第一話「疑い」
なんとなく昨日より暖かい気がする。
実際のところ、春の訪れなんてその程度しか感じ取ることはできない。
こんなの絶対起きちゃいられないだろ、みたいな4限目の日本史。特に興味もない北条氏のなんやかんやを聞きながら、窓の外に広がるグラウンドに目をやった。
「うぉおおお!唸れ!俺の右腕ぇぇ!」
そう叫びながら、無人のサッカーゴールにシュートを放つのは友人のザキである。
いや、ザキである。じゃねーよ。よく考えたら授業中だぞ。あいつ何やってんだ。
しかも唸らせるなら右脚だろ。
思うところは色々あるものの、声に出してツッコむようなことはしない。だって皆の迷惑になるじゃん。何を隠そう、俺は優等生なのだ。
まだ春とはいえ、あと1年もしないうちにセンター試験を迎える身。いかに興味が無かろうと、北条氏のあれやこれやに耳を傾ける必要はある。
体育教師に取っ捕まったザキの悲鳴がこだまするグラウンドから視線を戻し、黒板に刻まれる北条氏のかくかくしかじかに集中することにした。
あ、いつの間にか北条氏終わって足利氏になってる。やっべ。
そんなありふれた春の日の出来事。
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「いやー急にサッカーがしたくなってな、ついグラウンドに飛び出しちまった」
自慢げに語るのは、体育教官室から戻ってきたザキである。
昼休み中盤で説教から解放されているのは、こいつが常習犯だからだ。普通なら昼休み中みっちり絞られてもおかしくない。突拍子もないことをやらかして叱られるのは、こいつの日常である。そろそろ注意すらされなくなるんじゃないかと、友人として心配にさえ思っている。
「スポーツアニメのかっこいい必殺技って真似したくなるだろ?昨日イナビカリイレブン見た時のこと思い出して、俺にもできるんじゃねーかと思ってさ」
なるだろ?じゃねーよ。小4かよ。なったとしてもタイミングくらいは選べよ。
「それはそうと、最近学校で女子生徒の私物が無くなる事件が多発してるらしいな。この事件、俺が解決してやろうと思ってるんだがどうだろうか?」
お前の興味に一貫性は無いのか。急に話題変わりすぎだろ。
あと俺に意見を求めんな。勝手に解決してくれ。
そう脳内ツッコミを入れたところで、俺は教室に現れた担任教師からとんでもない宣告を受けることになった。
「お、見つけた。お前、女子生徒の体操服を盗んだらしいな?ちょっと職員室まで来てもらおうか」
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「絶対盗ってないです」
職員室に連行された俺は、生徒指導担当の教師に取り調べを受けていた。
「盗ってないって言われてもな、お前の下駄箱から見つかってるんだぞ?温厚なお前に恨みを持ってる奴なんかいないだろうから、誰か他の奴がお前を貶めるためにやった犯行とは考えにくい。残念だが、お前がやったとしか考えられないんだよ。もしかして一連の事件は全部お前がやってるのか?」
「違います、何かの間違いです」
もちろん俺は体操服なんか盗っていない。善良な一生徒として真面目に高校生活を送っているだけだ。状況証拠だけであらぬ疑いをかけてくる無能教師に苛立ちを覚えつつも、当たり障りのない言葉を繰り返しなんとかこの場を乗り切ろうと試みている。しかし、どうやらこの教師は折れないようだ。
「そうは言われてもな...じゃああれだ、証人とかはいないのか。犯行は今日の朝からさっき被害生徒が訴えを出してきた時までだ。その時間帯のお前のアリバイを証言できる奴はいないか?いなければ残念だが、お前を犯人と認定するしかn」
「それはちがうよ!!」
職員室のドアを音高く開け、どこかで聞いたことのあるセリフと共に転がり込んできたのは他でもない、ザキである。
「先生!こいつはそんな男じゃありません!」
