観察:スライムはどうやら○○するらしい
改めて双眼鏡越しにプレイヤーと思わしき姿を確認する。
簡素な服に身を包んだ女性である。
私の装備とは多少異なるけれど、おそらくは初期装備かなにかなのだろう。
大きな木製の杖を持っており、彼女は魔法で戦うプレイスタイルであることが想像できる。
彼女は辺りに目を配りながらもまっすぐにスライムへと近づいていく。
おそらく魔法の射程内であろう距離で足を止めると、杖を前へと構え詠唱のようなものを始めた。
距離があるために実際に唱えているのかはわからないけれど、いかにもなエフェクトが足元から立ち上っているのでなんとなく当たりをつけられる。
そしてそこまでされてもなお、スライムの方は危機感の欠片も働かないらしくのん気に草を食べていた。
彼らには目と呼べる器官が存在しない、あるのかもしれないけれどすくなくともここで見ている限りでは確認できない。
それは鼻も耳も同様であり、我々とはまるで違う感覚器官でもって周囲の情報を手に入れていることは間違いないのだろう。
あるいは振動や気配を読む力が強かったり、魔力などを感知するのかもしれない。
ともかく、その感知範囲がそれほど広くないのか推定魔法使いに見事にターゲッティングされているにも関わらず何事もないかのようにすごしていた。
白い燐光を散らばらせながら詠唱を終えた魔法使いの杖先から、光の矢が飛び出す。
初期魔法であろうそれは草むらを揺らしながらスライムの体へと突き刺さる。
結局その瞬間までその様子に気付いていなかったスライムはまるで蹴られた毬のごとく突き飛ばされていた。
さすがにコアを射抜いてでもない一撃ではそれだけで倒せるというわけではないらしい。
魔法使いの方もそれを理解しているのかすぐに追撃の準備を始めていた。
だがそこでスライムの様子が大きく変わった。
これまで緑色をしていたコアの色が真っ赤になったのである。
なるほど、赤いコアが敵対性の高い個体なのではなく、敵対性が高くなると赤いコアになるというのが正しいのかもしれない。
ようは、気が立ってると周りに示しているのかもしれない。
そう考えれば赤いコアのスライムが同族にまで避けられていたのも納得できる。
人間だって明らかにイライラしている人に近づくことは躊躇われるだろう。
コアを赤くしたスライムはこれまでのゆったりとした様子とは打って変わって二本の触手を素早く魔法使いへと伸ばす。
慣れたような動きでそれを躱して彼女は魔法の矢を放っていく。
おそらくここに来るまでにもいくらかのスライムと戦い事実慣れているのだろう。
スライムの方もこれまでよりも早い移動と触手で魔法の矢をはたき落して対応しようとするも魔法を避けきることはできないらしく徐々に体力を削られているようだった。
最初のクリーンヒットから更にもう二発も本体に魔法が当たると、力尽きたように触手がしなだれた。
討伐後のモンスターというのがどのようになるのかを見るのも初めてなので注意深く様子を観察する。
しなだれたスライムは数秒もすると光の粒子として分解されて消えてしまった。
さすがによく見えないけれど、魔法使いの彼女が特にかがんで物を拾うなどはしていないので、ドロップ品が残るようなものではなく直接インベントリにアイテムが入る形式なのだろう。
右手でウィンドウを開き何かを確かめているような様子からしてもその可能性は高そうだ。
他人からはウィンドウが見えないので憶測にすぎないけれど。
ウィンドウを閉じる動作をして彼女はこの場を離れていった。
進行方向的に街へと戻るようようだ。
再び人のいなくなったところで、私はこれからどうするかを思案していた。
戦闘の様子を一度観察できたので、自分でも試してみるというのも手ではある。
しかし現状の私が持つスキルやステータスでは戦闘をするのは少しばかり厳しいと思わなくもない。
武器をまったく扱えないというわけではないけれど、構成が偵察や観察に偏ってるのだ。
そのためにこうしてみている分にはいいけれど、真正面から勝負を吹っ掛けるのは得策とは言えないだろう……
なればこそ、試すべきは闘争ではないものだろう。
至近距離に近づかれても、周囲で攻撃魔法が展開されてもなお敵性を示さないスライムは相当に穏やかな性質であると考えられる。
攻撃的なアクティブモンスターと非攻撃的なノンアクティブモンスターに分けるのならば後者ということだ。
近寄っても無差別に攻撃されることがないということは触れ合うことも可能なのではないだろうかというわけである。
そんなわけで、私はいまスライムと対峙している。
コアの色は緑、体色は水色の標準的な個体であると感じられる。
予想通り、手を伸ばせば届く距離にいてなお彼らは我関せずといった風にこちらをまったく気にしていないようだ。
「この距離にいても反応なしか、よしやりましょうか」
幸いにして何が起きて死んだところで失うものはなにもないので試すにはいい機会である。
隣にしゃがみこみ、ゆっくりと、ゆっくりと、手を伸ばす。
触れる寸前まで手を伸ばしてみてもその様子は変わらない。
