始まりの閉店
某小説講座に送った作品。
内容は自由。好きなように原稿用紙10枚換算で、という内容でした。
それではどうぞ。
誠に勝手ながら、○月○日をもって閉店とさせていただきます。ご愛顧有り難う御座いました。
最後の一日が終わった。
じいさんはブラインドを閉めると、壁に貼ったカレンダーにバツ印をつけた。そして寂しそうに笑いながら、店内を見回す。ずらりと並ぶ洋服、褪せた壁紙、時間のずれた時計。
全てを愛おしそうに眺めた後、じいさんはゆっくりとした足取りで俺の方に近づいてきた。俺の硬い肩にぽんと手を置き、見つめてくる。時計の秒針が不規則に十を数えた時、じいさんは俺の肩から手を下ろした。
それからハナ子の方へ向かい、俺にしたことと同じことをする。ハナ子の右の袖口を肘まで上げ、ガムテープで巻かれた腕をそっと撫で、離れた。
自宅と店をつなぐ扉の前に行くと、じいさんは振り返り、店に向かって軽く頭を下げた。ぱちんと電気を消し、家の中へ消えていく。
ブラインドの隙間から街灯の光が入り、店内に縞模様が浮かんだ。家からじいさんが戻る気配はない。俺はぎしっと音を立て、明かりが入るようにブラインドの調整をしに動く。
「三十年、お疲れ、ハナ子」
「はい、お疲れ様でした、タロウさん」
俺が声をかけると、ハナ子はポーズを崩し、腕のガムテープを隠すように袖を下ろした。
「最後の男、店の中じっくり見たくせに、何も買わずに出てったな」
「え? あぁ、それは仕方ありませんよ。寂れた商店街の洋服店ですもん。ましてや最終日。いい商品は全部売れた後です」
「それもそうだな」
俺はじいさんがしたように店内を見回した。全体的に古ぼけている。しかし、汚さは全く感じない。じいさんが毎朝、丁寧に時間をかけて掃除をしていたからだ。
ここはどうなるのだろう。物置になって、ホコリが分厚く積もる空間になるのだろうか。俺にとっては愛着のある店だ。そうなってしまうのは嫌だ。
「ねぇタロウさん、一つ、提案が」
ハナ子は洋服を手に取りながら楽しそうに笑う。
「明日、おじいさん、ここに片付けに来ますよね。それで、何かできないかなって思って。私、おじいさんに、お疲れ様でしたって伝えたいんです。どうでしょうか」
「うん、悪くないな。ちょっと飾るくらいしかできないだろうけど、やるか」
俺の返事を聞くと、ハナ子は嬉々としてレジカウンターの方へ向かった。
飾りつけ。自分で言ったものの、この店にあるものでいったい何ができるだろうか。洋服を裂いて別の物にするのだけは避けたい。
せめて紙があればと頭をあげると、壁のカレンダーが目に入った。
「ハナ子、そこにテープと太いペンがないか」
「えぇ、ありますよ。何するんですか」
ハナ子がカウンターの上に道具を置く。
「つなげたカレンダーの裏に文字でも書こうかと」
「ストレートに気持ちを表すんですね」
「ああ。それで、ハナ子は何しているんだよ」
テープとペンの横には、細かく切られたカラフルな広告が散らばっている。ハナ子はそれを集めると、ふふっと笑って、内緒ですと人差し指を口にあてた。
カウンターの上で作業をしようと思っていたが仕方がない。俺は床でカレンダーをつないで、ペンを走らせ始めた。一文字ずつ、丁寧に書いていく。
そういえば、こうして俺たちが何かをするのは二十年ぶりなんだなと、ふと思う。
あれはじいさんが過労で倒れて、ひとり息子が店を代わりに切り盛りした時か。慣れない店の営業に必死だった息子は、俺たち二人の服装をかえるのを忘れていて、だから俺たちは夜が来るたびに、自ら好きな服を勝手に着まわした。
ある時、服装が毎日違うことに気づいた息子は、ばあさんが服をかえたのかと呟いた。
久しぶりに昔の話をしようとハナ子を見ると、メジャーとお菓子入れのカゴを持って、家と店をつなぐ扉をいじっていた。
ハナ子が忙しそうだったので俺は手元に集中する。文字は書き終えた。あとは数色のペンで文字の周りを綺麗にすればいいだろう。
色ペンを取りにカウンターに向かおうとすると、
「タロウさん、ちょっと手伝ってください」
ハナ子に呼び止められた。はいはい、と近づくと、メジャーの先を渡される。
「そこで動かないでくださいね」
菓子カゴを手にハナ子は椅子に上り、扉の上にそれを持ちあげようとする。少しばかり重たそうだ。ハナ子が気合を入れてあげようとすると、彼女の右腕がパリッと音を立てた。
「おい、あんまり無理するな。腕が外れるぞ」
「あっ、はい。でももう終わるんで」
扉の上にカゴを固定すると、ハナ子は満足そうに椅子の上から降りた。俺からメジャーの先を受け取ると、また作業を始める。
