頷き、それぞれが記録帖からワタシの出した指示を受けて動き出した。
「では、参るとするか…時間が掛かりそうじゃな」
「仕方がネェだろ。久々に暴れられそうなんだ。動いてくるサァ」
「あ、終わったらさ、一杯やろうね?ボク、良い店見つけたからさ」
「はいはい。行ってこい行ってこい!積もった話は後だぜ!」
ワタシの部屋からいそいそと出て行った面々を見送ると、残った公彦に目を向ける。
「で、浅草か。少し暇になりそうな場所を選んだものだな」
「あぁ…虚空人の侵入経路さ。あの辺、ちぃっと怪しくてな」
探りを入れてくる公彦に、でまかせを言って誤魔化すと、ワタシは部屋に置いてあった大太刀を背中に括り、乱れた髪を適当に整えた。
「何だかんだで忙しくなるぜ。公彦」
「そうかい。刀を振るうのはコレが最後かね」
「まさか。廃刀令を出されようとも出番はあるさ」
軽口を交わしながら家を出たワタシ達は、一路…浅草に繋がる扉に向けて歩き出す。ここから浅草までは、ほんの1時間程度の道のりだ。
(改変の影響?…ではないだろうな。切欠が突飛過ぎる)
道中は共に無言。ワタシはその最中、自分のしでかした事の影響かと勘繰っていたが…記録帖を見る限りでは、その影響では無さそうだった。いや、まだまだ精査が必要だが…とりあえず、私のせいではないと言って良いだろう。
(だが、巡り巡って浅草まで飛び火するとはねぇ)
ひょんなことから発生した大規模な違反。その影響は浅草の、件の母娘が居る寺の近くまで飛び火していた。今回、ワタシ達が浅草に行くのは寺に被害を出さぬ為…私利私欲も良い所だが、毒を食らわば皿までだ。あの母娘だけは…何故か守ってやりたいと思った。だから、浅草へ行って事態の収拾を付けるのだ。
「もし、浅草に虚空人の痕跡がねぇなら…お前は八丁堀へ行け。ワタシは螢の方へ行く」
「わかった」
虚空人は良い言い訳になるものだ。ワタシは背筋をヒシヒシと凍らせながらも、公彦の前では隙を見せない。このまま浅草へ出て事態を終わらせ…それぞれが別れて仕事をすれば全てが思惑通りというわけだ。
「なぁ、初瀬さん。浅草に行く前に聞いて良いか?」
そうして、比良の国から浅草まで繋がる扉に近づいてきた頃。ポツリと公彦が口を開いた。
「なんだ、急に」
改まった口調に思わず足を止めたワタシ。公彦も足を止めてワタシにこう尋ねてくる。
「初瀬さん、今まで、寝てて虚空記録帖の呼びかけに気付かなかった…なんてこと、あったか?」
その問いかけを受けた瞬間。ワタシと公彦の間の空気が一瞬のうちに凍り付いた。ワタシの部屋で感じた違和感はこれなのだろう。ワタシが気付かぬはずがない事に気付かなかった…それに皆は違和感を感じていた訳だ。
「そうだな」
それに対して、ワタシは少しも淀まぬ目を作ってこう答える。
「たまにはあったんだぜ。お前が気付かないだけの話さ。ヤバい時なんざいくらでもあらぁ」
短く言った嘘。だが、その嘘は、公彦を頷かせるには十分だった。ワタシは公彦の様子を見てニィっと笑みを浮かべると、再び止めた足を踏み出す。今は色々と脇に置いて…とりあえず真っ当な仕事をしようじゃないか。
「さ、仕事だ。暇潰しに行くとしようぜ…」
お読み頂きありがとうございます!
「いいね」や「★評価」「感想」「ブクマ」等々頂ければ励みになります。
よろしくお願いします_(._.)_




