弱肉強食
黒々と光る大きな巨体。日に照らされ光沢を放つその物体は"キシャーー"と大きな奇声を上げると、目の前に見つけた獲物に羽音を響かせ突進する。捉えられた哀れな獲物は跡形もなく消え去る……ことはなかった。何故なら獲物は獲物ではなく、黒い巨体に対しては絶対的強者、捕食者だったから。
捉えようとした黒い巨体は、自身が獲物と認識した桃色の花に食べられることになる。見た目の可憐な装いからは想像出来ないほどの凶暴さで持って、ちらりと覗くその白い刃で黒い巨体の強固な甲をものともせず噛み砕いていく。しばらく黒い巨体を咀嚼していた花は気付かない。気配を殺して後ろから近付いてくる捕食者に、次は自身が被食者になってしまったということに。
長いぴんとした耳をたて、大きな身体を揺らしながら白い毛玉は黒い巨体を貪る花に近付き、その大きな口を開く。花はここでようやく白い毛玉に気付き応戦するが、時すでに遅し、その時にはすでに白い毛玉の口の中にいた。口の中で必死にその強力な白い刃で抗うが、格上の存在、絶対的強者によってなすすべもなく喰われていく。
ここはそんな弱肉強食の世界。弱いものは死に、強いものは生き残る。自然の掟、単純な法則。だがしかし、単純だからこそ難しい。
この世界で生き残るには力と知恵が全て。その全てをフル活用して尚、生き残るものたちは一握りの存在。
そう、一握りの存在なのだ。
今また、花にとって絶対的強者であった白い毛玉は、捕食者から被食者に変わり果てる。白い毛玉に悠然と立ちはだかる細長い舌を出入させる爬虫類の存在。うねうねとした動作で、白い毛玉との距離を処刑宣告をするかのように、ゆったりと縮める爬虫類。しかし脱兎よろしく、白い毛玉はその場から背を向け走り出した。そんな弱者に爬虫類はそれ以上のスピードをもって追い詰める。白い毛玉との距離がゼロになった時、爬虫類はその口を縦一文字に大きく開ける。後には白い毛玉を丸呑みにした爬虫類の膨らんだシルエットだけがあった。
猛然と佇む爬虫類は白い毛玉だけでは飽き足らず、次の獲物を探すようにうねうねとしなやかな動きで進み出す。その様は先程白い毛玉を丸呑みにしたとは思わせないような無駄のない動作。そして見つけたのはこの世界で最も最弱であるだろう人間。
***
「お、え? なんじゃそりゃ」
休憩を挟んでいた悠は、遠方から近付いてくる馬鹿でかい蛇を見、驚愕した。自分が知っているサイズとは全くの大きさ。小さくても人間に害をもたらしていた存在が大きくなって迫ってきたら、それは本当の脅威にしかなりえない。
「え、え。これってもしかして俺狙ってる?」
そんな存在が肉食獣のごとく、ゆらゆらと燃えさかる烈火の如き炎のような赤い目をぎらつかせ、とてつもないスピードで近付いてくるこの光景は、悠にとって恐怖以外のなにものでもなかった。
「ちょちょちょっと待て、お蛇さ〜ん」
あまりの出来事にテンションと思考回路が方向音痴を起こす。悠の口からあのネタが出てきたのは、もはやテンパった人間のたどり着く最終地点と言ってもいいだろう。
"シャーー"
大きく威嚇する蛇に、これ以上刺激しないよう一目散に逃げ出した。それでも蛇の速さは、白い毛玉と長い耳が特徴の氷霜うさぎを一瞬にして捕まえるもの。すぐに悠に追い付いた。しかし、すぐに食べられるのかと思いきや、本当の弱者にはじわじわと痛める性質なのか、敏捷蛇は後ろから丸呑みに、ではなく悠の目の前に立ちはだかった。
(あ、あれ? 蛇ってそんな形だっけ?)
