其の百十三:怪しまれて候
「江戸で何かあったかなんて、ワタシは知らねぇな」
公彦からの問いに、ワタシはいけしゃあしゃあとそう答えて見せた。奴はそこまでワタシを疑っているというわけでは無さそうで、その答えを聞くと「そうか」と言って懐から虚空記録帖を取り出す。
「なんだ。長ぇ話になりそうだから、そこの茶屋で茶でも飲みながら話さねぇか?」
「別にいいが…良いのか?用事があったんだろ?」
「いんや。最近は初瀬さんを見てねぇからな。次、いつになるか分からねぇならコッチが優先だ」
そういう公彦に連れられて入ったのは、数える程度しか入ったことのない茶屋だった。刀鍛冶が店を出している通りから程近い長屋の一角にある茶屋…そこに入ると、ワタシは思わず目を丸くしてしまう。
「こうなっちまったのか?」
「あー、知らないのか。じきに外もこうなるってんで変わったんだと」
「はぁ~…」
長屋に入って、見えてきた光景は如何にも外国といった光景だ。長屋の一角…比良の国の中心街にしては少しみすぼらしいと言える江戸らしい茶屋の内装は何処にもなく、まるで出島にある外人の屋敷の様な内装がワタシの五感を刺激してきた。
「落ち着かねぇ~」
「慣れだ慣れ」
乾いた木ではなく、何かが塗られて妖しい光沢を示す木の床板…白い何かが塗られた壁は見知ったそれとは全然違う質感を曝け出していて…窓や天井の装飾は如何にも南蛮渡来のものとしか思えない。机や椅子といった調度品は皆、この国由来の質素なそれとは一線を画して贅沢な作りをしており…少々暗い時間になった今、店内を豪華な蝋燭台に灯った炎が明るく照らしていた。
「おい、紅茶を2つ持ってきてくれ」
公彦がサッサと注文を済ませてしまうと、奴はワタシを適当な席の上座に座らせて、自らは下座に座ってワタシの顔をジッと見やる。
「で、聞きてぇ事は江戸の異変か。なんだって?記録が書き換わったって話だよな」
「あぁ、昨日の今日で変わった奴が幾つかいてな」
公彦は手にしていた虚空記録帖を机の上に広げると、何やら数人の虚空記録が表示された箇所をワタシに見せつけてきた。
「事のあらましは特に無い。本当に偶々見つけちまったんだ。俺の興味本位でな、この先、この国がどうなってくかを調べてたんだ」
「ほぅ…で、その刀云々もその一環か」
「あぁ、10年もしないうちに、お上からの指示で廃刀令ってのが出るらしくてな。急に刀が無くなっちまうってんなら先に慣れておこうって考えだ」
「なるほど、殊勝な心掛けだぜ」
「茶化さないでくれ。で、そう言ったのを調べてる内に、見つけちまったんだ。見てくれ、この男」
そう言って公彦が指を指してきたのは、じきにこの国の初代総理大臣となる男の虚空記録。ワタシは何の変哲もない…立派な記録をジーっと眺めてから公彦の方を向き、首をクイっと傾げると、公彦は少し考え込むような素振りを見せた後こう言った。
「コイツな、この間まではちゃんとした死に様があったんだ。畳の上で死ぬって事にはならなかったが…生き抜いた上で死ぬ記録を持っていた。だが見てみろ、最期は隣国で暗殺される。昨日まではこうじゃなかったんだ」
公彦の言葉を聞いて、ワタシはさっきまで一切感じていなかった…いや、一度は振り切っていた罪悪感を再び感じて僅かに顔が引きつってしまった。公彦は、そんなワタシが何かを知ってると確信した様子で身を乗り出してくる。
「江戸で何かあったのではないか?記録違反ではない何かだ」
ワタシは公彦の言葉にすぐ答えることはせず、何とも言えない表情を浮かべて無言の時間を作った。公彦はそんなワタシを見て疑念を確信に変えた様子だったが…ワタシが何を言い出すか待ってくれる様だ。ジーっとワタシの顔を見つめてくる公彦から無言の圧力を感じていたワタシは、パッと脳裏に物語を組み立てて、それを話す事にした。
「良くある話と言えばそうなんだろうが、何も虚空記録が変わる事くらい珍しいモノでは無いのさ。これまで何度も何度も起きてる事なんだぜ」
そう、話のとっかかりを言って見せたワタシ。公彦は目を見開いてワタシの言葉の続きを待っていた。
「虚空記録の厳密性は今も昔も変わらない…どこかナァナァなのさ。でな?公彦、例えば何処かの誰かが江戸で落とし物をするとしよう。金を一分でも落としてしまった。なに、良くある話だ。その程度で、今の虚空記録帖は記録違反としないだろう。適当に書き換えるのさ」
思い付きのまま話す虚空記録帖の仕組み。まぁ、概ね正解を話すのだから気にしなくていいのだが…それでも嘘は紛れさせるもので、ワタシの背中はヒヤヒヤとした冷たいモノが流れていた。
「そうしてな、ひらりひらりと数多の人間の虚空記録が僅かに変わる。そうすっとな、そんなお偉方の記録も変わっちまうことがあるのさ。現に虚空記録は何も言ってこねぇんだろ?」
「まぁ、そうだが…」
「なら、ワタシ達が出来る事は何も無いのよ。放っておきな」
そう言って話を終わらせるワタシ。公彦はまだ怪訝そうな表情を浮かべていたが…虚空記録帖が何も言ってこない現状が全てなのだ。奴が自ら動く必要も無いし、何かをしでかすつもりなら止められるだろう。奴はワタシと違って手柄が多くないのだから。
あぁ、そう言う事だ。
手柄があればあるほど自由が得られる。
手柄があればあるほど外へ影響を与えることができる。
手柄があればあるほど越えてはならない一線が遠くへ行く。
(だから、ワタシは平気だった…そう思うべきだろうな)
公彦を言いくるめた後で、ワタシは自らの内面で結論を下した。少しの出来事で記録へ影響を与える…きっと、虚空記録的にはそれを黙認しているのだ。それがワザとだろうがどうだろうが関係無い…大っぴらにやらない限り…虚空記録は何とかしてくれるのだ。
「ワタシが最近江戸に出向いてるのは、別件だぜ」
自分の中で結論を下したワタシは、まだ訝し気な顔を消さない公彦に警告を発する。奴の正義感は時に暴走するのだから…こうしておかないわけにはいかないというものだ。
「虚空人の痕跡を探ってるのさ。そういう思いもよらぬ変化が虚空人に繋がるかもしれねぇからな」
こうして虚空人絡みと言えば、公彦も怪訝な顔を消して納得したように頷いて見せた。ワタシは心臓がチクチクする感覚をどこか楽しみながら、公彦の見せた表情に頷いて見せると、一気に姿勢を崩して机に頬杖を付き、こう言ってトドメを刺すのだった。
「僅かな変化を見逃さねぇのは立派だが…それはな公彦。虚空人の仕業だぜ?ワタシ達管理人は全てが砂粒以下の存在なんだ。ワタシ達はもう、向こう側を操作出来ない。出来るのは虚空人だけ…だから、ワタシはコソコソ調べてるって訳よ。向こうも馬鹿じゃねぇからな。大手を振って調べりゃ雲隠れしちまうだろうからな…」
お読み頂きありがとうございます!
「いいね」や「★評価」「感想」「ブクマ」等々頂ければ励みになります。
よろしくお願いします_(._.)_




