5 毒がないのに胃が痛い?
表情をこわばらせた私に気づかずロリ様は微笑みを深くしている。
機嫌がものすごくいい。
鼻歌でも歌いそう。
だからこそ、私は何か重大な間違いを犯した。そんな気持ちになる。
私はロリ様を喜ばせることを口にしていない。
そんな会話の流れじゃなかった。
私との親愛を確認してやったねハッピーみたいな性格じゃない。
ロリ様の嬉しそうな気持ちは私絡みのはずなのに私と共有していない。
つまり、私が気づかないうちにとんでもないことをした。
兄を見ると無表情に見せかけて唇がメチャメチャ震えている。
あれはきっと怒りで戦慄いているというやつだ。
心の声はきっと「なんて愚かな妹なんだ」というものに違いない。
信じられないという非難がましい視線を感じる。
それが規則やマナーだからか私とロリ様の会話に兄が加わることはほぼない。
ロリ様が話を振れば参加するし、私が助けを求めた視線にロリ様が許可を出したら口を開く。
スレイヤーだって私と兄が話をしている時は黙っている。
緊急の報告や私がわからない部分を補足する以外で三人でいてもスレイヤーは話さない。
以前、友達が日本の執事像は実のところ忍者だと言っていた。
主人のために陰ひなた頑張って忍んで諜報をしている。
家政婦ではなく執事は見た。
兄で言うなら護衛は見た。
いや、兄は護衛というより近衛や私兵というものかもしれない。
王子の部屋の中で常に仁王立ちの兄。
部屋の外の扉にはベテランの護衛が三人ぐらいずっといる。
「年齢的に婚儀はできなくても婚姻はできる。ねえ、シャーレン。早いほうが良いよね」
「……本人の同意が絶対条件だとお答えしたはずです」
「同意は得たよ。カナリヤは私と結婚する」
言ってない。
同意なんてしていない。
ラブラブにうなずいたからにしても急展開すぎる。
思わずりゅーりゅーの頭を叩いてしまったのか大きな声でガルルと聞こえた。
慌てて謝るとロリ様は自分に向けられたと思ったようで「謝罪の必要はないよ」と笑う。それも勘違いだとお伝えしたい。
「結婚する相手がカナリヤだと言ってカナリヤは嫌がらなかった。それは私との結婚には前向きだということじゃないのかな」
私は呼びかけられたんだと思って聞き流していた。
まさか「決まっているよ、カナリヤ」が「結婚相手はカナリヤに決まっている」という意味だとは思わなかった。
なんで、倒置法で攻めてきたんだろう。
ここで気づけたのは逆によかった。
勘違いがこじれずに済む。
兄が私の意思次第だと言っているからまだ大丈夫。
決定している話じゃない。
ここで断っておけばいい。
ロリ様の上機嫌に水を差すのは怖いけれど、結婚するわけにはいかない。
私が結婚したらどこからか魔王が来ると決定したわけじゃない。でも、来ないとも言い切れない。
彼が現れるきっかけを十歳なんていう無防備でひ弱な状態で作りたくない。
魔王が現れたら勇者が必要になる。これは絶対だ。
どうして私が呼ばれたのか聞いたら「毎度のことですから我慢して」みたいなことを言われた。
我慢できるわけがない。
不死の身体だからこそできる仕事をしているけれど、今だって生き返らない方がよかったと思うことはある。
私がまだ勇者ならまた魔王と戦わないといけないし、勇者の資格がないなら誰かが平和な場所から地獄に引きずり込まれる。
我慢できない地獄に誰かが落ちるのをわかった上で時間が経つのを待っていられない。
私をこの世界に召喚した神殿は今もまだある。
魔王は人を殺しても建物は破壊していない。
本などから残った人々がなんとかして続けてるんだろう。
神殿には三歳ぐらいの時に連れて行かれた。
七五三のようなものだろう。
そのときに私はちょっとした知識を仕入れていた。
「私、神様と結婚する予定です」
出家である。そういうシステムがこの世界にもあるらしい。