一つ呼吸をし、意を決してゼリーのような表面に触れる。
「おー、意外と気持ちいいかもしれない」
少しばかりひんやりとして、軽く押せば沈みながらも確かな反発力を感じる。
さすがに触れてくる存在に関しては関心があるのか、微かに流体を震わせてこちらに注意が向いているのが感覚的にわかる。
コアの色は緑から少し黄色くなっているように見える。
まるで信号機のようだ。
注意は向けているけれど、攻撃を向けるほどではないということだろうか。
安全の緑、注意の黄色、危険の赤、そんな感じで分かりやすいとも言える。
今後様々なモンスターと接する上で、害意を向けなければ比較的安全に接することができるモンスターもいるといういい例になるだろう。
調子に乗ってぐにぐにとちゃぷちゃぷと触り続けていると次第にコアの色が染まっていくのが見えた。
「おっと、危ない危ない」
さすがに無遠慮に触られ続ければ気が立って来るものらしいので手を放す。
別に私は敵対しに来たわけではないのだ。
ではどうするかといえば答えは簡単である。
アイテムボックスからこの時のためにさきほど用意した水筒を取り出す。
サイズは小さいものであるが、そこはゲーム的なあれでかなりの量を入れることができる。
さて、初対面で友好的であることをアピールするには手土産と相場が決まっている。
観察した限り、彼らが摂取していたのは草と水のみだったので、川の水を持っていこうというわけで準備していたのだ。
水の気配とでもいうべきものに敏感なのか、水筒のふたを開けるとスライムの注意がそちらに向いた。
いきなり体にかけると敵対行動にとられかねないので、少し離れた場所で水筒を傾けて地面に軽く中身の水をこぼす。
「食いつきは良さそう、かな」
水が落ちた地点へとゆるゆるとした動きで陣取ったスライムは軽く体を縦に伸ばし、まるで手を伸ばすかのようにしている。
そこまでしても、戦闘中に使う触手のように細長く体を伸ばしては来ない。
よく考えれば草を食べる時もそうした方が楽に思えるけれど、そうしないというのは何かしらの理由があるのだろうか、たとえば使うと疲れるだとか……
とりあえず、この状態なら直接かけても大丈夫そうなので、ゆっくりと水筒を傾ける。
かけられた水はそのままスライムの流体に取り込まれていくようで表面を水が伝ったりということは無いようだ。
「これだけかけてもまるで体積が増えないのは性質なのか、ゲーム的な都合なのか」
それなりの量の水を取り込んだスライムに一旦水を上げるのをやめて観察する。
体積は変わってないように見えるほか、潤ったのか心なしかつやがいいような気がする。
更に機嫌がよくなったのか、黄色に近づいていたコアの色も緑に戻っている。
なるほど、攻撃されたりして変色したコアは時間の経過やこうしてストレスを取り除いてやることで緑に戻っていくのだろうか。
「うん?まだ欲しいの?」
そんなこんなで少しばかり思案していると不意に膝にひんやりとした感触を覚える。
目を落とせばスライムがまるで催促するように、そのぷにぷにの体を押し付けていたのだ。
野良猫に餌を与えたらすり寄ってきた感じ、に近いのだろうか。
正直、結構かわいい。
「はいはい、待っててね」
というわけで再び水をゆっくりとかけてやる。
今度は向こうから止めないまで続けようと思う。
ごくごくと、あるいはとぷとぷと、際限ないようにスライムはもう数分は水を取り込み続けている。
いくらゆっくりとかけているとはいえ、そろそろ組んできた水の残量を心配するレベルである。
しかし、水を与えていくとやはり輝きを増すというか潤いが増すというか、言葉がなくとも上機嫌が伝わってくるようだ。
水筒を持つ手と逆の手でそのボディを横からぷにぷにと触っていても最初の時のようにコアガ変色する兆しは見られない。
やはり手土産の効果は絶大なのだ、少なくともスライムというモンスターに対しては。
みずみずしさが増すにつれて、手触りももっちりと水分を多く含むような手触りに代わっていく。
「おぉ、気持ちいい……」
そんなこんなで夢中でもちもちを堪能していると、不意にスライムの体が小刻みに震える。
驚いて手を放し、水を与えるのもやめ、じっと観察する。
ふるふるとした震えが段々とぷるぷるになり、やがてぶるぶると強くなっていく。
そして振動が臨界に達したと思った次の瞬間、ピタッと動きが止まる。
「なんだったんだろ……」
変わった点はないかと手を伸ばそうとした時に、不意にそれは訪れた。
突如としてスライムの大きさが二倍弱になったのである。
こちらに気を使ってくれたのか、近くにいた私がそれに巻き込まれることは無かったものの、大きさを増したスライムは少しばかりの威圧感がある。
そしてそのまま、ずるり、と分離したのである。
そうして私の前には元の大きさに戻り今までで最大の潤いを感じるスライムと、まるで抜け殻のようにコアがなくだらりと脱力しているように見えるスライムの二つに分かれたのである。
「なにこれ、脱皮?」
どうやらこの世界のスライムは脱皮をするらしい……