たまに彼女の腕からパリパリ音がする。じいさんが貼ったガムテープのはがれる音だ。
「その腕、やっぱり不便そうだな」
「そうでしょうか。私、あんまり動かないんで、別にどうとも。それに、おじいさんにとっては、ね?」
十五年前だっただろうか。
息子が店を継ぐか継がないか、という話になった時、経営方針でじいさんと息子が対立した。いつも二人の喧嘩をとめていたばあさんはその頃には病気で亡くなっていて、じいさんと息子の言い争いは殴り合いにまで発展。息子に殴られたじいさんがハナ子に倒れ掛かり、その時にハナ子の腕は折れたのだ。
じいさんに出ていけと叫ばれた息子は、荷物をまとめ出て行ったきり帰ってきていない。
「これでよし。タロウさんの方はどうですか。手伝いますよ」
ハナ子の明るい声で、俺はハッとする。
カウンターからペンを数本拝借し、床に敷いたカレンダーの裏紙に書き足していく。
ハナ子が紙を覗き込んできた。
「いいこと書いてるじゃないですか。この部分」紙をトントンと叩き、「私も同じこと考えてましたよ。この紙はどこに飾るんです?」
「俺たちが家の方を見て持っておけばいいかなって考えてたんだけど、どう?」
「バッチリです」
黙々と書いていく。二人でやるとやっぱり早い。思っていたより早く、ずっと綺麗に仕上がった。
使った道具を元の場所に戻し、俺たちはカレンダーをつなげた紙を手に持った。
これで飾りつけはおしまい。飾りつけといっても、ハナ子が扉に仕掛けた何かと俺が作った横断幕もどきだけだ。「味気ないですね」とハナ子は言う。俺だって、できるものなら壁に紙の輪っかを貼りたかった。しかし、都合のいい紙が店内に見当たらない。どうしようもなかったのだ。
「でもきっと、おじいさん喜んでくれますね」
あぁそうだなと、ハナ子に答えようとした時だ。
家の奥の方からドタバタと駆けてくるような音が聞こえた。一人暮らしの足腰の弱ったじいさんはそんな足音を立てない。よく聞くとじいさんが遠くで叫んでいる。激しい足音は店の扉の前で止まった。
じいさんじゃない誰かが入ってくるのか。ハナ子と俺は身体を固めた。
「閉めるなんて許さねぇ。この店は――」
中年男が声を荒げながら扉を開け、電気をバチンとつける。と同時に扉の上のカゴがひっくり返り、切られた広告が宙を舞った。男は目を丸く見開いている。
なるほど、扉を開けられたことによってメジャーが張り、カゴがひっくり返ったのか。すごいな、ハナ子。
入ってきた男は、最後の客だった。そいつは俺たちが持つ紙を見て、何か言おうとしたが声を詰まらせたようだ。顔を抑えて床に崩れ、男は言った。
「ほら、こいつらも言ってんじゃんか。なあ親父、あの時は悪かった。だから、継がせてくれよ……」
じいさんは遅れてやっと店に着くと、床に散った紙吹雪と俺たちが持った紙、それを前に崩れた男を目に入れた。そして、じっくりと時間をかけた後、
「そうか、そうかぁ」
消え入るような声で言った。ほら、とじいさんは男を家に戻す。それから俺たちを見て微笑んだ。
「タロウもハナ子も、やっぱりそう思ってたのかぁ。うん、安心せぇ。アイツが帰ってきたから、ここは残す」
じいさんは話しながら、閉店を報せる紙を一枚ずつはがしていき、それを終えると電気を消し、家に入っていった。
しばらくして、俺とハナ子はそっと互いに見つめあう。
「まさか、息子が帰ってくるとはな」
「やっぱり気づいてなかったんですね」
えっ、と声を出すと、ハナ子は楽しそうに笑った。
「それにしても、やりましたね。お店存続です。……これ、書き換えちゃいません?」
「ああ、そうだな」
紙を再び床の上に置き、ペンを手に取る。
『祝 三十年完走! 祈 改装開店!』
書き換えるといっても、手ごろな紙はもうない。それなら、こうするしかないよなと、俺は迷わず『祈』の文字を消した。そして小さく書き加える。
『これからも宜しくお願い申し上げます』
じいさんの店は新しい一歩を踏み出したのだった。
主人公なんの成長もしていない(笑)
小説としてなんの面白味もない物になっているのはわかっています。
講座の期間に追われて、またまたやっつけで書いてしまいました。反省、反省。
添削でちょこちょこ表現の指摘を受けました。
思っていたよりけちょんけちょんに言われなくてビックリです。
二人の正体の「マネキン」という単語が入っていなくても、そうであるとわかってくださったようでしたので、ほっとしました。
評価だけでも飛び跳ねるくらい喜びます。
辛口コメントも甘口コメントも大歓迎です。よろしくお願いします。