誰かに助けてもらいたいとは思っていたが、こんなに頼りない助っ人が来るとは。
「いきなりでかい声出すなよ。こっちは若くないんだ、腰がグキッてなるだろ、腰が。それで、何か証言したいことでもあるのか?」
「いやすんません、こういうの一回やってみたかっただけです。一昨日やったゲームのこと思い出しちゃって」
ふざけんなよマジで。いくら頼りなくてもちょっとくらい助けてはくれるかなと思ってたのに。
「証人もなし、か。残念だがお前を犯人に認定する。この後、被害生徒にはその旨を伝えておくからな。しかし驚いたな、真面目だったお前が女子の体操服を盗んで自分の下駄箱に隠すようなことをするとは...」
「下駄箱?先生待ってください、俺さっき下駄箱で変な奴と会ったんですよ」
事態は急変した。なんとバカ、もといザキが、珍しくまともな証言を繰り広げ始めたのである。
「さっきとは言っても4限目なんですけど、とある事情があってグラウンドに出たんですよ。んで、そのとき下駄箱で禿げたおっさんが巾着袋に頬擦りしながらハァハァ言ってたんで、何してんすかって声かけたらその巾着袋を近くの下駄箱に入れたんですよね。その時はただの巾着袋大好きなオッサンかと思ってそのままグラウンドに出たんですけど、今考えたら超怪しいっすね」
「まんまじゃん。まんま犯人じゃん。もっと早く言えよバカ」
俺のツッコミは声に出ていた。
どうやらこのバカは犯人に遭遇していたらしい。しかも現行犯。これは大きな証拠になる。
俺を問い詰めていた教師は、すぐにザキに問いかけた。
「なんてことだ。そのときのオッサンの特徴を教えてくれ。不審者情報は地域全体で共有しなければならんからな」
「禿げてたのはさっき言いましたけど、背が低くて丸い眼鏡かけてて、でっかい三角定規持ってましたよ」
「でっかい三角定規?冗談はよせ、そんなもの持ってるのは、せいぜい学校の数学教師くらいしか...」
ここまで言って、審問教師は数学教師に目をやった。
職員室のほぼ対角、日当たりの悪い一角に置かれたデスク。
そこに座っていた数学教師は、震えていた。
マンガかというほどベタに、びくびくと震えながら冷や汗をかき、口をあわあわさせながらこちらを見ている。
「これはその...確定だな」
生徒指導教師は、戸惑いと呆れを含む呟きを漏らした。
だいたいこういう事件は、あっけない幕切れに終わるものである。
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次の日。
俺はザキと昼休みを堪能していた。
「あの数学教師、一連の犯行を認めたらしいぜ。『まさか授業中の時間帯に下駄箱で生徒と出くわすとは思わなかった』って供述してるってよ。俺が4限目にたまたま熱い衝動に駆られなかったら、今ごろお前が警察のお世話になってたんだからな。俺とイナビカリイレブンに感謝しろよ」
学校を賑わせていた窃盗事件は幕を閉じた。あの職員室でのやりとりの後、すぐに警察が駆けつけ、例の数学教師は逮捕となった。今日の数学は面白くもない日本史に変更になり、明日から新しい数学講師が来る予定とのことだ。自分が通う高校から犯罪者が出た、しかも教員とあっては驚きを隠せないが、今は自分が冤罪で捕まらなかったことを素直に喜ぼうと思った。
それも、このバカな友人のお陰である。本当に事件を解決してしまうとは。今回ばかりは本当にこいつのお手柄だ。
「おい聞いてんのか?まぁいい、俺はこの程度の功績にうつつを抜かしたりはしない。明日からも必殺シュートの練習に励むぞ、3限目も使ってな」
やめろ。これ以上内申点を下げるんじゃない。
いつものように脳内でツッコミを入れながら、俺は食べかけの弁当を平らげる作業に戻った。
当たり前の日常がいかに素晴らしいか、今ならよく理解できる。
今日はなんとなく、昨日より暖かい気がした。
第一話「疑い」~終~