生涯独身宣言だと感じるからか、あっさりと神との結婚を口にできた。
この世界の貴族ルールで独身貴族は神殿的な場所行き。
独身じゃありません神様と結婚していますと言い訳をするらしい。
初めからそこを目指すのはおかしいけれど、信仰に篤い人は率先して出家する。
家族の誰かが病気だと高確率で出家する。神が助けてくれるかはともかく誰かが出家することで残された家族は安心する。
そう考えると私が思う出家と違っているのかもしれない。
神殿の中に入ることで勇者召喚を永遠に出来なくさせる方法が見つかるなら探したい。
私がするのは残酷なことかもしれない。
魔王から身を守るすべとしてこの世界の人が考えに考えた結論かもしれない。
それでも私は否定したい。
役立たずだった勇者だからこそ別の世界から人を呼ぶべきじゃないと言える。
自分のことは自分でどうにかしないと解決なんかできるわけがない。
「神様との結婚は十六歳になったら出来ると聞きました」
「通常の婚儀がそのころにするものだからね」
「私の願いを叶えてくれるなら……」
「カナリヤ、それはいけないよ。私はたしかに君の願いをなんだって叶えてあげる。でも、そういう冗談は好きじゃない」
ロリ様は笑っているけれど空気が冷えている。
魔王が髪の毛を引きちぎってきたときと同じ雰囲気だ。おそろしい。
楽しそうな気分を台無しにされた静かな怒りを感じる。
神に敵う者はなしと思って出した最強の切り札が滑っている。
ロリ様を選ばない理由が神であって、ロリ様個人のせいじゃないとフォローしたつもりなのに間接的すぎて伝わっていない。だから、自分を選ばないことにお怒りだ。
もっと男性的魅力にあふれてロリ様は素敵だと持ち上げてから「でも無理です」と切り出すべきだった。相手を良い気分にさせてからが交渉のスタートだとアニメ好きの友達が言っていた。
「それは誰も救えない。ミンリャーフォーのためかもしれないけどね、それはダメだ」
ミンリャーフォーというのは妹の名前だ。
私の耳にはミャンミャフォイみたいに聞こえる。人の名前というより動物の鳴き声を真似したような発音。
耳を澄ましても聞き取れないからこそ口に出せない。
妹の名前もろくに呼べないダメな姉だ。
「シャーレン、カナリヤに何か言うことはあるかい」
「自分の役目を分かっているか? 毒見だろう」
兄がロリ様に言わされているような感じで私を説得してくる。
ある程度の上流貴族は家族の中でひとり必ず出家させる。
私の家なら妹が対象だ。はじめから妹はそのために生まれた。
兄や私に何かあって子供ができないと分かると妹は実家に戻って誰かと結婚する。
行き遅れの独身貴族と生け贄の独身貴族がいるのだ。
「お前の行動はミンリャーフォーの不利益につながる」
妹を庇って出家しますという私の考えは浅はかなようだ。
たしかに王子であるロリ様の毒見をいつ引退するのか悩んでいた。
出家するなら私がロリ様と食事を共にすることができなくなる。
それは私の家族にとってよくない。
毒見は信頼で成り立っているわけではない。
ロリ様に何かをしたら家族は皆殺しだと言われている。
毒があることを知った上でロリ様に飲食物を渡したり、毒を盛ったりはできない。
元々そんなことする気はないけれど家族を人質に取られているからこそ私は毒見をして死に続けても文句を言わない。
私が毒見をしているのは無条件の信頼ではなく作られた信用だ。
もし私が毒見をしなかったせいでロリ様が死んだら目覚めが悪すぎるので毒見をするのがイヤなわけじゃない。
死ぬのはイヤだけれど人を見捨てるのはもっと耐えられない。
とくに自分が楽をするために人の犠牲を見過ごすことなど私にはできない。
誰かが死ぬんだとわかっていたら、わがままなんて言わない。不便でも出来る限りの我慢をする。