10 朝もやっぱり毒見という名の試食会
いろいろとあっても毒見の日々は変わりない。
私の断り文句を聞かなかったことにされたなら王子の結婚の意思も聞かなかったことにしていいはずだ。
嫌われる気はない。それでも、好みのタイプから外れるために私は才女になろうと気合を入れた。
朝ごはんは甘い菓子パン。
中に入っているクリームがチョコっぽいのでチョココロネもどきと私は思ってる。
何を食べたいのか聞かれて朝は甘いものがいいと答えたらこうなった。
もしかしなくても私は空気を読まなかったのかもしれない。
食べたいものを聞かれて思ったまま口にしてしまった。けれど料理人からしたら「ふざけんなクソガキ、そんな材料あるわけないだろ」って思われた可能性がある。
兄が私に作るように提案するのは料理人の苦労を知るようにという考えがありそうだ。
技術的に無理なら作れないだろうとあれこれ私は口にする。
それは命令でもお願いでもなく「こうだったらうれしい」という妄想。
熱いままに料理が食べたいからステーキ皿があると素敵だと思って口にした。
作らないといけない人には苦労をかけたかもしれない。
それでも、ステーキ皿は偉大だ。あたたかい食べ物はそれだけで味のグレードを上げる。食のバリエーションも増える。
私うれしい、王子うれしい、みんなは将来的にうれしい。
ジャガイモっぽいものばかりを主食にしていたら私の発言も生活もイライラするものになってるだろう。如何にもお貴族様な状態だ。だとしても批難されるいわれはない。彼らは生きている。飢えながらも国の政策で餓死は免れている。そのはずだ。
毒ありで血を吐いてもいいからおいしいパンを食べることを選びたい人もいるかもしれない。不死ではなくても私と同じ生活を望む人、それはきっといる。でも、この国にいる限りは無理だろう。誰もが願いを叶えられ、自由で、満ち足りた暮らしが約束された世界じゃない。
私は自分が偉いとかすごいなんて思わない。
王子のロリ様の発想はすごいし、よくやるものだと思える。だからこそ毒見をしていても、それは私の手柄じゃない。そう感じる。
だけど、楽なことをしていると思ってもらいたくない。
死ぬのはどんな死に方でも苦しい。
即死したとしても「死んだ」という実感が私を苦しめる。
死んだのは過去のことで生き返っているのに気持ちが死に引っ張られて心細くてさみしくて怖い。
九死に一生を得た人が「二度とあんな思いはしたくない」という気持ちで「生きてて良かった」そう口にする感覚を数えきれないほど経験した。
死はいつだって怖くておそろしい。
飢餓感だっておそろしい。
飽食の時代に生まれて冷蔵庫に食べ物が詰まった家に住んでいた私もこの世界で餓死を経験したことがある。
はじめて自分に不死の力があると知った日だ。
「今朝のスープはにゃんにゃんさーのぐるぐるらんらんです。このぐるぐるらんらんが良い仕事してます」
「リャニャンシャーのグッリラァツタンだね。このグッリラァツタンは産地を変えて下処理も違うらしい」
「前のぐるぐるらんらんは臭みがあり、お薬ならともかく食べ物としてはクセがあります」
「栄養価が高いから薬用という感覚は間違ってもいないね」
「スープの中に入れる量が絶妙です。多すぎると主張しすぎますが、このぐらいならいいアクセントです」
すごく切り込んだ発言をしてみた。
にゃんにゃんさーもといリャニャンシャーは中華スープみたいなものでぐるぐるらんらんもといグリラァツタンはショウガみたいな薬味。
以前食べたときは苦くて独特の臭みがあって料理を台無しにしていた。
自家製の乾燥ショウガの粉を舐めたときに感じた味と似ているかもしれない。
毒物じゃないのに飲みこむのがキツイのは王子の食事としてあってはいけない不味さ。
私がおいしいと口にするとその後、何回かに渡って同じ味付けの料理を食べることになる。これは昨日スレイヤーから聞いた食糧事情を考えると答えが出る。試すために手に入れた輸入食材を使い切るまでレシピに大幅な変更はしない。そういうことだ。
ちょっぴり上から目線の意識の高い意見を口にするのは賢さアピール。
食材名を正しく発音できなかったから今まで具体性のないコメントをしていたとロリ様に訴えるためにあえての味の違いの分かる女気取り。これはたぶんちゃんと成功している。
私の言葉を吟味するようなロリ様は私のことをバカとは思っていないはず。
「ぐるぐるらんらんは良い食材ですが、大量に使って料理の主役にするのではなくほどほどで相手を引き立たせたり全体を調和させるのがいいはずです」
生姜焼きはおいしい。豚肉じゃなくてもあのたれは優秀。だからと言って何でもかんでも刻みショウガを添えるのは考えるのをやめている。テレビの健康番組でショウガオールがどうたらと特集を見たからといって毎日なんにでも母がショウガを食べさせてきたことがある。一日に必要とされる摂取量をはるかに超えているにもかかわらず執拗に食べさせる。舌がバカになった気がする日々だった。
母の中で流行が過ぎたのかショウガが高くなったのかしばらくして地獄のショウガフルコースは終わってくれた。
王子であるロリ様の料理を作っているシェフは自分で作った料理を食べていないし、味見もきっとしていない。
毒抜きとして茹でたり焼いたり処理はしているだろうけど、毒は残っていて私を殺すことがある。
死ぬ可能性のある料理はシェフだっておいそれと口にできないはずだ。
塩コショウ各種スパイス的なものは給仕のワゴンに設置されているのでどうしても味が足らない場合は使ってもいいことになっている。
塩ツボに毒針が入っていたりして普通の料理が食べることができなくなって悲しかった経験からあまり使いたい気持ちにならない。
「私は甘いとのいっしょがおいしいですが、男性は違うかもしれません」
「そうだね。私は塩っ気のある硬めパンをスープに浸して食べたいかな」
「それもとても合うと思います。朝は軽めにして腸を労り、糖質多めで脳に栄養ですね」
聞きかじった知識を専門家のような顔で口にする。
これぞ、才女の風格。
知識豊富に説明してくれる友達はとても頭がよさそうに見えた。
心から尊敬していた。本人がいないところで真似させてもらうのはオマージュではなくパクリっぽい。でも、友達だからゆるしてくれるだろう。
「食べ物は身体を作るだけではなく心も作るのです。おいしいご飯は幸せを連れてきます。私はいま、幸せです!」
パンを片手に演説をする姿はおかしかったのかりゅーりゅーが足元でガルルと鳴いた。
もうすこし落ち着けと言われている気がする。
兄を見ると複雑な顔だ。
表情自体は動いていないかもしれない。
雰囲気がいろんな感情が入り混じっている。
いつもの私の調子乗った発言に対する「このバカめ」みたいな厳しい目をしていないので変なことは口にしていないはず。
首をかしげる私にロリ様がデザートのヨーグルトとムースの混合物を見せる。
かたまりかけている牛乳ゼリーなのかもしれない。
嫌いじゃない味だったはずだ。
一度食べたことがあるものだから気を抜いていた。
中に赤いソースがあってもベリーソースと牛乳は合うと思って口にした。
途端に息苦しくなり、倒れ込みたくなる。
そして、私は死んだ。
感覚的には苦しんだ末に意識が途切れる。
息が吸えなくて苦しいのか胸が痛むのかそういう症状も覚えておかなければならない。
毒見は大変な仕事だ。