遠方からは形がいまいちわからなかったが、なんとなくで蛇と認識していた悠。しかし、目の前に立ちはだかった存在に蛇であってるのかと疑問を抱く。それもそのはず、蛇は先程の氷霜うさぎを丸呑みにしてすぐに次の獲物を見つけたのだから。うさぎの形を丸まる残した蛇に疑問と不安が沸き起こる。
(え、ちょっとまって。蛇は蛇っぽいからいいとして、なんで蛇らしきものはうさぎの形を……? もしかして食べた……とか?)
全くその通り。的を射た答えを自問自答していると蛇が痺れをきらしたようで動き出す。
「お、おい。嘘だろ……」
悠のその言葉を合図に、蛇の動きが確かめるようなゆっくりした動きから獲物を狩る素早い動きへと変わる。蛇は一直線に飲み込もうとするが、悠はそれを紙一重で避ける。それは人間の防衛本能がぎりぎりのところで働いたといったところ。しかし、それはそう何度も続く訳では無い。
すぐに体勢を立て直し逆の方向に逃げるが、今の一撃で狩れると思っていた獲物を、狩れなかったことで激怒した蛇は逃がさないとでも言うように悠の退路を塞いだ。そして今度は余裕をもって捕食しようとする蛇に、悠は死を覚悟し目を閉じる。しかし数秒待てども、何の衝撃も感じない。さすがに何かおかしいと思い目を開けるが、先には何も無かった。
そう。文字通り何も無かったのだ。
確かに、元々あった植物達はそのままそこに生息している。しかし、そこには無ければいけないものがなかった。それは数秒前悠を捕食しようとしていた馬鹿でかい蛇の存在。何故蛇は消えたのか。それもそのはず、蛇は捕食者から被食者に変わり果てていたのだから。悠が食べられる数分前、木の上で獲物を伺う双眸の存在があった。瞳をぎらぎらとぎらつかせ、獲物を狙うその姿は空の狩人そのものである。空の狩人は獲物捕食するため、その大きく立派な羽を広げ低空飛行を開始する。いつでも捕らえられるよう、下から爪を出すと蛇を鷲掴みにし、そのまま自分の領域内である空へと連れ去っていく。その間僅か数秒、悠が気付かなかったのも無理はない。
自分の知らぬ間に何が起こったのか、全く事態を読み取れない悠は困惑を強くその顔に乗せる。
「は?」
あれだけ生命のやり取りをした場だというのに、後には目を真ん丸にした悠のなんとも間抜けな声だけが響き渡った。
***
「ここはどこなんだ……」
あの場にいても危険だと思い、移動を開始した悠は、二時間ほど歩いてから先程の二の舞を踏まないように休憩場所を探す。
しばらく歩いてから見つけたのは薄暗い洞窟だった。森の中にひっそりと佇む入り口。いつもだったら怪しんで回避していたかもしれない洞窟。しかし悠は、先程の経験からかはたまた今までの要因が重なったからなのか、導かれるかのようにその洞窟へと入って行った。
中は薄暗く、何処かに水場があるのか、ぴちゃぴちゃと水の流れる音が響いていた。ある程度進んだところに拓けた場所があり、そこで悠は隅の方の壁に寄りかかるようにして座り込んだ。
座ったことによって後ろの尻ポケットと壁がぶつかり、中に入っていた物体が存在を主張する。手を後ろに持っていき中を確かめると、ノワから貰った端末が出てくる。
「この端末。見つかったらやばいと思ってずっとポケットに入れっぱだったな」
端末の存在を知られるとまずいことになるとわかっていた悠は、いついかなる時も定位置である後ろの尻ポケットに入れていた。
「にしても、いつもこれの存在を忘れるんだよな」
余裕がなくなると端末の存在を忘れる悠は、今までの出来事を思い出し反省すると共に、活路を見出したかのように嬉々とした笑いを浮かべた。何故なら、それがあれば自分の今置かれている状態が、ある程度わかるのではないかと踏んだからだ。